エコールで会いましょう!!
久々の更新となりますが、前回、前々回と続いたコミック版「マゾへの扉」の最終話は次回以降に先送りさせて頂き、今回は11月に僕が行ったSMスポットのルポ漫画をお送りいたします。 まずは漫画をお楽しみください。








というわけで、SMバー「大塚エコール」での体験は僕にとって、とても新鮮で楽しいものとなりました。
さくらさんのビンタや女性陣による鞭打ちは、停滞気味だった僕のM的欲求に活を入れて下さいました。
また他のM男さん達が鞭打たれているのを観るのも、自分が大勢の前で鞭打たれるのも初めての経験でしたが、さすがにヤプーズマーケットのファンが集まっているだけあって、ハードな鞭打ちに耐えられる猛者が多く驚きました。
もちろん無理矢理に鞭打つわけではありませんので全く体験のない方でも大丈夫です。
ヤプーズマーケットを陰で支える監督の南七海さんは、キャラが立っていてとても魅力あふれる女性でした。
月曜エコールのメニューはすべて彼女の手によるものだそうですが、どれもとても美味でした。 将来は変態が集まる居酒屋を開きたいとか。 素敵です♡
この後、再度お邪魔した時にはヤプーズマーケットの撮影秘話やロンさんの半生についていろいろ興味深いお話も伺うことができ、同世代や大先輩、若いM男さん達との歓談も大いに刺激になりました。 長年のM男アレルギーもどこかへ吹っ飛んでしまいましたw
コロナ禍で都内では連日感染者数が増え続け、飲食店もピンチが続いていますが、そんな中で変態達の酒場は元気でした。
「龍ちゃんのお留守番」は年内いっぱいという事で残すところあと二回ですが、もしご興味がある方がいらっしゃいましたら訪れてみて下さい。


エコールで会いましょう!!

「令和怪奇画報」~異形の者たちとの戯れ~
久しぶりにワクワクする買い物をしました。
令和怪奇画報 妖怪編I
半年位前だったか、とある女王様がReTweetされた怪奇なイラストがTLに流れてきて、作者である怪奇画家・北原功士氏の存在を知りました。 女王様と言えば豊かな感性をお持ちで、美術や音楽、演劇など芸術的な才に長けた方が大勢いらっしゃるようですが、怖いものや怪奇な物にも関心の深い方が多いのかもしれません。
一目見て、その絵に惹かれた僕は、すぐさま北原氏のアカウントをフォローし、以来、氏の作画活動に注目してきました。
今回それらの怪奇画を一冊に纏めて自費出版されるという。
これは我が本棚に是非1冊お迎えしたいと思い、早速購入したというわけです。

