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少年hの恥戀 〜マゾヒストたちのヰタ・セクスアリス〜

 マゾ花の最新記事(4月16日現在)でhomerさんから無茶振りされてしまいました(>_<)

顔面騎乗のオーソリティに本文中でご指名を頂き、顔騎に関するコメントを求められたのはとても光栄で嬉しかったのですが、さて何を書いたらいいものか迷ってしまいました…

 そういうわけで今回のエントリーはマゾ花の「顔面騎乗の想い尻」に寄せるコメントのつもりで書き始めたのですが、書き進めるうちにいつもの悪い癖でテーマから脱線してしまいダラダラと長くなってしまった為、急遽コラボ記事に変更しました。

 (まずは「マゾヒズムに花束を!」の「顔面騎乗の想い尻」をお読みになった上でこちらの記事をご覧下さい。)

マゾ花の方にもコメントしておりますので合わせてお読み頂ければ幸いです。



 『顔面騎乗の想い尻』 


 “恥の多い生涯を送って来ました”


 いいフレーズですね^ ^

 この記事に書かれているのはまさしくhomerさんの尻フェティシズムの原体験であり、人生初の顔面騎乗体験です。

これぞまさに恥戀(はじこい)。 素直に羨ましいです。

 確かに小学校低学年くらいまでは、まだお互いの性差を意識することなく、男女が一緒になってキャーキャーとじゃれあっていた記憶があります。  幼い女児が男児に馬乗りになったとしても、また偶然その小さくて可愛らしいお尻が男の子の顔の上に乗っかってしまったとしても…通常なら微笑ましい日常の一コマとして、やがて忘却の彼方へと消え去っていったことでしょう。

 しかしhomer少年にとっては、その後半世紀を経ても色鮮やかに蘇る甘酸っぱい思い出となって、彼の心の奥にある小さな宝箱に大切にしまい込まれていたのです。


 もちろん相手が誰でも良かったわけではなく、homer少年好みの松たか子似の美少女だったからこそ彼の小さな胸はときめいたのでしょう。 これがもし、ダン○松本似の女の子の“吹き出物だらけのデカ尻”に敷かれていたとしたら、一生拭えない悪夢となってその後彼が尻フェチになる事はなかったに違いありません。


 眼前に迫る薄布一枚隔てた開花前の花芯。

 幼い亀裂を形取った布地の表面に薄っすらと浮き上がった黄色のシミ。

 微かに香るアンモニア臭。

 フルフルと可愛らしく揺れる発育前の小さなお尻

 上から見下ろす女のコの悪戯っぽい視線。

 それを下から見上げ、胸をときめかせる少年。



 想像するだけでキュン死してしまいます♡

homer_oshiri.jpg



 僕には一歳年上のおしゃまな従姉妹がいました。 小2の頃、彼女と見つめあって互いの鼻先を擦り付け合い、舌先を触れ合ったり、ふざけ合ってズボンの上から皮を被ったままのつくしんぼうの先っちょを摘まれて、ドキドキしたのが僕の初めての異性体験でした。


 性的欲求が目覚めるずっと以前、幼い男女はただ“好き”という感情だけに突き動かされてこうした行動をとる事があります。 大人の汚れた目から見れば、性衝動のように映るかもしれませんが、そうではありません。


 この従姉妹の娘さんは僕から見てもアイドル風の結構な美人に育ちましたが、母親似の彼女の面影を追う度に、あの頃の胸が締め付けられるような甘く切ない感情が蘇ってくるのです。

 しかし、これらの淡い思い出より以前に、すでに僕の中には幼いマゾヒズムが芽生えていました。

 それは幼稚園の先生に植え付けられた「おチンチンにお灸」と「去勢恐怖」のトラウマです。  別に僕が女の子に悪さをしたわけではないのですが、女の子をいじめると“おちんちんにお仕置きをされる”というところになぜかビンビンと反応してしまったのです。 (「覚醒」参照)

 普段はおっとりとした雰囲気の、笑顔の優しい先生でした。

 でも、この時は鬼のような形相で、女の子ばかりを虐めていた乱暴な男の子を叱りつけていたのです。

 「女の子をいじめるとおちんちんにお灸をすえる!」と「おちんちんを切る!」という脅し文句は効果てき面でした。

 その後、この男の子はすっかりおとなしくなり、クラスの男児達も一様に女児達の顔色を伺うようになりました。 それまで萎縮していた女児達は皆のびのびと明るくなったのです。

 この時、僕の中に“女の子の方が偉いんだ”という意識が芽生え、女性に対する下位願望が形成されたような気がします。 その直後から早熟過ぎる被虐妄想オナニーを覚え、精通はなくてもエクスタシィを経験していました。

 この原体験は僕のマゾヒズムの覚醒に繋がっているとは思いますが、単に引き金になっただけで、この出来事がなくてもいずれ僕はマゾヒストとして目覚めたと思っています。


 僕の場合と比べると、homerさんの原体験は淡くて繊細で少年らしいとても可愛いらしいものです。

 確かに未就学の頃から、すでに女の子のデルタゾーンに対して未知への興味と憧れ、同時に畏怖のような感情が芽生えていたような記憶があります。

 僕が幼い頃は、まだ都内にもあちこちに原っぱや草むら、舗装されていない道路が残っていました。

 小さな女の子達は、尿意を催すとためらわずに僕の見ている目の前でスカートをたくし上げ、パンツを下ろして放 尿していました。

 僕は、“つるんとして縦にスジが一本入っただけの股間”から、放物線を描いて放たれる少女のおシッコが、地面に模様を描きながら吸い込まれていく様子をいつも不思議な面持ちで眺めていました。

 やがて母となるであろう彼女達が、まるで生命の源である大地と交信しているかのような厳かで何か神秘的なものを感じ取っていたのかもしれません。

 もちろんその形状の表す意味や男性との機能の違いを知るのはもっとずっと後の事です。

 
 僕は子供の頃から現在に至るまで、女性器を表す4文字の俗称を口にする事ができません。

 その神聖な部分にはそぐわない卑猥な響きを持っている様な気がしているからです。

 思えば僕が女性崇拝女性器信仰に目覚めたのは、この頃からだったのかもしれません。


 興味、憧れ、崇拝、信仰、畏怖… 僕の女性への思いが募るに従って、女性支配隷従の願望も膨らんでいったのだと思います。


 小学校高学年の時分、homerさんのように、少女が少年の上に馬乗りになっている光景を見かけた事がありました。  しかし、それは淡い思い出でなどではなく、まさに“男を捕まえて煮て食おう”とする寸前の恐ろしいシーンを目撃したのです。

 その頃、漫画「ハレンチ学園」の影響で全国的に“モーレツごっこ”というスカートめくりが流行っていました。  休み時間になると漫画の影響を受けたおバカな少年達が次々と少女達のスカートをめくり上げ、「オー!モーレツゥ」などと奇声をあげては彼女達に追いかけ回され、校庭や廊下を全速力で逃げ回っていました。

