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崇める歓び

 ご主人様と初めてお会いしてから、今年の8月5日で丸5年になります。
奴隷契約書を交わしてから、8月26日で丸3年。
お印(焼印)を頂いてからは、丸2年の歳月が経過する事になります。

 時の流れの速さを感じます。

 僕にとって、こんなにも長く親しくお付き合いさせて頂いている女王様は初めてですし、もちろんこれからも、ご主人様さえよろしければ死ぬまで女王様と奴隷の関係であり続けたいと願っています。

 初めてご主人様とお会いした時の衝撃は、今でも忘れません。
「世の中にこんなにも清楚で可愛らしいSMの女王様が、いらっしゃったんだ!」と感激したのです。

 以来、ずっとご主人様の虜です。

 過去に、このブログで「清純派だ!」「アイドルみたいに可愛いらしい!!」と何度も書いたら、数名の方にご主人様が誰であるか当てられてしまいました。

 それだけSMの女王様としては希少なタイプの女性なのだと思います。
僕もそれまでご主人様のような女王様には、出会った事がありませんでした。

 もちろん容姿が可愛いだけでなく、性格も柔和でお優しく、M男にも細やかな心配りをして下さる素敵な女性です。
調教時には、厳しい表情をされる事もありますが、普段はとてもにこやかです

 ですから厳格でキツイご性格の女王様を望んでいるM男性には受けが悪いかもしれません。
その優しげな容貌から、SMクラブに在籍していた時は、ソフト嗜好のお客さんばかりに指名されていたようです。

 しかし、優しいお顔の奥に秘められたサディスティンとしての資質は、僕が過去にお会いした二百余名の女王様のどなたよりも素晴らしいものでした。

 お好きなプレイは鞭やケインなどの打撃系。 お望みのプレイはカッティング。
血を見るのがお好きで、僕が流血するととても興奮されてお喜びになります。
そのギャップが、またたまらない魅力でもあるのです。

 ご主人様は僕にとってSM歴30年にして唯一、主従関係を築かせて頂いた女王様です。
お店を離れて、女王様と個人的に交際させて頂くのも初めての経験でした。

 だから余計に夢中になったのかもしれません。
様々なものを失って、どん底の時期にお会いした事も重なり、僕は現実から逃避するようにご主人様に傾倒していきました。

 ご主人様は「お互いの孤独オーラが私たちを引き合わせたのかもね。」と仰いました。
ご主人様もお若くていらっしゃるのに、プライベートでは色々とご苦労をされているようです。
そうしたご経験が、他人への優しさや人間的な奥行きの深さに繋がっているのだと僕は理解しています。

 かつて、僕にとってSMクラブは、抑えきれなくなった被虐的欲求を解消する為の場に過ぎませんでした。

 女王様が女優であっても、マゾヒズムが予定調和であっても、そんな事は一向に構わなかったのです。
その快楽は刹那的で、日常生活とははっきりと区別されていました。

 ところがご主人様の魅力に取り憑かれ、専属奴隷になりたいと願うようになった頃から、僕の気持ちは一変しました。
寝ても覚めてもご主人様の事ばかり考えるようになり、お会いしたくて寂しさに枕を濡らし、厳しい鞭が欲しくて身悶えました。

 そして奴隷契約書を取り交わした事で、ご主人様は僕にとって絶対的存在となりました。

 女性を神のように崇め、その足元にひれ伏す快感。
美しき女主人様に身も心も支配され、牡奴隷として堕ちていく歓喜。


 それまで、肉体的苦痛を与えられる事だけにしか、歓びを見いだせずにいた僕が、ご主人様の存在によって、精神的に支配される事こそがマゾヒズムの真髄だと気づかされたのでした。

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 ご主人様のご調教を受ける事は僕にとって仕事や日々の生活のモチベーションでもありました。 単なる性癖を超えて、生きる意味や歓びへと繋がっていったのです。

 しかしリアルな奴隷になりたいと望んだ結果、一方では僕の中で様々な悩みや葛藤も生まれました。

 それはファンタジーに陶酔していた頃には考えた事もなかった、現実的な苦悩でした。

 ご主人様の事をもっともっと深く知りたい。 自分がどう思われているのかが気になって仕方がない。 ご主人様のM男の中で常に一番の存在でありたい。 どうすれば奴隷としてお気に入って頂けるのだろうか? ご調教以外でもお側にいる時間が欲しい。

 それらの苦悩は、妄想ではなく実在する等身大の女性を崇めた証しなのかも知れません。

 自らの感情を全て捨てて、女主人様に無条件で服従するのが本来の奴隷の姿でしょう。
しかし、僕は奴隷になりきれず、ご主人様に恋心を抱いてしまいました。

 もちろんそれは、一般の男女が考えるような普通の恋ではありません。
ご主人様と対等な立場でお付き合いしたいとか、抱きたいなどという、愚かで不遜な考えを抱いた事は一度たりともありません。

 憧れて、下から仰ぎ見ているだけの淡い恋心なのです。

 その思いは、時にアイドルを見守るファンのようでもあり、高嶺の花に恋慕の情を抱く少年のようでもあり、師匠を尊敬して止まない弟子のようでもあり、教祖を神のように崇拝する信者のようでもありました。

 その僕の思いをご主人様が知っていて下さる。

 少しも嫌がらずにありのままの僕を受け入れていて下さっている。

 それが僕とご主人様の主従関係なのだと思います。

 僕はご調教の日が近づくといまだにソワソワと落ち着かず、ご主人様にお会いした時は緊張に打ち震えます。 5年前に初めてお会いした時と同じ新鮮な気持ちをいまも持ち続けています。

 「会うとドキドキ、緊張するっていうのが女王と奴隷のベストな関係。でも今はそういうのを求めるマゾはムギ以外にはいないの。」とご主人様。

 4ヶ月半の休養から復帰し、久しぶりにご調教をお受けした後、「私のSMの核はムギだって改めて思ったよ。」と仰って下さいました。 奴隷にとって何よりも嬉しく、身に余るお言葉です。

 そのお気持ちに少しでも報いるために、ご主人様の為に誠心誠意を持って尽くし、頑張っていきたいのです。

 エゴマゾだった僕に、女性を崇める歓びを教えて下さったご主人様には本当に感謝しています。

 ご主人様に精神的にかしずく事で、心の安らぎを覚える自分がいます。

 
 今年の奴隷記念日は、ご主人様と僕にとって一つの節目となる大切な日です。

 昨年は奴隷にあるまじき行動をとって、ご主人様を失望させてしまいましたが、当日はご主人様の厳しい鞭打ちを無制限に頂いて身体を清め、禊としたいと思います。

 ご主人様との主従関係をより強固なものにする為、奴隷の生涯を捧げる新たな儀式を執行う準備を、ご主人様主導の元、進めて頂いています。

 その日僕は、ご主人様の新たなる洗礼を受けて、今度こそ間違いなくヤプーダムに昇りつめる事が出来ると思います。

 「汝我の畜生天(ヤプーダム)における新しき生を祝福す」


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femdom的結婚生活について考えてみる

 
ネット上で公開されている「亭主元気でマゾがいい!」という漫画が話題になっています。 

 この作品は“M男性と結婚して自分好みに飼いならし、快適な結婚生活を送ろう”という若い女性に向けた提言がコンセプトになっています。

 作者の六反りょうさんは、元女王様という異色の経歴を持つ女流漫画家さんです。
SMバーに勤めていた時にお店で出会ったM男性に見初められ、その後結婚。 従順なマゾ夫を日々調教しながら幸せな結婚生活を送っているのです。