北原氏のプロフィールによると漫画家デビュー後、自作を発表しながら、画力向上を目的に荒木飛呂彦氏のアシスタントを経験。後にイラストレーターに転向し、洋泉社の映画雑誌「映画秘宝」などを主戦場に活躍されていたようです。
幼 児 期に立風書房の児 童 書「日本妖怪図鑑」と出会い、それ以来、怪奇な物の魅力に取り憑かれ、その心躍る感動と消えゆく文化を令和の現代に伝えよう、復活させようと、私財を投じて頑張っていらっしゃいます。
CG全盛の時代ですが、アクリル絵の具を使った緻密で入念な描写は、やはり手間を掛けたなりの凄みや味わいがあるものです。 何と言っても妖の者たちにCGはそぐわない。 怨念や情念を込めた手書きである事は重要なのでしょう。
この本の特色はと言えば、多くのイラストに葵と緑と言う2人のJKが登場し、妖怪達と遭遇し、エッチな被害に遭っている所でしょうか。 時にパンチラキックで反撃したり、棒で突いてみたり、警官を呼んできたりと、いかにもJKらしい反応も微笑ましい。 日常と非日常、爽やかなエロティシズムと怪奇なものたちとの融合が違和感なく描かれていて、従来の怖いだけの怪奇画とは一線を画す、新しい試みと言えるかもしれません。
考えてみれば大抵の妖怪は人を殺すような邪悪な存在ではなく、他愛のない悪戯や脅かしで人間を怖がらせる程度なんですよね。 だからどことなくユーモラスな存在であり愛着が持てる。
怪奇や恐怖というのは笑いやユーモアと表裏一体である事が、楳図かずお氏や伊藤潤二氏の作品で証明されていると思います。 おぞましい物達と遭遇し、恐怖に顔を引きつらせている画中の人物達に感情移入しながらも、どこかでニタついている自分がいる。この画集の中にも思わず笑ってしまった作品がいくつかありました。
SMも真剣であればあるほど、何処か滑稽な要素を孕んでいるのと似ている気がします。
タイトルには令和と銘打ちながらも、その絵の舞台はどう見ても昭和中期頃。
その情景や昭和アイテムの1つ1つが凝っていて、それらを見ているだけでも充分に楽しめます。
おそらく著者が最も馴染んだ思い入れ深い時代であり、現在ほど明るすぎず、妖怪が出現するには相応しい時代だったのでしょう。
巻末には一点一点、著者自らが解説を加え、JK葵と緑の対談形式のコメンタリーも載せるほどの凝りよう。昭和を舞台に選んだ事情もその中で2人のJKに語らせています。
子供の頃、週間少年マガジンの巻頭グラビアや児 童 向けの怪奇図鑑シリーズなどで高揚感を味わった事のある中高年以上の方ならば、特にこの本の魅力を理解して頂けるのではないかと思います。
怪奇とSMとはあまり関係ないように思えますが、実はこういうアンダーグラウンドな文化や芸術が僕の魂の暗部に深く関わっていて、マゾヒズムと同じ次元に存在してるような気がしています。
少年雑誌の巻頭グラビアや子供向けの図鑑などでリアルな怪奇画を描き、人気を博していたイラストレーターの石原豪人も、林月光と言う別名でSM誌などに挿絵を描いていましたし、全く無関係という訳でもないように思います。
この画集は、当初コミケやイベントでの販売用に製作されたものですが、ご存知の通り、新型コロナウィルスの影響でそれらは軒並み中止に追い込まれ、急遽ネット販売中心に切り替えられたようです。
巻末予告を見ると興味深い続刊の予定が目白押しで、是非とも刊行を実現して頂きたいのですが、売れ行き次第では頓挫してしまう可能性もあるようです。もしご興味のある方、お小遣いに多少の余裕がある方は購入して応援してあげて下さい。
ツイッターを見ていて、さらに驚いた事は、北原氏の奥様も怪奇に取り憑かれ、妖怪のフィギュアやガレージキットの原型師をされているという事です。 氏の監修を得たその出来栄えは驚くほど緻密で、思わずポチりたくなる。
特に歌川国芳の「相馬の古内裏」を再現したガレージキットは圧巻の出来で、妖怪 物欲に取り憑かれそうです(笑)
ご夫婦で怪奇な物に憑かれ創作に没頭する。素敵で羨ましいですね。

さて、今回 マゾ花の「僕の本棚」という記事に倣って、僕の蔵書の中から怪奇な物や異形の物、妖怪関連の書物を集めて並べてみました。 あんまり関係なさそうなものもありますが、そこはスルーしてください(笑)

以下、北原氏の令和怪奇画報サイト
https://www.kaikigahou.com/
北原功士氏ツイッター
https://twitter.com/Kitahara_kou
令和怪奇画報 通販サイト
https://kaikigaho.booth.pm/
北原氏の奥様・怪奇里紗さんのツイッター
https://twitter.com/kaiki_risa