 僕は母親から“女の子には常に紳士的に振る舞い優しくありなさい”というフェミニスト教育を受けて育ったので、この遊びに参加した事はありませんでしたが、女の子の下半身には並々ならぬ興味があったので、彼らの気持ちも理解できました。

 ところがある日の放課後、木造校舎の裏庭にあった焼却炉にゴミを捨てに行く途中、3人の少女たちに捕らえられ、地べたに押さえつけられている哀れな少年の姿を見かけたのです。 僕は何かただならぬ空気を感じました。

 「ほんっとゴメン!もう絶対しないから勘弁して…」

 まだ息が荒いままの少年は薄笑いを浮かべてなんとか冗談で済ませようとしていたようですが、悪ふざけが過ぎたのでしょう、少女達の逆鱗に触れまさにこれから処罰されるところのようでした。

 涙目の少年の髪を鷲掴みにして馬乗りになっている少女のお尻は、彼の顔を覆ってこそいませんでしたがほぼエリックスタイルで、他の少女2人にも土足で踏みつけられて身動きできない状態でした。

「てめえ、あんまり調子こいてるとホント半殺しの目にあわすよ!」

 顔を真っ赤にして拳を振り上げ、今にも振り下ろしそうに威嚇する少女。  それを受けて彼を踏みつけている別の少女が「こんなやつ、全部ゴロシだよ‼︎」と、彼の太もも辺りにかかとを叩きつけてめり込ませています。  もう1人の少女は顔の横にしゃがみ込んで彼の頬っぺたを思い切り捻り上げていました。 3人とも普通の女の子達でしたが、スカートめくりなどの遊びでは可愛い子はかえって敬遠されるため、何度も同じ被害にあっていたのかも知れません。

 そんな恐ろしい集団リンチシーンに遭遇しながらも、僕は少女の1人が口にした“全部ゴロシ”というフレーズの持つ言い知れない可笑しさを噛み殺し、彼女達と目を合わさないようにそそくさとその場を立ち去りました。

“全部ゴロシ‼︎ ” それって死刑宣告じゃぁあ〜りませんか?Σ(゚д゚lll)


 あのあと、彼がどんな恐ろしい目にあわされたのか、あるいは煮て食われてしまったのか、彼らとはクラスも違っていたのでわかりませんが「女の子はか弱いのだから優しくしてあげなさい。」なんて母親の言葉は嘘っぱちだな…と確信したのでした。

 その後、モーレツごっこは女の子達全員の反感を買って学級会の議題に上り、「ハレンチ学園」を読む事と合わせて全面禁止になってしまいました。 しかし、僕はこのマゾヒズム妄想にうってつけのリンチシーンや、女の子が発した“全部ゴロシ”というフレーズがやけに気にいって、その後何度もオナニーのネタに使わせて頂きました。

 このくらいの年頃の女の子たちは男子よりも先に成長期に入り、体格的にも体力的にも男の子より優位にありました。 成長期の遅かった僕にとって、彼女達はアマゾネス軍団のような迫力があったのです。

 そんな彼女達にモーレツごっこを仕掛けて捕らえられ、放課後、両脇を抱えられてアルコールランプやお線香や解剖道具の用意された理科室へと連行されていくのが僕のお気に入りのM妄想でした。

 こんなにも暴力的で恐ろしい拷問シーンですらも、僕にとっては性的興奮を呼び起こす甘美で刺激的なシチュエーションだったのです。

 
 犯すべからざる神聖な領域に踏み込んだが為に、女神達の逆鱗に触れて罰せられる。


 これが幼少時に形成され、ずっと固辞してきた僕のマゾヒズムの基本概念でした。 

 ところがご主人様と出会ってからは徐々に、精神的支配を軸に肉体的苦痛を受け入れたいと望むように変貌してきました。 気の遠くなるような時間がかかりましたが、マゾヒストとして新たなステージへとステップアップしたのだと思っています。

 

 さて僕の顔騎初体験ですが意外に遅く、しかも当時付き合っていた女性とのオーラルセックスの最中に、自ら彼女のお尻を引き寄せて顔を押し付けたのが最初なので、正式には顔面騎乗とは呼べない代物でした。

 しかし、その脂肪の乗ったお尻の圧倒的な柔らかさ、ひんやりとしてスベスベの肌触り、吸いつくようなモチ肌感、愛液と唾液の入り混じった淫靡な香りに僕の頭はクラクラし、世の中にこんないいものは他にないと歓喜しました。

 もう、無我夢中で顔を擦りつけ、彼女のアナルに舌先をこじ入れようとした瞬間「ちょっとぉ、気持ち悪いんだけど〜」とドン引きされてしまった恥ずかしくも悲しいおもひでです(T ^ T)

 マゾヒズムとしての本格的な顔面騎乗は、特殊性風俗サークル・松田企画への入会まで待たねばなりませんでした。 そりゃ、一般の女性がそんなに簡単に顔面騎乗なんかしてくれるはずもありません。

一般の女性の大半は、もったいなくも顔面騎乗などとは無縁のまま、その生涯を終えるのだと思います。

僕のSMプレイにおける顔騎初体験に関しては、またいずれ拙ブログにて披露したいと思います。


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ありがとうって伝えたくて…

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 写真の女性は、うら若き頃の立花冷子女王様です。

 40代のM男性なら、そのお名前ぐらいは耳にした覚えがあるかも知れません。 あるいは50代以上のベテランM男性の方でしたら、ご存知の方も多いのではないでしょうか。

 日本におけるSMの黎明期を牽引してきた特殊性風俗探求サークル・美芸会
その顔として多くのM男性を魅了し、長きに渡り彼らの頭上に君臨し続けた伝説の女王様です。

 ご主人様が僕にとってマゾヒズムの終着点だとするならば、冷子女王様は僕のマゾヒズムの出発点でした。


 美芸会は1966年に大阪府寝屋川市で松田富治男会長のもと産声を上げ、その後、1971年に静岡県清水市に移転。 さらに1980年頃東京へと進出します。 西新宿の雑居ビルに本部を構え、美芸会、姉妹会の松田企画、立花プロモートなる直営の芸能プロダクションも有していました。 池袋にも事務所とプレイルームがあり、主にそちらを拠点にしていたようです。

 マスコミ効果か、この頃会員はうなぎ登りに増え、各地に支部を置いて冷子女王様や女性役員も日本全国を忙しく飛び回っていました。

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  松田会長ご自身はS性癖を持ったかたで、美芸会はS、Mの両方の愛好者を対象にしていました。
会長とは池袋の事務所近くの喫茶店で一度お会いした事がありますが、スラリと背の高いダンディな印象の紳士でした。

 その松田会長の奥様が立花冷子女王様でした。
確か松田会長が新幹線の車中で、強烈な女王様オーラを発していた冷子女王様を見初め、会にスカウトされたのがお二人の馴れ初めだったと記憶しています。