 作品ではご自身の体験に基づいて、マゾ夫を持つ利点から調教(躾)のコツまで、femdom的結婚生活の理想形をコミカルなタッチで赤裸々に描いています。
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 “性の不一致”が原因で離婚に至るケースが増えている中、夫婦の性癖が合致しているのはとても幸福な事だと思います。 ほとんどのM男性が恋人や奥様に自らの性癖をカミングアウトできず、SMクラブで欲求を満たしているのが現状でしょう。

 たとえカミングアウトしたとしても、その特異な性癖が受け入れられるのは稀有な例です。 ノーマル寄りでフェティシュな願望ならまだしも、ハードな鞭打ちや便器願望まで理解してくださる女性は極々少数派ではないでしょうか。

 ですからマゾヒズムが肥大しすぎて恋愛結婚不適合者となった者にとって、コアなM性癖を受け入れてくださる女性との出会いは“奇跡的”な事と言えます。 もしそんな理想のお相手と巡り会えたのなら、すぐにでも告白して結婚に踏み切るべきかもしれません。

 しかし、僕のようにドミナ神格化に近い形で崇拝しているようなケースでは、少し事情が違ってきます。
 ドミナとの埋められない距離感こそがマゾヒズムの根底をなしていることが多いからです。
“支配者と奴隷の身分差”が大きければ大きいほど萌えるわけです。

 そうなると基本的には対等な人間関係にある“結婚”という形式は、お互いの距離が近づきすぎてしまって、崇拝の妨げになると思うのです。

 またドミナもS性癖を持っている以外、普段はごく普通の女性ですから、生活を共にすれば様々な面が見えてくると思います。 非日常的な妄想が強いマゾほど、ドミナの日常的な部分は目にしたくないという思いもあります。
悪く言えばメッキが剥がれて幻滅するというような事態も考えられるわけです。

 奴隷がドミナに幻滅するなどあってはならない事です。

 これはドミナに対して、過剰な思いを抱いている奴隷の側に問題があります。
ドミナが自然に振る舞うのは当然の事で、奴隷の偶像視に付き合って自分を作っていてはお疲れになってしまいますし、それでは主客転倒です。

 ですから僕の女性支配の理念はあくまでも一定の距離を置いた片想いが基本です。

 報われる事がなくても愛情を注ぎ続ける純愛です。 僕は“純愛マゾヒズム”に強く憧れているのだと思います。

 しかし、この作品で描かれているようにライトな主従関係を目指すなら、女王様との結婚もアリかなとも思います。 少なくともノーマルな女性と結婚して、満たされない思いを抱いて悶々と暮らすよりは幸福な人生と言えそうです。

 結婚生活における主従関係はSEXのスパイス的な意味合いとして考えるならば、十分夫婦間の潤滑油になり得るのでしょう。
 
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 ところで、この作品タイトルに物言いをつけるわけではありませんが、マゾを一括りにしているのは少々気になります。
M男の性格も個性も多種多様だという事は注意したいところです。

 果たしてマゾ男性は女性に対して従順なのでしょうか?

 僕は、男性マゾヒズムは単なる性的嗜好であって、その人の人間性とは無関係だと考えています。
このブログをご覧頂いているマゾ男性には申し訳ありませんが、M男ほど自己本位でわがままな人種はいないのではないかとさえ思っているくらいです。

 ピンクちゃんねるのSM板やホスラブ等の掲示板に書き込まれる女王様がたに対する悪口雑言の数々。 そこには女性崇拝の精神の欠片もありません。 それらを読んでいるだけでもM男が女性に従順だなどとは到底思えないのです。


 自らの性的嗜好に固執するあまり、女性の気持ちまで思いが至らないエゴマゾたち。
 SMクラブの女王様に過剰なサービスを要求し、叶えられないと不満を爆発させるお客様マゾ
日常では女性蔑視や差別傾向が強い逆転マゾ等々。一癖も二癖もありそうな人種がM男ではないでしょうか?

 かくいう僕も自分の中に燻り続けるエゴマゾ面といまだに格闘し続けているのです。

 六反りょうさんの旦那さんは、たまたま“性格の優しい、女性に従順なマゾ”だった。 あるいは“マゾヒスト且つ女性崇拝者”だったのではないかと思います。

 ただ、この女性崇拝者というのも全ての女性を対象に崇拝しているとは限りません。
美人だけを崇拝している者もいれば、知的な女性や若い女性限定で崇拝している者もいるかもしれません。
大抵は自分が女性と認識できる範囲の中で崇拝しているのだと思いますが、それも裏返せば女性差別や女性蔑視と言えなくもありません。

従順なマゾ亭主を持ちたいと望んでも事はそう簡単ではありません。
M男は掃いて捨てるほどいますが、実際に六反さんのご亭主のような誠実なM男性を見つけるのは至難の業かもしれません。

作中では若い女性は皆、S男性の方を支持していますが、M男が不遇の時代から抜け出して
女性から愛されるようになるためには大きな意識改革が必要だと思います。

M男性の皆さん、S女性様に愛して頂けるようなるべく自我は抑えて、日々奴隷の精神で女性に尽くしましょう!

“ドミナのお喜びは奴隷の喜び!”
この精神があればS女性様とのfemdom的結婚も成就し、幸せな奴隷人生を歩めるかもしれません。


 亭主元気でマゾがいい! 〈クリックすると掲載ページに飛びます〉


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奴隷記念日

 早いもので、ご主人様と僕が奴隷契約を交わしてから明日で2周年を迎えます。
2013年8月26日。 この日は僕にとって奴隷記念日なのです。

 ご主人様に始めてお目にかかったのが2011年の8月5日。 あの震災があった年です。
すでに4年の歳月が経過しました。

 この4年間で僕はマゾヒストとして大きな意識改革を遂げました。
単なる性癖であったマゾヒズムはいつの間にか僕の人生の全てになっていたのです。

奴隷契約から2年間、僕は常に支配者であるご主人様の事を思い、その存在に感謝の念を抱いて生活してきました。 それはこれからも生涯変わることはありません。

 長らくSMを愛好し、理想のパートナーを探し求めていましたが、ご主人様と出会うまでは自分が女性と主従関係を結ぶなどとは思ってもみませんでした。

 それまでの僕にとって、SMは“美しい女性から与えられる肉体的苦痛の享受”だけが目的でした。
この出会いがなければ一人の女性を信仰の対象のように崇めることもなかったでしょうし、マゾヒストとして生まれながらマゾヒズムの真髄に触れることなく人生を終えたことと思います。

 以前の僕は、自分が好む美女ならばお相手は限定されていませんでした。
個人との主従関係を欲していたわけではなく、容姿とプレイのバランスが取れた最上級のS女性と巡り会う事を夢みて、探求を続けていたのです。 