顔面騎乗主義者の死
“メメント・モリ”と言う言葉があります。
生きとし生けるものにはいつか必ず“死”の瞬間が訪れる。 自分自身もいつか死を迎える事を忘れるな…というような意味だったと思います。
しかし、愛してやまなかったものの突然の死は、そうした死生観を理解していたとしても受け入れ難く、如何ともしがたい悲しみに襲われ失意のどん底に突き落とされます。
僕には、親の死よりも衝撃的で悲しかった経験があります。
漫画家、手塚治虫の死を知った時の事です。
孤独な幼少年期を過ごした僕は、手塚漫画に支えられ、育てられたと言っても過言ではありません。
だから氏の訃報を知った時、僕は一人、部屋に籠って泣き明かしました。
4月25日付けの「マゾヒズムに花束を!」の記事で、世界的なfemdomアーティストである春川ナミオ画伯の訃報を知りました。
手塚治虫の死を知った時と同様の衝撃が走りました。
僕は春川画伯の描く作品の単なる一ファンに過ぎません。 氏とは一度もお目にかかった事はありませんし、ご本名もお顔も、どういう経歴の持ち主なのかも存じ上げません。
しかし、氏が50年以上に渡って描き続けてきた独自の世界観は、マゾヒストである僕の心を捉え今も魅了して止みません。
僕は、自分がハッキリと陽と陰を併せ持った人間であるという自覚があります。
メジャーな物を好む裏で、同時にアンダーグラウンドなものにも強く心を惹かれます。
漫画や映画や、絵画や音楽や、小説や写真など全ての芸術的分野の好みにおいて、そういう二面性の傾向があります。 それは我がマゾヒズムと密接な関係があるのかもしれません。
春川画伯は、そんな僕のダークサイドを育て、支えて下さった恩人だと思っています。
前回の自伝漫画にも描きましたが、自らのマゾヒズムを持て余していた学生時代、古書店に入り浸り大量のSM雑誌の山から数少ないM男情報を漁っていた日々の中で、春川画伯の描くfemdomアートは僕のマゾヒズムへの渇望を癒し、忘我の時を与えてくれました。
溜まりに溜まったSM雑誌の隠し場所に頭を悩ませ、泣く泣く処分を考えた時も春川画伯のグラビアページだけは切り抜いて大切に保存しておきました。 ポージングだけの女王様の写真よりも妄想力を掻き立ててくれる春川アートの方がお気に入りだったのです。
ネットにfemdom情報が溢れ、若干食傷気味になった現在でも春川画伯の作品だけは特別です。 僕のマゾヒズムの原点であり故郷のような存在なのです。
絵を描くというのは孤独な作業です。
特定のマニアにだけ向けた創作ならば、なおさらかもしれません。
ただ春川画伯は、自らの女体崇拝や巨尻信仰に没頭し、あたかも円空が生涯をかけて彫り続けた12万体とも言われる木彫りの仏像の如く、彼もまた生涯をかけてあの膨大な作品群を紡ぎ上げていったのではないかと想像します。
見る者をほとんど意識する事なく、自らの妄想を具現化する事だけに傾注されていたのではないかと窺えるのです。
そして一度描き終えてしまった作品にはあまり執着はないようです。気前よく人にプレゼントしたり、展示会で販売したりして手元に置いておく事にこだわりはないように感じます。
もしかしたら特殊な絵という事で、軽く見られているであろう怨念や諦めのようなものがあったのかもしれません。
女性は圧倒的な存在であってほしい。女性のお尻はともかくもっと神秘的であってほしい。
謎めいたパーツと化したお尻の奥には一体何があるのだろう…
生前、巨匠はインタビューでそう答えていました。僕も同感です。
それは、女体や、崇高な女性の秘部への信仰心とも言える強い思いです。

完全無欠な美を纏った女体群と醜く矮小な男達との対比は、絶対的主従の法則を明らかにしています。
以前、homerさんが監督された北川ビデオ「顔面騎乗に花束を!」の中で、顔を半分隠してインタビューに答えておられる春川画伯のお姿を拝見した事があります。 その穏やかな物言いと優しそうな雰囲気の中にも繊細で神経質で几帳面そうな一面、強固な意思のようなものも窺え、それまで自分が思い描いていた画伯のイメージとあまりにもピッタリだったので妙な親近感を覚えたものでした。
昨年上梓された、春川画伯の50年の画業を凝縮した「春川ナミオ画集」。
当時ネットで買い求め、著者サイン入りを入手する事ができました。
そして、とある方から贈って頂いた春川画伯の迫真の直筆原画。
これらは春川画伯が亡くなった後も、常に彼の存在を身近に感じさせてくれる、僕の宝物になりました。
我がマゾヒズム人生に大いなる夢と希望を与えて下さった春川ナミオ画伯に改めて感謝の気持ちを捧げ、偉大なる存在でありながらメディアにその死を取り上げられる事もなく静かに逝ってしまった孤高の画家の画業を讃え、故人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
春川ナミオ画伯、長い間、本当にありがとうございました。そしてこれからも永遠に…