吸い込まれるような大きく澄んだ瞳とエキゾチックなお顔立ち。 高音でよく通るソプラノボイス。
よどみなく口を突いて出る言葉責めは、素晴らしい!の一言でした。

美芸会は、清水市にあった頃から女性誌や総合週刊誌、テレビの深夜番組等で取り上げられ話題になっていました。 僕がその存在を知ったのは確か高校生の頃だったと思います。

 11PMなる深夜のお色気番組で、カルーセル麻紀が美芸会に潜入ルポを行った回を偶然観たのでした。 カルーセル麻紀は番組の前半では奴隷として冷子女王様に責められ、後半は女王様として会員のM男性を調教していました。

 美芸会はS性癖を持った人にもMの心理を理解させる為に最初の数回はMの体験をさせますので、これはその会則にのっとったものだと思います。

「どうするの?飲むの?飲まないの⁉︎」

 鞭を片手に、聖水を完飲するよう迫る冷子女王様のお声が今も耳もとで鮮やかに蘇ります。

 奴隷がやっと一人入れる位の狭くて頑丈な鉄の檻。 壁にディスプレイされたおぞましい拷問具の数々。 エロティックな黒い下着姿で笑いながら鞭を振るう美貌の女性…

 当時の僕は自分のマゾヒズムを持て余して悶々としていましたが、初めて映像でその甘美な世界に触れて、その後しばらくは興奮が収まりませんでした。

 何しろSMの情報自体が、とても少なかった時代です。 自分が長年夢想していた世界が実在していた事に感動すら覚えました。
そしてその後 自慰の時に思い描く光景は、あの拷問部屋で来る日も来る日も美しい女性達に肉体を責め苛まれ、歓喜の悲鳴をあげる己が姿でした。

 その後、5年ほど経ってからでしょうか。
すでに成人していた僕は、古書店でSM雑誌を漁る日々を送っていました。

 新刊書店のアダルトコーナーは明る過ぎて抵抗がありましたが、古書店の仄暗い棚の下にカビ臭い本が雑然と積み上げられているさまは、まさにその背徳的で淫靡な世界を象徴しているかのようでした。

 そのお宝の山から、女王様のPhotoやイラスト、男性Mの記事ができるだけ多く掲載されている本を探し出すのが僕の目的でした。 悲しいかな、まだマゾ男性の専門誌など存在しない時代でした。

 本が透明の袋に密封されている店では勘だけが頼りでした。 家に持ち帰って封印を解き、男性Mの記事が一本も載っていないと知った時などは、この世の終わりのように落胆しました。
そのうち「SMコレクター」「SM奇譚」あたりなら、少なくとも1〜2本はM記事が保証されている事が分かり、その2誌を集中して買うようになりました。

 新刊書店のレジに立つ若い女性店員にSM誌を手渡すのはかなり勇気がいりましたが、古書店の年老いた店主の前にはなんら抵抗なく差し出すことができました。

 老店主は眼鏡の奥からチラリと僕を一瞥し、一瞬「またお前か…」とでも言いたげな顔をして視線をそらし、本を紙袋に投入しました。

 性的な雑誌はできれば新本で買いたいところでしたが、月刊ペースの刊行では到底僕の渇望を癒せるはずもありませんでした。 さらにこの山積みされた雑誌群は、同じ性癖を持つ誰かが一度手にしたという安心感がありました。

 これだけ店頭に並べるという事は、自分の住む街にもこうした特殊な性に興味を持つ同志が少なからず潜んでいる事を証明しています。  僕は長い間、自分だけが“変態”なのだと思い込んできたので、多少なりとも孤独感を埋められるような気がしました。

 古書店でめぼしい本を入手してしまうと、次に大量入荷するまで新刊書店を探求する事もありました。

 まだ未成年に見えるであろう童顔の僕は、その日、店員にとがめられないよう恐る恐るアダルトコーナーに近づいて、レジの目を盗みながらパラパラとSM誌のページを繰っていました。 すると、とある広告記事が目に止まったのです。

  『あの有名な立花冷子女王様率いる美芸会の姉妹会・松田企画が、新規会員を若干名募集します!』

 
 おそらくそんな文面だったと思います。 すぐさまあの時の潜入ルポの映像が蘇りました。

 僕は矢も盾もたまらずその本を購入すると、大急ぎで帰宅の途に就きました。 そして件の広告記事を何度も読み返し、あの美貌の女王に鞭打たれ女性の様な鳴き声を上げている自分の姿を想像し、自慰に耽りました。

 目の前に狂おしいほどの巨大なエロスの誘惑がパックリと口を開き、淫らな蜜を溢れさせて僕を誘い込もうとしていました。 
ひとたび足を踏み入れようものならばその蜜に足を捕られ、食虫花に呑み込まれた哀れな虫のように全身を溶かされてしまうかもしれない。 しかしそれは抗いがたい誘惑でした。

 僕はとりあえず資料を請求する事にして、自分の気持ちを落ち着かせました。
しかし、家に郵送されてくると母親に開封される危険があったので、友人数名と趣味のために借りていたアパートの方に送付してもらいました。

 1週間ほどするとアパートの自分の机の上に一通の封書が置かれていました。

 僕は差出人が松田企画である事を確認すると、はやる気持ちを抑えてそれをカバンにしまい、すぐさま家に引き返しました。
そして自室にこもり、震える指先でそれを開封したのです…

その光景が、まるで昨日の出来事のように思い起されます。

 僕はその時の入会案内書を今も大切に保管しています。 それは僕をマゾヒズムの世界へといざなう“禁断のチケット”でした。

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 表紙の裏には冒頭で紹介した立花冷子女王様のお写真と、複数女性から調教を受けている男性会員の写真が貼り付けられています。 おそらくネガをベタ焼きし、一枚ずつカッターで裁断して貼り付けたものでしょう。 

 謄写版で印刷しホッチキスで閉じただけの簡素な案内書を見ると、あれから長い長い歳月が流れた事を実感します。

 松田企画は適性を測るためのカウセリング、実際の調教、審査を経て入会が許可されました。
会員資格の取得はさほど難しいことではなかったと思いますが、入会時に住所や電話番号等個人情報の提示を求められたので、それなりの覚悟は必要でした。

 そして今よりも敷居が高かった分、その秘匿性背徳感も何倍も大きかったと思われます。

 僕は散々悩みましたが、立花冷子女王様にお目にかかりたくて、松田企画に入会申込書を送付しました。

 当時はまだSMクラブなるものは少なく、今のように気軽にプレイを楽しめるような環境は整っていませんでした。
当然マゾヒズムを理解し、マゾヒストに対応できる女性も少なかったのです。 プレイ料金も高額に設定され、SMは一部のお金持ちだけが享受できる高級な遊びでした。