 それがご主人様との出会いにより“ただ貴女様だけに!"という思いが芽生え“貴女様だからかしづきたい!"と願うようになりました。

 ご主人様とのセッションを重ねるうちに徐々にそういう思いに変容していきました。

  肉体的苦痛よりも精神的支配を望むようになったのです。

 昨年の奴隷記念日には、ご主人様の所有物であるという証にお尻に焼印でお名前を刻んで頂きました。 “貴女様だけに”という願いが結実したのです。
これは奴隷として最も歓喜した瞬間でした。 もちろんそれは今も持続しています。

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 今年は特に大きなイベントの予定はありませんが、明日はご主人様のお足下に平伏し一緒に過ごさせて頂く予定です。

 前回ご調教頂いた際、僕の不注意から負ったペニスの傷の回復が、思いがけず長引いてしまいました。
10日ほど前にその事をご主人様に伝え、1週間ほどご調教の延期をお願いしたところ叱られてしまいました。

「記念日はどうするの?」

 8月26日が奴隷記念日に当たるため、ご主人様はこの日にご調教日を合わせようとご多忙の中、スケジュールを調整して下さっているのです。 ただ、今年は事前に「26日は予定を空けるのが難しいので27日になるかも」と伺っていたので、浅はかな僕は“それなら傷の回復を待ってご都合のよろしい日に・・・”と思ったのです。

 ところが、ご主人様は「せっかくの記念日だし、ペニス責めは無しでもいいから」と26日にご都合をつけて下さいました。

 僕は、勿体無くもご主人様がこの日を大切に思って下さっていたことを改めて知り、感涙に咽んだのでした。

 foot lick

ご主人様と交わした奴隷契約書には奴隷契約の解除についても触れています。 これは当然ながらご主人様にのみに与えられた権限であり、奴隷の廃棄、譲渡は自由に行えるというものです。

 もとより僕はご主人様に生涯を捧げた奴隷の身ですから、奴隷契約の解除を願うはずもありません。それは一番恐れていることなのです。

  許されることならば残りの生涯をかけてお仕えしたい。
  いつまでも僕の頭上に君臨していて戴きたい。

  奴隷解放記念日というのがありますが、もし、ご主人様に解放されることがあるとしたら、それは僕にとってマゾヒズムの終焉を意味します。

 ご主人様のことを思うとき、女性として幸せになって頂きたいという思いもあります。
いずれ、僕が奴隷としての役目を終える日が来るかもしれません。
 
 しかし、今は出来るだけ永くこの幸せが続いて欲しいと願っているのです。 

  明日は、より厳粛な気持ちでご調教に臨もうと思います。


足下に かしづくことを 許されて 8.26 (ハチ ニー ロク)は 奴隷記念日

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やらせマゾからの脱却

 公共放送にやらせ疑惑が浮上し、クローズアップされています。
昨今ではやらせを強要された一般人が、SNSなどを通じて暴露するケースも増えてきました。

 川口浩探検隊の昔からTV業界にやらせが多いことは薄々気づいてはいましたが、ニュース番組の街頭インタビューに答える一般人の映像にすら、エキストラが仕込まれていると知った時はちょっとした衝撃でした。
ドキュメンタリーやニュース、バラエティ、情報番組等々、ジャンルや内容の硬軟に関わらず、業界では過剰演出やヤラセがごく当たり前のように行われているようです。

 “興味を引ければなんでもあり”という視聴率至上主義がテレビをつまらなくし、視聴者離れを加速させている事に業界人はそろそろ気がつくべきでしょう。

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 「マゾヒズムに花束を!」最近のエントリーでは、このヤラセ問題に絡めてSMの虚構性について語られています。

 SMは“マゾヒストが意図する結論なり予定調和が想定されている一種のやらせである”とマゾ花の管理人homerさんは分析しています。 homerさんは自らを仮性マゾと位置づけ、常に一歩引いた冷静な目線でご自分の性癖を見つめられているようです。

 実はこれは僕にとって、とてもタイムリーな話題でした。
ご主人様との主従関係において、できるだけこのやらせ臭を排除したいと苦悩していたからです。

 確かにSMプレイは、M男性の妄想を具現化するためのやらせに過ぎないのかもしれません。
そこには女王様の意図よりもM男性の意向が色濃く反映されています。 女王様がイニシアティブを握っているようで実はM男性の側がコントロールしているという図式は、マゾ花で過去に何度も語られています。 homerさんはこれを茶番劇と呼んでいます。

 ゼヴェリーンがワンダを自分好みのドミナに仕立て上げたように、M男性はSMクラブの女王様に理想のS像を演じてもらいたいと望んでいるのです。

 もう一年以上前になりますが、ある女王様のTweetが今も心に残っています。

 「また会いたいな、このマゾ好きだなって変態は悲しきかな別の女王様に通ってしまってたりする。選ぶのはM男側。」

 「私に飽きたり至らないとこがあればすぐにどっかいっちゃう。主従関係って簡単に壊れちゃったりする。短くて一時間。寂しいし嫉妬しちゃうし、むかつく。」


 そんな風に自らの思いを呟いていらっしゃいました。
営業的な関わりとは別の、女性らしい感情を吐露したこの女王様の呟きが僕にはとても可愛らしく愛おしく思えました。

 これまで女王様のこうした心情に目を向けた事はなかったので意外にも思えましたが、この呟きにもM男側に選択権や主導権がある事に対する矛盾や苛立ちが伺えなくもありません。

 しかし、これは致し方ないことだとも思います。 SMクラブはM男性のファンタジーを実現するテーマパークのようなものです。 ここではM男がゲストで女王様はあくまでキャストなのです。

 茶番劇であるからこそ女優である女王様選びはより重要なのかもしれません。 好みの容姿であるか、自分との相性は合うか。 どんなSM観を持っていて、プレイのスキルや質、サービス精神はどうなのか?

 事前のカウンセリングやストーリープレイにおけるシナリオなどは全てM男性の願望をスムーズに実現する為の段取りに他なりません。

 熟練した女王様は、言葉責めによるコミュ力や鋭い観察眼でM男性の願望を見極め、苦痛に対する許容度を探りながらスムーズにプレイを進行していくのでしょう。

 時には慎重を期する為に、事前にセーフティーワードを設定したりもします。 全てのお膳立てが整っていれば、M男性も安心して女王様に身を委ねる事ができるわけです。

 演出家気取りのM男は自分の思わくどおりに事が運ばなかった場合、その女王様を“地雷”認定します。 そして女王様はあまりにも自分本位なM男を“エゴマゾ”と呼んで嫌うのです。


 僕はかつてプレイの内容や進行、時間配分まで事細かく女王様に指示を出していました。 たとえば鞭打ちの場合、強弱のつけ方から打つ部位、回数に至るまで指定するといった具合です。

 シナリオを持参すると「やって欲しいことを全部書いてきてもらえて助かる」と喜んでくださる女王様もいれば、「これ全部順番通りにやるの?」と半ば呆れられる女王様もいました。