生きとし生けるものにはいつか必ず“死”の瞬間が訪れる。 自分自身もいつか死を迎える事を忘れるな…というような意味だったと思います。
しかし、愛してやまなかったものの突然の死は、そうした死生観を理解していたとしても受け入れ難く、如何ともしがたい悲しみに襲われ失意のどん底に突き落とされます。
僕には、親の死よりも衝撃的で悲しかった経験があります。
漫画家、手塚治虫の死を知った時の事です。
孤独な幼少年期を過ごした僕は、手塚漫画に支えられ、育てられたと言っても過言ではありません。
だから氏の訃報を知った時、僕は一人、部屋に籠って泣き明かしました。
4月25日付けの「マゾヒズムに花束を!」の記事で、世界的なfemdomアーティストである春川ナミオ画伯の訃報を知りました。
手塚治虫の死を知った時と同様の衝撃が走りました。
僕は春川画伯の描く作品の単なる一ファンに過ぎません。 氏とは一度もお目にかかった事はありませんし、ご本名もお顔も、どういう経歴の持ち主なのかも存じ上げません。
しかし、氏が50年以上に渡って描き続けてきた独自の世界観は、マゾヒストである僕の心を捉え今も魅了して止みません。
僕は、自分がハッキリと陽と陰を併せ持った人間であるという自覚があります。
メジャーな物を好む裏で、同時にアンダーグラウンドなものにも強く心を惹かれます。
漫画や映画や、絵画や音楽や、小説や写真など全ての芸術的分野の好みにおいて、そういう二面性の傾向があります。 それは我がマゾヒズムと密接な関係があるのかもしれません。
春川画伯は、そんな僕のダークサイドを育て、支えて下さった恩人だと思っています。
前回の自伝漫画にも描きましたが、自らのマゾヒズムを持て余していた学生時代、古書店に入り浸り大量のSM雑誌の山から数少ないM男情報を漁っていた日々の中で、春川画伯の描くfemdomアートは僕のマゾヒズムへの渇望を癒し、忘我の時を与えてくれました。
溜まりに溜まったSM雑誌の隠し場所に頭を悩ませ、泣く泣く処分を考えた時も春川画伯のグラビアページだけは切り抜いて大切に保存しておきました。 ポージングだけの女王様の写真よりも妄想力を掻き立ててくれる春川アートの方がお気に入りだったのです。
ネットにfemdom情報が溢れ、若干食傷気味になった現在でも春川画伯の作品だけは特別です。 僕のマゾヒズムの原点であり故郷のような存在なのです。
絵を描くというのは孤独な作業です。
特定のマニアにだけ向けた創作ならば、なおさらかもしれません。
ただ春川画伯は、自らの女体崇拝や巨尻信仰に没頭し、あたかも円空が生涯をかけて彫り続けた12万体とも言われる木彫りの仏像の如く、彼もまた生涯をかけてあの膨大な作品群を紡ぎ上げていったのではないかと想像します。
見る者をほとんど意識する事なく、自らの妄想を具現化する事だけに傾注されていたのではないかと窺えるのです。
そして一度描き終えてしまった作品にはあまり執着はないようです。気前よく人にプレゼントしたり、展示会で販売したりして手元に置いておく事にこだわりはないように感じます。
もしかしたら特殊な絵という事で、軽く見られているであろう怨念や諦めのようなものがあったのかもしれません。
女性は圧倒的な存在であってほしい。女性のお尻はともかくもっと神秘的であってほしい。
謎めいたパーツと化したお尻の奥には一体何があるのだろう…
生前、巨匠はインタビューでそう答えていました。僕も同感です。
それは、女体や、崇高な女性の秘部への信仰心とも言える強い思いです。

完全無欠な美を纏った女体群と醜く矮小な男達との対比は、絶対的主従の法則を明らかにしています。
以前、homerさんが監督された北川ビデオ「顔面騎乗に花束を!」の中で、顔を半分隠してインタビューに答えておられる春川画伯のお姿を拝見した事があります。 その穏やかな物言いと優しそうな雰囲気の中にも繊細で神経質で几帳面そうな一面、強固な意思のようなものも窺え、それまで自分が思い描いていた画伯のイメージとあまりにもピッタリだったので妙な親近感を覚えたものでした。
昨年上梓された、春川画伯の50年の画業を凝縮した「春川ナミオ画集」。
当時ネットで買い求め、著者サイン入りを入手する事ができました。
そして、とある方から贈って頂いた春川画伯の迫真の直筆原画。
これらは春川画伯が亡くなった後も、常に彼の存在を身近に感じさせてくれる、僕の宝物になりました。
我がマゾヒズム人生に大いなる夢と希望を与えて下さった春川ナミオ画伯に改めて感謝の気持ちを捧げ、偉大なる存在でありながらメディアにその死を取り上げられる事もなく静かに逝ってしまった孤高の画家の画業を讃え、故人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
春川ナミオ画伯、長い間、本当にありがとうございました。そしてこれからも永遠に…