 松田企画が謳っていたのは、経済的余裕の少ないものや学生でも平等にSMの趣味や性癖を楽しめる事を目的にした会だという事です。

 今、手元にある入会案内書の必要会費の欄を見ると入会金5千円、維持会費が月額650円で1年分前納とあります。
それとは別にプレイ代として毎回60分2万円が必要でした。
物価の変動を考えてみると、現在の方が相当安い価格でSMを楽しむ事ができますが、当時はこれでもかなり安価な方だったようです。

 女王様の絶対数が少なかった為、SMは売り手市場でした。
SMクラブには指名システムなどもまだ無く、待機している女王様も1〜2名で、空いているかたがお相手をして下さるといった感じでした。

 池袋の事務所で初めてお会いした冷子女王様は僕よりもだいぶ年長な印象で、その頃すでにアラフォーといったふうでした。
しかし間違いなく類い稀なる美貌と、サディスティックなオーラを持った一流の女王様でした。

 冷子女王様のもとで、現在の僕のマゾヒズムの基礎はほぼ完成したと言ってもいいと思います。
SMプレイのメニューとされるものは、黄金プレイ以外はほとんど体験させて頂きました。

 当時はあまりお金を持っていませんでしたが、それでも年に7〜8回位は通ったと思います。
プレイの間が空くと、冷子女王様自ら直接家に電話を下さることもあり、母親が応対した時もありました。

 僕は居間にいる母親の面前で顔を赤らめ、話の内容がわからないように小声でハイ…ハイと相槌を打つのがせい一杯でした。
ガールフレンドにしては落ちつき過ぎていて、どんな関係の女性なのか母は訝しんでいたようですが、特に問いただされる事もなかったのが救いでした。

冷子女王様はお金がない時でも、後払いでプレイをして下さる事もありました。
そして未熟な奴隷がどんなに粗相をしても、プレイが終わると暖かく接して下さいました。
慈愛に満ちた菩薩のような懐の深さを持った女性でした。

 それまで僕が、誰にも言えず一人で抱え込んでいた心の闇を解放して下さり、どれだけ救われたことかわかりません。

 その後 時は流れてインターネット全盛の時代となり、ネット上で見つけた冷子女王様の娘さんを名乗る女性の手記を読んだ事がありました。

 その内容は立花冷子女王様を知る僕にとって、にわかには信じがたいショッキングなものでした。
しかし、そこに書かれた詳細な記述が、おそらく全て真実であろう事を物語っていました。


 それは娘さんが小学4年生の頃、偶然母親の職業を知った衝撃から始まります。
母親を軽蔑し憎むようになった少女は、その反抗心から非行に走り、次々と転落していくのです。
非行、売春、暴力団関係者との交際、覚醒剤、さらに多重人格障害を発症し、その後逮捕、少年院に収監と、これまで彼女が歩んできた壮絶な人生を総括し、赤裸々に綴った告白手記でした。

 その長い長い苦悩の日々は、娘さんご本人と彼女を傍で支えて見守ってきた冷子女王様にしか分からないものだと思います。 僕はその手記を読んで涙が溢れ、止みませんでした。

 僕を含め数多くの悩めるM男性が救済された陰で、娘さんや冷子女王様ご本人がこんなにも苦しまれていた事が、切なくやりきれませんでした。

 そして、今、僕は自らのマゾヒスト人生を振り返ってみて、ここまでSMを続けてこられたのはひとえに冷子女王様が出発点になって下さったからだと感謝しているのです。

 
 立花冷子女王様が今どこでどうしていらっしゃるのかは分かりませんが、感謝の言葉を伝えたいと思いました。

 
 立花冷子女王様。

 僕はまだまだ元気で、今も奴隷として娘のように若いご主人様の足下に平伏しています。

 こんなにも幸福なマゾヒスト人生を歩んでこられたのは、初めてのSMを冷子女王様にご教示頂いたおかげだと感謝しております。

 SM界の legend として語り継がれる、立花冷子女王様のご調教を受けられた事は今も僕の誇りです。

 その節は本当に、本当にありがとうございました!

 いつまでもお元気でいて、貴女がご調教されたM男達の行く末を見守っていて下さい。


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マゾヒズムの終焉

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 僕の人生は、そのほとんどを自己のマゾヒズムに支配されてきました。
その歳月は幸福であり、しかし不幸でもありました。

 僕は今、同世代の男性達が当たり前に持っているものを何一つ持っていません。
育ってきた境遇も複雑でした。

  積み上げてきたものを全て失った時、僕はご主人様と巡り会いました。

 僕が非日常へと傾倒していったのは、現実があまりにも辛く苦しかったから。
現実逃避としてのSMは僕の心の拠り所でした。







だから、ご主人様の存在には本当に感謝しています。







 マゾヒズムの快楽はノーマルなSEXでは決して味わうことができない“至高の快楽”だと思っています。
ですから僕はこれまで自己の性癖に関して悩んだり苦しんだりした事はありませんでした。
親の深い愛情は知りませんが、唯一マゾヒストに生んでくれた事だけは感謝していました。

 しかし、今自分の人生を振り返ってみて、マゾヒズムによって救われてきた部分も多かったけれど、マゾヒズムによって失ってきたものも沢山ある事に気がつきました。



 僕は奴隷年は2歳ですが、もう実年齢的にはだいぶ枯れてきてしまいました。
最近「僕のマゾヒズムはこのまま性欲の減退と共に消滅していくのだろうか?」とふと考えたりします。

 
 そうだとしたら、僕のアイデンティティは一体どうなってしまうのだろう。

 
 僕は性欲が芽生えるだいぶ以前、物心がついた頃からハッキリとした形でマゾヒズムを自覚していました。 
幼児期から被虐妄想に耽りながらペニスに触れていたので、親に何度も叱られていました。
精通はなくてもエクスタシーはあるのです。

 今の僕にとって“マゾヒズム”は単なる性癖を超えて、生きる意味の全てと言ってもいいかもしれません。
ご主人様との月一回のご調教だけが、仕事を続けるモチベーションになっています。

 
 そんな僕のマゾヒズムが本当に終焉を迎える時が来るのだろうか?