 僕はまさにやらせマゾエゴマゾそのものだったのです。 全てが予定調和であり、ハプニングは起こりません。
お相手の女王様がどう思われていたのかはともかく、僕はそれで充分満足していました。
すでに自分なりのMの世界観が確立されていて、そこから外れることを極端に嫌っていたのです。

 当時の僕は、主従関係には興味がなかったので、SMに精神性は求めていませんでした。 ですから裏返せば鞭打ち一つとっても深いところまで踏み込めずにいたのだと思います。

 時間制限や細かいルールに縛られ、女王様の入れ替わりも激しいSMクラブでの主従関係には限界があります。 僕が専らストーリープレイを行ってきたのも、ある意味合理的な選択だったと言えるかもしれません。

 そして多くのM男性達はかつての僕と同様に、束の間の非日常感に浸ることができればそれで満足し、再び現実の世界へと戻っていくのだと思います。

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 以前homerさんがご主人様と僕の関係を「あまりにも素晴らしすぎる女王様と巡り会うのも、奇跡にも似た災難と言えるのかも・・・」と表現されていました。 災難かどうかはさておき(笑)、僕はご主人様と巡り会ったことでそれまでと考え方が一変し、“非日常に留まり続けたい”と願うようになりました。 そして現実的に日常と非日常の境界がとても曖昧になってきたのです。

 ご主人様に初めて「専属奴隷になりたい」という願いをお伝えした時、ご主人様は「専属はM男にとってはマイナス面の方が多いわよ。 女王様の好きな事ばかりやられちゃうから。」と仰いました。 自分の妄想や欲望ばかり優先していた僕をけん制されたのかもしれません。

 しかし、それからほどなくして僕はご主人様の足下に跪いていました。 僕は頭を床に擦りつけながら、自分自身の心境の変化にとても驚いていました。

 それまで出会った女王様達との関係性と決定的に違う事。 それは僕が、ご主人様に熱烈に恋をしてしまったという事でしょうか。


  好きな女性の為に尽くしたい。好きな女性に喜んで頂きたい。

 思春期のようなピュアな恋心がどんどん膨らんでいき、やがてご主人様を崇拝の対象として捉えるようになりました。
そして生まれて初めて、目の前の麗しい女性の奴隷になりたいと思い詰めるようになったのです。

 支配者に対する敬意や崇拝心があってこそ初めて真の主従関係は構築されます。 それを教えて下さったのは、ご主人様でした。

 ご主人様好みの奴隷になりたい。その為には自分の欲望は二の次でも構わない。

 奴隷契約書を締結してから、僕は全ての権限をご主人様に移譲しました。 シナリオを捨て、プレイと呼ぶのはやめて、ご主人様のご命令に従うことを第一に考えるようになったのです。 調教時間や調教内容、調教の流れは全てご主人様が主導されるようになりました。

 しかし、それでもなお、そこはかとなく漂うやらせ臭。


 ある時、ご主人様が大きなレジ袋を抱えられてホテルにお出でになりました。 僕は「いつもより豪勢なお食事かな」と思って、特に気にも停めませんでした。

 ご調教の半ば、僕はラップで全身をグルグル巻きに拘束されて床に転がされていました。
 
 ご主人様はベッドに腰掛けて、何をされるのか分からずに不安そうな表情を浮かべている僕を突き放すような視線で見下ろされています。

 そして先ほどのレジ袋の中から大きめサイズのプレーンヨーグルトを取り出されるとお口一杯に含まれ、僕の顔めがけて吐き出されたのです。

 ビシャビシャと飛沫を上げながら、ご主人様の唾液を含んだ高貴な液体が僕の顔面を覆います。 いつも咀嚼物を頂く時は的確に口の中に落として下さるので、様子が違うことはすぐに察しました。


 僕は口の周辺に溜まった分だけでも飲み込もうと懸命に舌と口を動かしました。
しかし、すかさず次の攻撃が僕の顔面を襲います。

 「どうしたの?私から頂くエサが食べられないの! ?︎」

 ご主人様の楽しそうな笑い声が聞こえてきます。

 飲み込む間も与えられず、次から次へと早い勢いで吐き出されるヨーグルト。

 目や耳や鼻の穴にも容赦なく入り込んできて、僕は息苦しさにもがいていました。
ご主人様はそんなことはお構いなしに、容器を傾けて残っている分を直接僕の顔にかけ始めます。
僕は頭を起こして首を振り、顔面を覆ったヨーグルトを振り落とそうと必死に抵抗しました。

 すると今度は袋から大きなトマト缶を取り出して開封され、止めを刺すようにそれを至近距離から僕の顔面にブチまけられたのです。

バシャバシャバシャ!

 酸味の強い液体と潰れたトマトが顔中にまとわりつき、額や髪や首筋を不快な感覚が伝います。

 「ブハァ、お、溺れる!!」

 僕は陸に上がった魚のように不自由な身体をくねらせ、口をパクパクさせました。

 粗相ばかりで役立たずの奴隷が、ご主人様のお手によって処分される瞬間が訪れたのでしょうか?

 目に染みて視界はぼやけ、ご主人様の表情はよく分かりません。 そのことが僕を一層不安にさせました。 舌を動かし呼吸を確保するのがやっとの状態だったのです。

 やがてご主人様の責めが止み、力尽きた僕は荒い息づかいで薄目を開けてボンヤリと天井を眺めていました。

 ご主人様は、そんな僕を覗き込むようにして
「お前は私の専属奴隷と言いながら、結局自分の好きな事ばかりやってもらってるじゃない!奴隷なら私のやりたい事も受け入れなさい! !︎」と叱責されたのです。

 僕はそのお言葉に衝撃を受け、返す言葉もありませんでした。
その後 拘束から解放され、茫然自失のままシャワーを浴びにバスルームへと向かいました。

 確かにそうなのです。それは僕が元々はSMクラブの客で、現在の調教も当時のプレイの延長線上にあるからなのだと思います。 ご主人様は僕のMのツボを熟知されており、調教もそこを責めることが基本になっています。

 突然のハプニングとその後のご主人様のご発言によって、僕は現実に引き戻されました。

 調教というのは本来、支配する側が奴隷を自分好みに飼い慣らす為に行われるものです。 ご主人様がご不満を感じられるのも無理はありません。

 僕は奴隷としての意識改革を迫られていました。
ご主人様のご意思によるご主人様主導のご調教を展開して頂きたい。
ゲストだった時のような、独りよがりの暴走だけは慎みたい。


 しかし、ご主人様も一本鞭や火責め等のご調教を楽しんで下さっているのは事実だと思います。 最初は僕のシナリオに動かされていたかもしれませんが、ご主人様のスキルアップによって、今では僕の方がやっとの思いでついていっているような状態です。 ご本人からもこれらはお気に入りの調教だと言って頂いています。

 もちろん僕の方も、ご主人様が必要と思われるご調教を受け入れる覚悟はあります。 WAMは僕にとって初めての経験でしたが、予定調和から外れた調教は新鮮な驚きと喜びがありました。