 以前は全くなかったのですが、ここ最近、ご主人様との関係性について悩む事が多くなってきました。


 そして、一人でいると堪らなく寂しい思いに苛まれ涙が止まらなくなる事があります。
やはり異端者は孤独な運命なのでしょう。

 このブログには、その時々の僕の想いを正直に書き綴ってきました。
ですからタイトルを含め、その内容に嘘偽りはありません。

 ご主人様の奴隷としての生活がこれまでのM人生で最も充実している事は間違いありませんが、それはとても不安定な状況の上に成り立っている幸福だという事も事実なのです。

 でも今の僕にはそこにすがって生き続ける以外に道はありません。

 ですから、ある日突然自分の中のマゾヒズムが消滅したとしたら、逆に少しは楽になれるかもしれない…
最近ふとそんなふうに思う事があるのです。

女性への過剰な崇拝心や被虐願望、奴隷としての心の葛藤や、複雑な感情が全て消えたとしたら…新たな自己発見があるのか、それとも心にポッカリ穴が空いてしまうのか…

幼児期からずっとマゾヒストだった僕にはどちらなのかわかりません。

もしかしたら「瘋癲老人日記」の督助のように、このままマゾヒズムを墓場まで持っていくのかもしれません。


12月13日でこのブログを開設して2年が経ちます。
こんなブログでも愛読して下さっている方がいるので、少しでも長く書き続ける事ができればいいなと思っています。

 今後もどうぞよろしくお願い致します。

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性倒錯者のかなしみ

 「レグ・ラバ・ザ・ポチ」

 これは、かつて講談社が発行していた青年コミック誌、「ミスターマガジン」に連載されていた足フェチをモチーフにした漫画作品のタイトルです。

 少年期のトラウマから女性の足にしか欲情しなくなった青年・
魅力的な足を持ちながら、自分の最も醜い部分としてその足を嫌悪している女性・麻葉
しかし、彼女もまた足を愛される事でしかオーガズムを得られないパラフィリアでした。
運命的に巡り会った2人の男女の奇妙な愛情物語。

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 実はこのコミックスは、僕が若かりし頃に交際していた女性の忘れ形見なのです。

 彼女はごくノーマルな女性でした。
しかしどういうわけか、このフェティシズムをテーマにした漫画にハマり、毎号夢中になって読んでいました。
掲載誌のミスターマガジンを発売日に購入して真っ先にこの作品を読み、さらに新書版も発売と同時に買い求めていたほどのお気に入りでした。

 そんな大切な本を、交際を解消した際、僕が借りていた部屋に置いていってしまったのです。

 その後、僕は転居する度にこの本を処分しようかどうか迷いつつ、今だに自分の書棚に収めたまま現在に至っています。

 彼女は本をとても大切にする女性でした。
祖父が出版業に関わっていた人で、小さい頃から本は丁寧に扱うよう厳しく躾られて育ったそうです。
それは雑誌や漫画でも同じでした。
僕が仕事の資料に使う本を雑に扱っていると、とても悲しそうな顔をしていました。

 経年で薄っすらとヤケてしまった彼女の忘れ形見を手に取り、パラパラとページを繰ると懐かしい日々の記憶が蘇ってきます。


 ビールの苦味を美味いと感じるようになったのはいつの頃からだったでしょうか…

 10代後半、童貞を喪失した瞬間に、僕は その行為に対してほとんど興味を失いました。
おそらくは通常より少し遅いくらいの初体験でしたが、何の感動も湧き起こりませんでした。
さほど期待していなかったとはいえ、僕は少なからず落胆していました。

 それよりずっと以前から、自分が被虐性愛者である事は自覚していました。
自分の性衝動は別の所に存在している。
セックスに対する失望感は僕を次の行動へと駆り立てました。


 SM誌で、とある有名SMサークルが会員を募集している事を知り、矢も盾もたまらず入会案内書を取り寄せたのです。

 入会の申し込みには期限が切られていました。

 現在のようにSMクラブが乱立する以前、SMは今よりもずっと背徳感に満ち、アンダーグラウンドな雰囲気を湛えていました。
それは若者が簡単に足を踏み入れてはならない世界のように思えました。

 しかし、ノーマルなセックスでは“肥大していく自己の性的欲求を満たす事が出来ない”という焦燥が、僕の背中を押したのです。
さんざん迷いましたが、締め切り間際に微かに震える手で申込書に記入し、期待半分不安半分でポストに投函しました。


 その後1週間ほど経って、会から入会審査を行うので指定場所に来るよう連絡が入りました。

夏の蒸し暑い夜でした。
僕ははやる気持ちを抑えて、指定された都心のマンションへと向かいました。

 そこには2人の女王様が待機されていて、僕を優しく迎え入れてくれました。
僕は初めて遭遇する女王様がたを前にして、とても緊張していました。

 照明が落とされたその部屋は、梁や檻などが設置され、鞭や拘束具などの責め具がディスプレイされた異空間でした。
30分ほどのカウンセリングで自分の性癖や願望を伝えた後、僕は人生初のSMを体験することになりました。

 2人の女王様に促され、その日初めて女性の足下に跪いたのです。
そして念願だった足指に口づけることを許されました。

それは僕をマゾヒズムの世界へといざなう儀式でした。

 正座をして両手で女王様のおみ足をしっかりと支え、足指を一本一本口に含んで舌先で丁寧に舐め清めます。 
指股にも舌を差し入れ、皮脂や汚れを残さないように舐めとりました。
少しでも手を抜こうものなら女王様の厳しい叱責と鞭が飛びます。

 僕は口の中一杯に拡がる甘美な味わいに酔いしれ、若い股間をはち切れんばかりに屹立させていました。

憧れていた、女性のおみ足

 その味や香りや感触は想像していた以上に僕のリビドーを揺さぶりました。

 この背徳の儀式は、セックスの何十倍もの快感を僕に与えてくれたのです。


 その後、豊臀に顔面を潰され、尻を一本鞭で打たれ、股間を蝋涙で固められながら、2人の女王様の前で精を放ちました。
その時、僕はハッキリと自分の居場所を確認する事ができたのです。

そして、その“官能的な世界”の虜になりました。

 しかし、その一方で僕はノーマルな女性たちとも交際をしていました。
通常ならセックスに溺れるような年頃でしたが、そちらの方はいたって淡白でした。
なるべくそういう雰囲気にならないように努めていたと言った方がいいかもしれません。

 かと言って、彼女たちの中にサディズムを求める事もなく、自分の性癖を口にする事もありませんでした。

ただ、自分にとって女性は畏怖崇拝の対象であるという、どこか漠然とした思いだけはありました。

 女体にのしかかり、獣のように獰猛に腰を振ることに躊躇いがあったのです。
むしろ体の上に跨られ、抑え込まれ、見降ろされながら腰を使われるような構図が自分に相応しいような気がしました。

 最初は女性に覆いかぶさって腰を使ってはみるのですが、すぐに中折れして元気が無くなってしまうのが常でした。

 女性はオーラルで僕を励ましてくれましたが何度やっても結果は同じで、そのうち疲れ果て諦めてしまうのでした。
精神的な抑圧から女性に包み込まれたまま、オーガスムに達することが出来ないのです。


 そんなことを繰り返し、いつしか彼女達は僕から離れていきました。
僕はノーマルなセックスに関しては不能者同然でした。

 何度めの恋愛だったでしょうか…

 僕は、冒頭で書いた女性と付き合うようになりました。

 同じ価値観を共有できる相手は恋愛のパートナーとして理想的ですが、そういう意味において彼女は僕にピッタリの女性でした。
一緒に映画を観たり、美術館を巡ったり、ショッピングに付き合ったり、お酒を飲んで語らうだけで充分楽しかったのです。
しかし、一定期間交際すると大人の関係になっていく事は避けられないようでした。