 ご主人様の奴隷にして頂いてから、僕はマゾヒストとして常に成長を遂げたいという思いが芽生えました。
これまで苦手としていたアナルや尿道責めなどの調教もご主人様からお受けできれば必ず克服できると思うのです。

 しかし僕はマゾヒストである前にご主人様の奴隷ですから、ご主人様がそれらの調教を望まれないのであれば仕方ありません。

 僕の方もエゴマゾを返上しようと少しずつではありますが、自己改革に取り組んでいるのです。

 例えば苦痛が自分の限界点を超えても、音を上げないよう歯を食いしばって踏ん張るようになりました。
以前、ご主人様は「マゾの許容を少し超えるくらいまで責めると自分の奴隷という感じがするね」と仰っていました。 

 マゾが自分のために頑張ってくれているとドミナとしての自覚や喜びが湧くのでしょう。 しかし、ゲストが相手だと常にやり過ぎてしまわないよう配慮が必要になります。
僕が真の奴隷を目指すならここは頑張らなければならないところです。

 次に、ご主人様の生理的欲求に従って人間便器としてご使用頂いている事は前項にも書いた通りです。 クラブ通いの頃は黄金プレイのオプションを付けさせて頂いていましたが、奴隷のために排便の調整をして頂くということには違和感を覚えます。 ゲストだった頃はそんなことすら気がつきませんでした。

 現在、小用としてはストレスなくお使い頂けていると思いますが、大用としてはまだまだ多くの課題が残されています。 より快適な専用便器としてご使用頂けるよう精進したいと思います。

 また、ご主人様は奴隷の口や舌を使ったご奉仕は好まれません。
ドミナが望んでいないことをご奉仕と呼んで強要するのはやらせと言えるかもしれません。 ですから現在はご使用済みの膣洗浄水や、おみ足を洗浄した後のお湯などを飲ませて頂いています。

 ただ、僕はコアな足フェチなのでご主人様の魅力的なおみ足を前にして、どうにも我慢ができなくなる時があります。
奴隷の唾液でご主人様を穢したくないという思いと自らの性癖の間で激しく葛藤し、苦悩しているのです。 そんな時は洗浄前に片足の親指だけ舐める事をお許し頂いてます。

 ご主人様のお履物の裏を舌で清掃させて頂く事でご奉仕の喜びを得られるようになればエゴマゾ卒業も近いのでしょうか。

 さて、そんな未熟な奴隷の僕がご主人様に対して唯一ご奉仕と呼べるのは、心を込めて全身マッサージをさせて頂く事です。 これは毎回大変お喜びを頂いています。

 ご主人様からお褒めの言葉を授かると、“奴隷としてお役に立てたのだ”という望外の喜びに包まれます。

 鞭打ちやケイン、性器責め等のご調教で、僕が苦しみながら必死で耐えているとご主人様は心の底から楽しそうにして下さいます。 その笑顔や笑い声が励みになってもっと頑張ろうという気持ちが湧き起こってくるのです。

 そう、ご主人様のお喜びこそが奴隷の喜びなのです。そしてこのお喜びが奴隷の成長を支えて下さっています。

 ここに主従関係の不変の真理があるような気がします。

 他のドミナがお相手だったら音を上げてしまうような厳しいご調教でも、ご主人様だから頑張れるのです。

 今 僕はやらせマゾから脱却するために足掻いています。
やらせを全否定してしまったらSMは成り立たないことはわかっていても、僕には少しでもリアルな奴隷に近づきたいという思いがあります。 そして、その事をご主人様も受け止めて下さっています。

 自己本位な欲望を抑えご主人様のご意志を尊重する気持ちを持つことで、少しずつですが主従関係の形ができ上がってきているような気がするのです。

 僕は単なるやせ我慢をしているだけに過ぎないのかもしれません。 あるいは別の形で自己の被虐願望を充足させていると捉えることもできるでしょう。 はたから見ればこれらも全て茶番に映り、滑稽に思えるかもしれません。

 それでも僕は様々な矛盾を抱えつつ、今後もやらせマゾから脱却したいと足掻き続けると思います。
そこには大切なご主人様への思いがあるのです。

 ご調教の日程が決まると、毎回ご主人様から「すごく楽しみにしてる♩」というありがたいお言葉を頂いています。 そしてご調教が終わった後も「とても楽しかったね!」というメールを下さいます。

 ドミナと奴隷の双方がご調教を最大限に楽しんでいるという事はとても重要なことだと思います。 マゾヒストとして生まれた僕にとって、ご調教はM修行の場であり、ご主人様と愛情を交換する機会であり、唯一の生きがいであります。

 “ご主人様のお喜びは奴隷の喜び! !︎”

 今後もこの思いを深く胸に刻んでご主人様の奴隷として生きていきたいと思っています。

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女性器アーティストの聖戦

 
 漫画家で女性器アーティストのろくでなし子嬢が表現の自由を求めて、警察権力に性戦を挑んでいます。

 昨年、女性器を型どったボートを製作する目的で寄付金を募り、協力者に謝礼として自らの女性器の3Dデータを頒布したとして逮捕。 容疑は「わいせつ電磁的記録媒体頒布」という舌を噛みそうな名称でした。

 以前から“デコマン”と称する女性器を型取りしたポップアートの作品展や、女性器グッズ等の製作販売を行っているのを見ていた僕は「ユニークな感性を持った女性だなぁ^o^」と注目していました。

 御歳42歳だそうですが、童顔で中々愛らしいお顔だちをされています。

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 処分保留のまま釈放された彼女は、表現者であるがゆえに逮捕や勾留の際の“警察の横暴や欺瞞”を漫画や講演会、マスコミ取材などを通じて訴え「漫画のネタもできて連載も決まり、海外から取材もたくさん受けられてよかったことだらけ」などと挑発とも取れる発言をしていました。

 それが警察の逆鱗に触れたのか、今度は猥褻物公然陳列の容疑で再逮捕。

 “女性向けアダルトショップ”という特殊な場所で、猥褻物と認定するにはいささか疑問が残るアート作品展示を巡っての逮捕劇は、海外メディアをも巻き込んで各方面で物議を醸しています。

 マスコミも“自称・女性器アーティスト”として報道するあたりにお得意の情報操作を感じます。

 「そんなもん誰もアートとは認めてないから!」というわけですね。

 しかし、女性器をモチーフにした彼女の創作活動は、逮捕前から他ならぬマスコミ自身によって世間に周知され、多くのファンを獲得していたわけですから今さら“自称”とするのは無理があります。

 さらに再逮捕後には各紙「芸術家」と言う表現を排除し、漫画家と言う肩書きで紹介しているようです。

 松沢呉一氏によるとこれには再逮捕前、東京芸大辺りからも ろくでなし子支持の声が上がり始めた為に、そうした声を警戒する警察の意図を感じるそうです。

 そして、改めて猥褻の標的をアート作品に移しての再逮捕も、女性器を型どった造形物を猥褻と判断した過去の判例を踏まえて 3Dデータより言い逃れ出来ないと考えたからだろうと推測しています。

 捜査関係者の話によると、ろくでなし子さんは「取り調べでも直截的な3文字表現を使って自論を主張していた」為、供述調書がマ○コという表現で溢れたのだとか(笑)