 彼女とのセックスもまた他の女性たちと同様でした。
普通の男として愛されるだけでは、僕の欲求は満たされないのです。


 彼女は自分の責任だと勘違いをしていたようですが、この時も僕は自己の性癖をカミングアウトする事はできませんでした。

 ノーマルを装いつつ、満たされない思いを抱え苦悩する日々。
僕は自らのマゾヒズムを解放する場として、彼女の目を盗んではSMクラブへと通っていました。

 おそらく彼女を性的に満足させてあげた事は一度も無かったと思います。
最後は口や舌を使って、彼女をオーガズムに導いてあげる事が、せめてもの償いでした。

 この頃、僕のマゾヒズムはどんどん重症化していきました。

 SMの深みにはまればはまるほど、セックスが味気なくつまらないもののように感じられました。
僕は女性器に奉仕する事で勃起を促し、性行為の最中、目を閉じて被虐的妄想に耽る事で勃起状態を維持していました。

 挿入行為とは違い、クンニリングスは僕を興奮させました。
一方的に奉仕する方がより好みでしたが、相互で行う際、目前に迫るお尻の谷間に顔を埋める行為も僕のマゾヒズムを刺激しました。

 彼女にS女性になって欲しいと望んだことはありませんでしたが、彼女との日常やセックスにおいて少しでもマゾヒズム的な要素を見つけだそうとしていました。


 ある時、僕は思い切った行動に出ました。

  いつものように騎乗位に飽きて萎え始めた頃、僕はペニスが抜けてしまわないよう慎重に腰を動かしながら屈曲位と呼ばれる体位に持ち込みました。

 そして彼女の両の脚を抱えピストン運動を続けながら、少しずつ足裏に顔を寄せてみたのです。
間近で眺める彼女の足は、小ぶりながらも長い指先がバランス良く並び、角質など全くないスベスベした美足でした。

 顔をあてるとヒンヤリとして微かに湿ったような感触。 甘酸っぱい香りが僕の官能をまさぐります。

 それは熱く火照った顔にとても心地よく、癒される感じがしました。

 僕はゆっくりと頬ずりし、土踏まずにそっと唇を触れてみました。

 女性の足に対する憧憬。そして隷従…

 僕は顔面を彼女の足裏に徐々に強く押し当てていく事で、あたかも踏みつけられているような錯覚に陥りました。

 被虐的リビドーが喚起されたのか、わずかに股間のものが蘇生しました。
元気なく今にも抜け落ちそうだったものが彼女の足裏の香りや感触に反応したのでした。

 僕は足指に遠慮がちに舌をはわせ、少しだけ口に含んでみました。

 「あっ!」と小さく抗う声。 

 しかし思いがけず、自分の中で脈動を打ち始める雄の猛りを彼女は感じ取ったに違いありません。

 僕は次第に大胆になり、彼女の足の指を一本ずつ舌で絡めるようにしゃぶり、爪の間に舌を差し入れてその味や香りに酔いしれていました。
自分でも股間の物がどんどん熱く硬くなっていくのを感じていました。



(この人、私の足を舐めることで興奮している…) 彼女は間違いなく気がついたと思います。

 しかし、その後も特に抵抗する事なく最後まで僕に身を任せてくれました。

 この日、僕は彼女の足を愛でることでオーガズムに達することができたのです。

 膣不感症気味の僕が射精できた事を彼女は喜んでくれました。 しかし僕の心には後ろめたさが残りました。

 当時、彼女は毎日のように僕の部屋に通って来ていました。
彼女の荷物が少しずつ増えていくことに悪い気はしていませんでしたが、性的な部分で“僕でいいのだろうか?”という思いは常にありました。

 たまに行うセックスは、相変わらずでした。
足を舐めたり騎乗位でしてもらった時は逝く事もありましたが、大抵は中途半端に終わるので彼女に申し訳ない思いが先立つのです。
彼女は僕を気づかってか、そのことに関しては一切口にしませんでした。

 そんなある日、彼女に差し出されたのが「レグ・ラバ・ザ・ポチ」でした。

「最近この漫画が、お気に入りなの…」

 それは冒頭から女性の足に対するフェティッシュなシーンの連続で、全編を通して性的倒錯者の生態を描いた作品でした。
僕はどう反応したらいいのかわからず、さして関心のないそぶりでパラパラとめくって
内容とあまり関係のない感想をもらし、その本を彼女の手に戻しました。

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 「Leg Lover the POCHE」は“Leg Lover”というよりは、むしろ“Foot lover”とした方が合うと思われる内容の作品でした。

 女性の脚に視覚的な魅力を感じる男性は多いと思います。
そういった意味では脚フェチはわりとノーマルな性嗜好といえます。

 ところが、この漫画に登場するカップルは 足を舐め、舐められる事がセックスの代替行為となっているのです。 
彼らを含め登場するキャラクターは皆、ノーマルなセックスでは満たされない性的フリークスとして描かれています。

 僕も女性の大腿部からくるぶしにかけてのセクシーなラインにとても魅かれますが、性的嗜好としてはくるぶしから先にあるの方に、より興味が向いています。

 その形状の美しさはもちろんですが、汗腺が集中する足裏や指股の蠱惑的な香りや味に激しく惹かれます。

 それは麻葉の思いに描かれたように、女性にとってはの部分なのかもしれません。
しかし、足フェチにとってそれは女性器と同様に神がかり的な魅力を持ったパーツなのです。

 女性の足を崇拝するという心理の裏には、その美しい足で踏みにじられたいという別の願望が潜んでいます。

 僕は“女性の足によって蹂躙されたい”という願望は、男性マゾヒズムの根幹であるような気がしています。

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 もしかしたら彼女は、僕を足フェチと認識し、僕の事を「Leg Lover the POCHE」の主人公に投影していたのかもしれません。

  彼女は新しい掲載号が出る度に僕の目の前でそれを読んでいました。
それは僕の性癖に対するささやかな抗議だったのでしょうか?
それとも僕の性癖を“全て受け入れてくれる”というサインを送ってくれていたのでしょうか?