 東京地裁の「勾留理由開示公判」でも同様の3文字表現で意見を述べて、裁判官に怒られた一幕もあったそうです。

 いや、このブレなさはすばらしい^ ^

 今回、彼女は起訴されたので、またぞろ猥褻か表現の自由かの線引きが、法廷で争われる事になりました。 しかし、日本の裁判は起訴されると99.98%が有罪とされている為、かなり厳しい戦いになる事は明らかです。

 映画、文学、写真、絵画、彫刻、コミック、アート作品等々。 およそ芸術と呼ばれるほとんどの分野で過去に猥褻を巡る論争が起きています。

 彼女は一貫して“女性器は手足と同様に私の身体の一部。私の身体は猥褻じゃない"と主張をしています。


 ろくでなし子さんが仰るとおり、女性器不浄でもなければ猥褻でもありません。

 女性器を卑猥だと感じる人間の意識が猥褻なのだと思います。


 女性器はマゾヒスト男性にとって、敬愛する女性の身体の一部分というだけでなく、いわば女性崇拝の要とも言うべき神聖な場所です。

 その神秘性には多くのマゾ男性達が憧憬と畏敬の念を抱いています。

 しかし、男性器に比べると女性器はタブー視されてきたばかりではなく“不浄な物”という不当な扱いを受けてきました。

 その呼称口にするのも憚られるという様な風潮がずっと続いてきたわけです。


 では何故女性器は今日までタブー視され続けてきたのでしょうか?

 これは女性器激しい畏れを抱いていた男達の陰謀ではないのか?∑(゚Д゚)

 男達は新たな生命を宿す能力を持った女性達に潜在的な恐怖を感じていたのでしょう。

 古来から女性器には魔除けの様な力が備わっていると考えられていたようです。

 神話や民話でも化け物を喰らうとされる女性器の伝承が残っています。 膣に歯牙が生えていて男根を喰いちぎるヴァギナ・デンタータの伝説も世界各地にあります。

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 これらは女性器恐怖顕在化したものではないでしょうか?

 まるで女性器が底知れない闇へと繋がっている入り口であるかのごとく語られてきたのです。


 女性器はグロテスクで恐ろしい怪物ではなく、神々しい女神達の核心です。

 その美しい形状はこの世で最もアーティスティックエロスに満ち溢れています。

 ろくでなし子さんの創作活動の根底にあるのは女性器の復権です。

 “もっとポジティブに捉えてオープンに扱おうよ”という事なのでしょう。

 しかし、単に一マゾヒストの見解ではありますが、僕には“神聖”であるからこそある種の秘匿性も必要ではないかという思いがどこかにあります。

 それは卑しいものだから隠蔽するのではなく、神々しいものだから秘匿されるのだという捉え方です。 

 御神体は人目に晒されることなく本殿の奥に秘匿された方がより神秘的で価値あるものとなります。

 ドミナは奴隷の面前でみだりに全裸になったりはしません。 それは恥じらいからではなく奴隷ごときにむやみに拝観させるものではないという意識の表れです。

 対して、奴隷は着衣を許されず醜い男性器を晒し、卑小な存在としてドミナの足元に這いつくばるのです。 

 唯一奴隷を物として扱う時、ドミナは奴隷の顔に跨がります。 便器ビデに対して恥じらう女性がいないのと同様です。

 下から見上げる女性器は神々しくて眩しいです。
 無遠慮に直視するのは躊躇われるので、迸り出る神の水を飲み干す事に神経を集中させます。

 それはドミナにとってただの生理現象であっても、奴隷にとっては崇高な儀式です。 神の様に崇めるドミナの中心が恵んでくださった水は、奴隷の穢れを浄化してくれるのです。


 家畜人ヤプーのラストシーンで、イース帝国の住人となったクララはイース青年ウィリアムと婚約します。 そして今はヤプーとなったかつての婚約者リンに地球面に戻る最後のチャンスを与えます。 しかしリンはそれを拒み、クララに隷属してでもイースにとどまりたいと哀願するのです。

 クララは両の足を開き、その中心部を指差してこう言います。

 “お前はあたしのここに仕えるんだよ。”

 リンは「本望です。あなたのそこに仕える為に私は生まれたんです。」とその部分へ崇敬の眼差しを向けるのです。

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©石森プロ

 女性器への隷従はマゾヒスト男性の本懐です。

 権力に猥褻物などという下卑た表現で貶めて欲しくないと願っています。

 今後、難しい裁判を闘うことになるであろうアーティスト・ろくでなし子さんのご健闘をお祈りしています。


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主と従の構図

 この昭和テイスト溢れるミストレスフォトは、古い「SMコレクター」誌に掲載されていたものです。

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 20年位前、とある古書店で何気なく「SMコレクター」をめくっていたところ、この写真が目に飛び込んできました。 M男向けのグラビアというと、昔からモデルの女性がS的なポーズをとっているだけのソフトな内容のものが多かったのですが、これはフェティッシュでありながらも肉体的にはかなりハードな責めである事が推測されます。

 梁に獣の様に四肢を吊られているだけでも相当きついと思いますが、ここでは人間ハンモックとしてドミナをお乗せし、自らの体重も含めると100キロ前後の荷重に耐えていると思われます。

 そんな奴隷の苦痛など一切意に介さず人間ハンモックに全身を委ね、煙草を吹かしておられるドミナの表情がとても素敵です。 ドミナのおみ足が奴隷の顔面を蹂躙しているのもとてもよい感じです。 浮遊した状態で首にお尻を乗せて体重をかけるのはさすがに危険だったからでしょうが、返ってこちらの方が興奮を誘います。

 ドミナの柔らかな素肌温もり、そして足裏から放たれる甘美な芳香に陶酔することで奴隷の苦痛も軽減されていることでしょう。

 主と従の力関係を見事に体現したこの構図に目を奪われた僕は、プレミアム価格で掲載誌を購入しました。

 ドミナの快楽の為とあらば、たとえ五体がバラバラになろうともその身を捧げるのが奴隷に課せられた使命であり、唯一の存在価値と言えるでしょう。

“奴隷の苦痛がドミナの快楽に転化する”
 この写真は女性支配における主従関係の本質を示唆している様に思います。

 その後、偶然見つけた同じ様なシチュエーションの一枚。 これもSMコレクター誌に掲載されたものです。

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 断定はできませんが、男女とも上の写真と同じモデルさんの様に思われます。
こちらは膝と手首、背中の一部に縄がかけられてブランコの様な状態でドミナをお乗せしています。  この状態で前後に揺られたら奴隷の苦痛は倍加するでしょうが、その分ドミナは童心に返って無邪気に楽しめる事と思います。

 うっ血した両の手足、関節がギシギシと音を立て、腕が抜けそうな苦痛に耐えながらも被虐に陶酔している奴隷の様子はなんとも羨ましい限りです。

 ハンモックは日本ではあまり普及していませんし、家具と呼べるのかどうかは微妙ですが、もしご主人様のhuman furnitureとしてお役に立てるのならぜひ人間ハンモックになりたい。

 大掛かりな吊りができるのはアルファイン位しかないでしょうが、体力が衰えないうちに是非とも経験してみたい責めです。

 femdom artの春川ナミオ氏の作品にも人間ハンモックをモチーフにしたものが見受けられます。  豊満な肉体を持った女性達を2人も乗せたものや、華奢な老人が顔面で豊臀を受け止めているものなど、これらは死を覚悟しなければ実現は不可能だと思いますが、マゾヒストとしてはとても憧れます。

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 顔面騎乗ポニープレイストンピング等々、男性の身体の上に女性が乗る行為はマゾヒズムの基本であり、悦虐の真髄でしょう。

 沼正三氏の名著「家畜人ヤプー」の中にも人間ハンモックが登場するシーンがあります。

 身体をうつ伏せにした状態で手足を四方に吊られている麟一郎が、四肢に激しい痛みを感じ失神から目覚めます。

 ハンモック状に吊られた彼は、畜人の身体を使って支える長椅子(ソファ)としてクララの全体重をもろに受けていたのです。

 クララはそんな事は知らず、麟一郎の後頭部に足を置いてまどろんでいます。

 痛みに耐えかねた麟一郎はクララを拝し祈ることで束の間、苦痛から解放されます。

 彼は苦痛から逃れるために、神に対し祈念する様にひたすらクララの名を唱え、祈り続けるのです。


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 獣吊りも相当に厳しいですが、これは逆エビの態勢で吊られている上に身長173センチ、体重58キロの大柄なドイツ人女性の荷重を受けているのです。  その苦しみから解放されるのであらば支配者の名前を祈念し続ける気持ちも理解できます。

 僕のご主人様は鞭打ちをスポーツの様に楽しまれます。 奴隷を手加減することなく打ち続ける事でとても爽快な気分になられるとの事です。 僕はご主人様の快楽の為に必死で痛みに耐え続けます。

 そして激痛を紛らわせるためにその美しいお顔を凝視し、ご主人様のお名前を唱え続けることがあります。 すると魔法の様に苦しみから解放され、痛みはやがて快楽へと転化していくのです。

 僕にとってご主人様はすでに神格化され、信仰の対象の様になっています。

女性の美というものは崇高でとても不可思議な力を備えているものだと思います。
マゾヒストはその気高く美しい存在の前に跪き続けるのです。


                          ◆      ◆      ◆

 さて、このブログも放置している間に一周年が過ぎ、新しい年を迎えてしまいました。
不定期更新にはなりますが、今年も続けて行こうと思っておりますのでどうぞよろしくお願い致します。


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トップとボトムの理想の関係

 
 「私達がもし出会っていなかったとしたら、今頃はお互いどうやって生きていたんだろう…」

 ベッドの上で、横たわった僕の鞭痕を観察しながら、ご主人様がポツリと呟かれました。

「意外と普通に生活していたのかなぁ。 私はぬるいSMで満足して…」

 その時、僕は言葉を飲み込んでいたけれど… “もしこの出会いが無かったら、今頃自分はメンタル面で通院する様な事になっていたかもしれないなぁ”と考えていました。

 ご主人様は、SMに関して仰られたのだと思いますが、それ以前にご主人様と出会った頃の僕は、精神面、体調面、仕事面、人間関係、生活環境の著しい変化等々…色々な意味でどん底でした。

 SMのブランクに入っていた5年間は、僕の人生で最も低迷していた時期だったと思います。
元来、おおらかな性格でメンタルは強い方だと思いますが、それでも当時はかなり参っていました。

 僕はご主人様と出会い、ご主人様を崇拝し、ご主人様の奴隷として歩み始めることで新たに生きる希望を見出したのです。

 だから、この出会いにはとても感謝しています。

 僕が想像していた通り、ご主人様はとても素晴らしい女性でした。
奴隷として残りの人生を捧げても悔いはないと思わせて頂ける、僕にとっては完璧なドミナです。

 主従関係に興味を持てなかった僕に、初めて女性に隷従する喜びを教えて下さいました。

 それまでSMクラブでのストーリープレイだけで満足していた僕は、ずっとSMの本質を知らずに生きてきたのです。

 ご主人様が“ぬるいSMで満足していた”のだとしたら、僕は相変わらず“上辺だけのSMで満足していた”のだろうと思います。

 いや、そもそもご主人様にお会いしていなければ、SMに復帰していたかどうかすら疑わしい…

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 「私達、もうどちらも一人では生きていけないね。」
 
 前回のご調教で、ご主人様は僕に微笑みかけながら、こんな事を仰られました。
僕は思わず「本当ですか!?」と聞き返してしまいました。

 もちろん、僕にとってご主人様はかけがえのない存在であり、僕はご主人様がいなければ生きていけない畜奴です。 でも、ご主人様からそんなお言葉を頂けるなんて思ってもみませんでした。
何気無く仰った一言だろうとは思いますが、僕は涙が出そうなくらい嬉しかった。

 ご主人様が、こんな自分を必要としてくれている…

 僕自身は最近特に、ご主人様のSの感性と僕のMの感性が、ピッタリとはまっているという事を強く感じていました。 進化したご主人様のS性を受け止められるMは自分以外にはいない。 そんな自負もありました。

 「一本鞭を振り切るようになってからは、バラ鞭では全然 物足りなくてつまらない。」
 「身体に直接火を押し当てていると、ローソク程度じゃ本気で熱がっているように思えなくなった。」

他のM男性とのプレイと比較されて、そんな感想を漏らされる様になりました。

 しばしば“ヌルい”という表現をお使いになられ、急激にハード嗜好に傾倒されている様に感じられました。

 僕との出会いでご主人様のS性大きく開花されたという事はあるかもしれません。 しかし、最初にお会いした時、すでにその片鱗は見えていました。 だからこそ、僕は初対面でご主人様の虜になったのです。

 ご主人様は、最初の出会いから、僕が完成形のハードマゾだったと思われていた様ですが、それは違います。 ご主人様と出会うまでは、ハードに踏み込めず、入り口辺りでウロウロしていたヘタレマゾでした。

 マゾヒストがどんどん深みにはまっていくのは、敬愛する美しき支配者の存在があるからです。
 
 僕はご主人様がお相手でなければ、肌を切り裂くほど厳しい鞭には耐えられませんし、もちろん身体に焼印を頂きたいという思いも起こらなかったと思います。

 そんな事をお話しすると「じゃあ相乗効果だね」と笑って仰います。

 無邪気で屈託無く、裏表のない性格で、おそらく実社会でも人からとても好かれるタイプの女性なんだろうなぁと思いながら、僕はその優しげな笑顔に見惚れていました。

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 何より、ご主人様に必要とされている存在でいられる事が奴隷としてとても嬉しい。

 トップとボトムの相性はとても良好で、お互いに成長しあえる理想の関係を築けているのではないかと思っています。

 僕は調教の内容に関して、パートナーに全権を委ねるのは初めての経験でした。
“今はご主人様の色に染められたい”とひたすら願っているのですから、エゴマゾだった僕も随分と成長を遂げたものです。

 ご主人様は厳しい鞭打ちで僕が泣き喚いていると、本当にコロコロと楽しそうに笑われます。

 「人が苦しんでいるのってなんでこんなに楽しいんだろう!」
 
 「それもよく知らない人じゃダメ。好きな人が辛そうにしている方が断然萌える!!」

(えっ!?好きな人?…ポアァ…♡(*゚▽゚*)♡←勘違い畜奴

 (この方になら責め殺されてもいい♡)

 大好きなご主人様にもっともっと喜んで頂きたくて、マゾは歯を食いしばって必死に頑張るのです。

 早いものでもうすぐ奴隷契約一周年を迎えます。

 次回の調教では身体にご主人様のお印を刻んで頂き、引き返すことのない専属奴隷への道を歩み始める事になります。

 人生のどん底から救い上げて頂き、一気に高みへと上昇するのですから、絶対に後悔することはありません。

 本日は、ご主人様と初めてお目にかかってから、ちょうど3年目の記念すべき日です。

ちょっとセンチメンタルなマゾヒストmugiでした。


お印を頂くまであと21日

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世界中の女王様に花束を!