 その後、彼女とは性的な事とは別の理由で別れる事になってしまいました。
「レグ・ラバ・ザ・ポチ」は歯ブラシなどの日用品と一緒に僕の部屋に置き去りにされていました。

 今となっては彼女の意図は知る由もありません。 あるいは単に僕の思い過ごしで、特別な意図などなかったのかもしれません。

 僕の中には様々な性癖が混在しています。
女性の足に対するフェティシズムはそのほんの一端にしか過ぎません。

 僕の心の奥に拡がる底知れない闇を知らずにいた事は、彼女にとって幸福だったかもしれません。

 その後、僕は長い時を経て、ようやくその暗闇に光を当ててくれる女性と巡り会うことができました。
僕は今、その無常の幸せを噛み締めているところです。

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SMジプシー

 今年は僕にとって、決して忘れることの出来ない一年となりました。
 長かった彷徨の終焉。そして、専属奴隷としての新たなる旅立ち。


 野良犬のようにさまよっていた僕が、ご主人様と巡り会い2年間プレイを重ねてきた結果、首輪を付けて飼っていただけるまでになったのです。

 ご主人様によると理想のSMパートナーを求めて、次から次へとプレイ相手を変えて渡り歩く人の事をSMジプシーと呼ぶのだそうです。 色々な女王様とプレイしたいだけのM男性は含まれません。 理想の方に巡り会ったら、その方に一生ついて行くだけの覚悟はあるのです。 しかし、なかなか巡り会うことができない…

 僕が、まさにそのSMジプシーでした。 素人のS女性を含めお相手して頂いた女性は、優に200名を超えていたと思います。 容姿が好みでプレイの相性も合うS女性を求めて、毎週の様にSMクラブを通い歩き一日に何軒かハシゴをしたりもしました。 ダブル、トリプル女王様、新人の見学や乱入… 一日も早く理想のパートナーと巡り会いたくて、素人のS女性5名と一度にプレイをした事もあります。 しかし、一人のS女性とプレイするのは平均しても2~3回。 僕のいつ終わるとも知れない彷徨は続きました。

 それでも気に入ったS女性の元で立ち止まり、何度もプレイを重ねる事もありました。
その中で10数回、あるいは1年以上プレイを続けた女性は5名程でしょうか…しかし、クラブを辞めてしまわれたり、プライベートな事情でSMから離れてしまったり…
 お店を辞めてもプライベートでプレイを続けられないか、頼み込んだ事もありました。 しかし、女性の事情がそれを許さなかったので諦めるほかありませんでした。 そうなると、ぽっかりと空いた心の穴を埋めるために、再びあてどない旅へと出るのです。

 メディアで有名な女王様達ともプレイをしてみました。 高いスキルと並外れた容姿で、M男性諸氏を虜にしている方々ですから当然プレイも素晴らしいのです。 しかし、なんとなく僕とは合いそうにない。 僕は多分にエゴマゾの面があり、プレイはハード志向でも精神面では甘えたところがあるのです。 ですからこの頃は、支配者というよりも自分の妄想を実現してくれる、都合のいいSMパートナーを探し求めていたと言えるでしょう。

 又、どちらかと言えば、僕はM寄りの女性に惹かれる傾向があります。 キツそうな面立ちよりも、優しくて大人しそうな感じの女性が好みでした。 ですからSMクラブでも、SもMも出来るという女性を指名する事の方が多かったのです。 新人のM女さんなどは恐る恐るプレイしてくれて、それはそれで新鮮で興奮もしました。 しかし、長く続く関係までには至りません。 M女性でもこちらがお願いすれば、それなりにハードプレイにも対応してくれるものです。 ただし、それはSっぽく振舞ってくれているだけで、心から楽しんでいる本物ではないように思えました。

 そんなある時、僕は素人のS女性を紹介してくれる、とあるSMサークルで相性が良さそうな女性と出会いました。 小柄ながらプロポーションも良く、品格があり、知性的な顔立ちの和風美人でした。 当時、彼女は某有名私大の英語学科の学生で、アルバイト感覚でSMサークルに在籍していた様です。 僕はお嬢様っぽい雰囲気に惹かれ、直接交際として一番長く続きました。 美人を鼻にかけず、とてもフレンドリーな感じの女性でした。 あらゆるプレイにも興味津々で、スキルの上達も早かったのです。 しかし、残念な事に海外への留学が決まって、頻繁には会えなくなってしまいました。 夏休みなどで帰国する機会があると連絡を貰いましたが、最後は自然消滅のような形になってしまいました。

僕の方もちょうどこの頃、母親が癌を患い、莫大な医療費の負担でSMどころではなくなってしまった事もあります。 彼女との交際の終わりを機に、僕は長いブランクへと入っていくことになるのです。

 一年ほどの闘病で母親が亡くなりました。しかし、僕がSMに復帰することはありませんでした。

 (SMはもういいかな…)成人以来、ずっと欠かさずSMに浸かってきましたが、長い放浪生活に疲れ果て、プレイに対する情熱を失ってしまった様でした。 理想のS女性に出会うことも諦めて、僕のSM人生もそろそろ幕引きの時期かなと思い始めていました。

 それでもネットが普及してきて、SMクラブがお店の情報を発信する様になると、女王様のプロフィールをチェックしたりはしていました。 好みの容貌の女性を見つけると、会ってみたいなという気持ちにはなりましたが、リアルで会いに行くことはありませんでした。 写真を見ながら、妄想の中で自分好みの女王様に仕立てて、自慰で終わらせる事で満足していました。 こうして僕は5年間、リアルなSMプレイから遠ざかって、わりとノーマルな生活を送っていました。

 ところがそんなある日、いつものようにネットをチェックしていると、衝撃的なプロフ写真を見つけたのです。 

 その方は新人の女性で、みるからに清楚な雰囲気を漂わせていて、とても女王様には見えませんでした。 薄いモザイク越しにも、自分の理想にピッタリな容貌であることが分かりました。 “この方のプレイはどんな感じなんだろうか…” とても興味を持ちましたが、それでもお店に電話する事はありませんでした。 

 (多分一ヶ月もしたら肌が合わなくて辞めてしまうんだろうな…)
僕が好むタイプの女性はすぐにSMから遠ざかってしまう事も体験的に感じていました。
(また、寂しい思いをする位なら最初から会いに行かない方がいいな…)そう思って自分を納得させていました。

 しかし、彼女の優しそうな笑顔が、いつまでも僕の頭の中から離れませんでした。 毎日のように保存した写真に見入って彼女とのプレイを想像していました。 一ヶ月後、彼女はまだ在籍していました。 二ヶ月経っても、まだプロフィールに名前があります。 三ヶ月後、僕はとうとう我慢できなくなってお店に電話を入れていました。

そして、ついに僕にとって運命的な出会いの日が訪れたのです。

5年ぶりにプレイを再開する為、ホテルに入った僕はかなり緊張していました。

(どんな女性が来るのだろう…写真と違っていたらガッカリだな…)

期待が大きいだけに、もしイメージと違う女性が現れたら落胆も大きいだろう事は想像に難くありません。 僕は期待と不安の中で彼女の到着を待っていました。

 そしてとうとう部屋のチャイムが鳴り、僕は緊張と興奮を抑えながらドアを開きました。
「………。」「こんにちは、初めまして!◯◯◯です。」

(違う……いや、写真とちょっと感じが違うな…)
 過去には写真と実物のギャップに、何度も騙されたような気持ちになり、落胆した事もありました。

しかし僕の目の前にはプロフィール写真を遥かに凌駕する、美しく可愛らしい女性が立っていたのです。

 ベビーフェイスで見かけは二十歳を少し過ぎたばかりのようにも見えました。(実際はもう少し大人の女性でしたが)
目が大きく瞳がキラキラ輝いていて、アイドルかと思えるようなオーラを発していました。

そして純白のような穢れないイメージ。 ルックスはもう満点以上です!!