 女王様という ご職業は、現在、性風俗産業にカテゴライズされています。 
 
 SMは性的倒錯であり、Mプレイのメニューにヌキのサービスが含まれている事からも、この分類は、ある程度は正しいと言えるかもしれません。 
 
 しかし、真性マゾヒストである僕にとって、SMクラブはソープやヘルスなどとは明らかに一線を画す、ある種聖域にも近い思いがあります。

 マゾヒズムは性嗜好異常の一種で、重度の場合は、精神医学において精神疾患と定義されています。
 そう考えるとマゾヒストにとって女王様は、心理セラピストの様な役割を担った職業と言えるのではないでしょうか。

 ご主人様から伺ったお話では、M客の大半はプレイ中には射精に至らず、ペニスに触れる事すら望まない客も多いのだそうです。 マゾヒストがSMクラブへ足を運ぶ目的は、自己の被虐願望を満たす為であって、射精は二の次なのだと思います。
 
 射精後に性欲の萎縮をもたらす賢者タイムは、マゾヒストにとっては疎ましい瞬間です。 人によっては、逝った途端、自らのM行為に対して自己嫌悪や後悔の念に陥る事すらあるのです。 

 また、たとえ短時間であったとしても、女性に冷めるという現象は、女性崇拝の理念に反しています。
 
 マゾヒスト達は、射精に至らなくてもリビドーを昇華出来ることを体感しています。 性的なエネルギーを発散する場ではあるけれど、必ずしも射精を必要とはしない。 SMクラブが、風俗業という括りに馴染まないと思う理由は、この辺りにあるのかもしれません。

2ちゃんねるのSM板を見ると、女王様に対する心ない書き込みが数多く見受けられ、とても驚かされます。
それらは侮蔑や差別に満ちていて、女性崇拝の精神のカケラもありません。
マゾ男性の書き込みとは到底信じがたい内容ですが、おそらくは比較的軽度なマゾヒストによるものだと推測します。

  僕は幼少時からマゾヒズムに目覚め、特に悩むことなく自らの性癖として受け入れてきました。 ブログのタイトルに込めた思いに偽りはありません。 

 もしも生まれ変わることがあるなら、再びマゾヒストとして生まれてきたい。 来世もまた、ご主人様と巡り合い、その支配下に置いて頂きたい。
 
 マゾヒズムは僕のアイデンティティとして確立しています。

 しかし、その性癖を他人にカミングアウトする事は生涯ないと思います。
 SMがオープンになったという風潮がありますが、マゾヒズムが本当の意味で社会的に受け入れられる可能性は、この先も皆無でしょう。
 
 身体が裂けるまで鞭打たれ、皮膚を焼かれ、女性の排泄物を食す事で性的快感を得るなど、常人が理解できる範疇をはるかに超えています。

 マゾヒズムの根幹にある自己犠牲的で献身的な思想は、美しい愛の形であるとは思いますが、社会的には差別を受け嫌忌されているのが現実です。

 この多くの迷えるマゾヒスト達を大いなる愛で救済して下さっているのが、プロの女王様がたなのではないでしょうか?
 
 社会から差別されているマゾヒストが唯一の理解者である女王様を蔑み、心無い書き込みを行う…たとえ一部のマゾヒストの仕業であったとしても、その事に大きな違和感を覚えます。

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もし、この世に女王様という存在がなかったとしたら…そう考えると本当にゾッとします。
僕は、やり場のない被虐願望に押し潰されて、廃人になっていたかもしれません。

今の時代はドMなどと言う言葉が浸透していますが、一般の女性が、真性マゾヒストを理解し、その全ての願望を受け入れるのはとても困難な事です。

今はベテランとして活躍されている女王様方も、新人だった頃はマゾヒストの百種百様の変態願望や、その心の闇に衝撃を受けた事と思います。 

軽い気持ちで業界に飛び込んだとしても、適性が無ければ長く続けられるお仕事ではありません。 女王様が楽な仕事だと勘違いしている人も多いですが、精神疾患とまでみなされる変態の相手が楽なはずはありません。 変態を理解し、長く従事して頂ける女王様はマゾヒストにとって、とても貴重で大切な存在です。


 天野哲夫氏は「ある異端者の随想録」の中で“女子寮に侵入したコソ泥が、若い女性達から散々暴行を受けた挙句、警察に引き渡された”という新聞記事を紹介していました。 
 天野氏は、コソ泥が、金目の物など一切無いと思われる女子寮に侵入した真の目的は、若い女性に捕えられる事ではなかったのかと推測しています。
 
 また、ノゾキ目的で汲み取り式トイレの便槽に忍び込んだ男の話にも触れていました。 しかし、これも真の目的はノゾキではなく、女性の糞尿を浴びるためではなかったかというのが氏の見解です。

 確かに変態願望を受け入れてくれる場所がなかった時代には、マゾヒストフェチストが、こうした犯罪に走るケースも少なくなかったのではないかと思われます。

  抑えきれなくなった衝動は、いつかは爆発するものです。

 M男の多種多様の性癖を全て受け止めて下さる女王様がたは、心の広い慈愛に満ちた女性達だと思います。
自己の変態願望を臆面もなく吐露できるのは、相手がプロフェッショナルの女王様だからこそです。

僕は、世界中の女王様の存在に心から感謝しています。

 そして多くの真性マゾヒスト達は、同様の思いを抱いていると信じます。
 僕らの心を救う事が出来るのは、敬愛し、お慕いし、お仕えする女王様しかいないのです。

世界中の女王様を職業とされている女性達に心から感謝を込めて、花束を捧げたいと思います。

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プロフィール

mugi

Author:mugi
踏みつけられて、より強く丈夫に
育つムギの様でありなさいと
ご主人様が付けて下さった奴隷
名です。なんという素晴らしい
ネーミングセンス!
しかも音の響きも可愛らしい。
ビールが大好物の僕にピッタリ!
とても気に入っています(*^o^*)
馬派(苦痛)・犬派(奉仕)・豚派
(便器)全てのM性癖を持ち合わ
せたオールラウンダーな変態を
目指しています。

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