 想像を遥かに超えた美女の登場に、僕はとりあえず、胸を撫で下ろしました。 しかし…肝心なのはプレイのスキルです。 

(グダグダだったら嫌だな。大体こんなお嬢様にSなんて出来るんだろうか?)(いや、こんなに可愛いんだから、多少の事は目をつむるか…新人だし、少しずつ成長してもらえればいいや…)

上から目線で申し訳ありませんが、プレイが始まる前は本当にこんな風に思っていました。

僕は紙に書いて持参した希望のプレイ内容を渡しました。黙ってそれを読んでいる彼女… しばしの沈黙。

(ちょっとエグ過ぎるかな…断られたらどうしよう…)

僕には目の前の可憐な女性が、こんな変態の醜い願望を叶えてくれる様には、どうしても思えませんでした。
しかし、そんな僕の心配もよそに彼女は少し微笑んで「じゃあ始めましょうか!」と一言。

 そして、いざプレイが始まると…まずその思い切りのよさに驚きました。 脳震盪を起こしそうなほど強烈なビンタ。 皮膚が破れ、出血するくらいハードな踏みつけ。 局部への攻撃も容赦がありません。 男の口を便器として使う事にも何の躊躇いも無いようでした。 そして次々と口をついて出る言葉責めの数々。 まだ3ヶ月目の新人とは思えない。 

もう天性のSとしか思えない位の素晴らしさです! 

本物だ!!とうとう理想のS女性と出会うことができた!

勇気を出してクラブに電話して本当に良かった…

 こうして僕はご主人様と出会うことで、長いブランクから抜けて、SMに対する情熱を取り戻す事ができたのです。 そして、長い放浪生活にもピリオドを打ちました。

 その後、ご主人様とプレイを重ねること二年。今年の夏、僕は初めて女性に隷従する誓いを立て、念願が叶って専属奴隷としての道を歩み始めたのです。 

ご主人様には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

もし、今後、ご主人様を失うことがあるなら、その時こそが僕のSM人生の終焉だと思っています。


長くなりましたが、これが当Blogの今年最後に更新になります。皆様もどうぞ良いお年をお迎えください。


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覚醒

 幼児期の何気ない体験がその後の人生を大きく左右する、そんな出来事でした。
物心が付いて間もない頃の事です。 
その頃の記憶のほとんどは、忘却の彼方へと追いやられましたが、その日の事だけは今も鮮明に覚えています。

 幼稚園の同じクラスに、女のコばかりをいじめて泣かせている男の子がいました。
体が大きく粗暴で、気に入らない事があると髪の毛を引っ張ったり、拳で頭を叩いたり、女のコの絵や工作をメチャメチャにしたり、机の上の物を床にぶちまけたりとやりたい放題でした。

 可愛い子も、そうでない子も、クラスの大半の女のコが被害にあっていたと思います。
もちろん先生も叱ったり何度も注意はしていましたが、優しい女の先生だったのでなめてかかっていたのでしょう。
その子の乱暴は一向に収まりませんでした。

 ところがある日、いつものように女のコを泣かせた男の子に対し、先生がそれまで見せた事もない様な激しい剣幕で怒り出しました。 そして、その子の腕をつかんで教室の前の方に引っ張っていき、部屋中に響き渡るような大声で「女のコをいじめてばかりいると、オチンチンに熱いお灸をすえるわよっ!」と叱責したのです。
 
 ビックリしてる男の子をさらに廊下の方へと引っ張って行き「お灸の部屋に連れて行くから来なさい!」と教室の外に連れ出そうとしました。
必死に抵抗しても大人の力に叶うわけもなく、男の子は何処かに引きずって行かれました。廊下に響く男の子の泣き声。残された子供達はあっけに取られ、教室は静まり返っていました。

 もちろん脅しなので、男の子はしばらくして先生と戻ってきましたが、目を真っ赤にして泣きはらしていました。皆、その子が泣いた姿を見たのは初めてでした。先生は僕たちの前で「男のくせに弱いものいじめばかりする子はオチンチンを付けてる資格なんてないんだから、今度女のコを泣かしたら先生が裁ちバサミで切ってあげるからね!」と宣告しました。 

 今なら大問題になりそうな先生の発言や行動ですが、その男の子はそれ以後、女のコに乱暴する事もなくなり、すっかりおとなしくなりました。

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さて一方、僕はと言えば「女のコはいたわって、優しくしてあげないとダメよ!」と母親に教育されて育った為、女のコを乱暴に扱った事も無く、子供ながらに畏敬の念すら抱いていました。 ところが、この先生の発言が幼児期に芽生える去勢コンプレックスと結びついたのか、この出来事をきっかけに自分の中で何かが目覚めていったのです。

女のコをいじめたり、逆らったりするとオチンチンにお灸をすえられて
最後にはちょん切られてしまう!


 幼いながらもフェミニストだった僕にとって、そんな心配は無用だったはずなのに、それ以来、女のコに悪さをしてペニスに残酷なお仕置きを受けるという妄想が頭から離れなくなってしまいました。
それは恐ろしくて震え上がるような光景でありながら、とても魅惑的で刺激的な なんとも不思議な感覚でした。どういうわけか当事者でもない僕が先生の発言に衝撃を受けて、眠っていたM性を覚醒させてしまった様なのです。

 通常オナニーを覚えるのは第二次性徴期に入ってからだと思いますが、僕の場合はすでに幼児期から習慣になっていました。もちろん精液は出ませんが、エクスタシーには達します。
そしてオナニーのネタは常に女性から受けるペニスへの残酷なお仕置きです。
やさしい先生を怒らせてしまい、泣きながらお仕置き部屋へ引きずって行かれ、クラスの女のコ達が見ている中でズボンを脱がされ、おちんちんにたっぷりとお灸をすえられます。 最後は裁ちバサミで根元から切り取られてのた打ち回るところでエクスタシーを迎えます。 

 この頭の芯が痺れる様な甘美でマゾヒスティックな妄想で、オナニーに耽る日々が続きました。
セックスの事など全く知らない幼児期に、マゾの因子が目覚めた事はとても不思議な気がしますが、以来、僕はノーマルなセックスにはほとんど興味が持てずにずっとマゾヒストとして生きてきました。

 あの日、ペニスにお灸をすえられ去勢される恐怖に怯えた男の子も、被虐に目覚めマゾへの道を歩んだのでしょうか?あるいはあの日、抑え込んだサディスティックな性癖がまた復活して、今も女性の泣き声を聞いているのでしょうか…

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プロフィール

mugi

Author:mugi
踏みつけられて、より強く丈夫に
育つムギの様でありなさいと
ご主人様が付けて下さった奴隷
名です。なんという素晴らしい
ネーミングセンス!
しかも音の響きも可愛らしい。
ビールが大好物の僕にピッタリ!
とても気に入っています(*^o^*)
馬派(苦痛)・犬派(奉仕)・豚派
(便器)全てのM性癖を持ち合わ
せたオールラウンダーな変態を
目指しています。

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