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手塚治虫とマゾヒズム

 ここ数回、 「マゾヒズムに花束を!」 では、漫画やアニメ、テレビドラマなどのメディアが、いかにマゾヒズムの形成に影響を与えてきたかというテーマで語られています。

 今回は、僕もそれに便乗して、少しだけチュクチュクしてみたいと思います^ ^

 今の若いかた達はほとんど読まれた事がないかもしれませんが、昭和時代の漫画は手塚治虫に始まり、手塚治虫に終わったと言っても過言ではありません。

 幼い頃から学年誌等で親しんできた手塚漫画は、僕の中では長らく健全な読み物といった認識でした。 親達もそう思っていたからこそ、安心して子供に買い与えていたのだと思います。

 手塚治虫は生前、「漫画は子供にとっておやつのようなもの」と語っていましたが、彼の作品は一見、甘いお菓子のように見えても、口の中で噛み締めてみれば、辛かったり、苦かったり、子供の心に引っかかる複雑な味が絡み合って構成されていたような気がします。

 小学校高学年位になると、この作家の作品が、意外にも深い闇をはらんでいるという事実に気がつき始めました。

 アトムも、レオも、サファイアも、どろろも、丸っこい描線で愛らしく描かれてはいましたが、心の奥に深い哀しみや苦悩を抱えたキャラクター達でした。

 虫プロが、アニメ制作の失敗による痛手を負って倒産した時、系列の出版社から大人向けの手塚漫画が、古本屋に大量に放出されました。

 同じ時期に大都社という出版社からも、大人の手塚作品が続々と刊行されています。

 当時、僕はそれらを片っ端から買って、貪るように読み耽りました。

 大人の手塚は、子供にとって到底一筋縄でいくような代物ではなく、トラウマになるような話も沢山ありました。

 とりわけ、女性が主人公の作品には、大人の女性美やエロスへの憧憬だけでなく、女性に対する言い知れぬ畏怖のような感情を植えつけられたものでした。

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 手塚治虫は少年漫画においては、明るく勝気な女性像を好んで描いていましたが、青年誌では全く異質の、魔性というよりは寧ろ魔物そのものと言った方が的確であろう女性達を、数多く登場させています。

 石上三登志は著書「手塚治虫の奇妙な世界」の中で、手塚治虫のヒロイン造形“昆虫のメス的であり、女王的である”と論じています。

 昆虫世界においてはメスが圧倒的に優位であり、生存や適応能力に関しては生物中で最も優れている。と…

 そこには、マゾヒスト達が理想として掲げる、女尊男卑の世界が形成されているのです。
 オス達は、女王のもとで奴隷のごとく支配され、酷使され、最期は餌となって生涯を終えるものさえあります。

 手塚作品のヒロイン達は、そうした昆虫の生態をモチーフに造られているという石上の考察は、的を射ているかもしれません。

 加えて僕は、手塚自身が潜在意識の中で、女性という存在に“怖れ”を抱いていたのではなかったかと感じています。

 様々な才能を吸収しながら、羽化を繰り返す蝶のごとく、華麗な変身を遂げていく「人間昆虫記」の十村十枝子。

 
 自在に姿を変えて他人の人生を演じながら、男女の葛藤や運命の行く末を見守るIL(アイエル)。

 
 地下深く眠る母の棺の前で、男達への復讐を誓う「地球を呑む」のゼフィルス七姉妹。

 
 アル中のフーテン娘の風貌でありながら、いつの間にか男に取り憑いて堕落させていく魔女バルボラ…etc



妖しく美しい女達に内在する、無邪気で気まぐれな残酷性。

 そこには永井豪の漫画のように、ストレートでマゾヒスティックな性描写こそありませんが、それ故に余計に深く、魂の暗部を狙撃されたような気がするのです。

 手塚漫画のダークな一面は、綿密な計算のもとで描かれたものもあれば、作品を描いた当時の精神状態に影響されたものもあったようです。

  手塚本人は顔をしかめながら、スランプや、会社経営が破綻した時期に、どん底の精神状態で描かれた作品を恥じていましたが、僕は寧ろ「アラバスター」「ダスト18」など、暗い作風の中にこそ、手塚治虫の本質を感じ取っていました。

 大人向けの手塚作品と、どん底の時期に少年誌に発表された手塚作品との遭遇は、ほぼ同時期で、僕にとって多感な世代へと足を踏み入れた時期に該当しています。

 それらは、グロテスクで淫靡な香りを放ちながら、僕の内面にジワリと染み込んで増殖し、直接的ではないにしろ、マゾヒズムにも多大なる影響を与えたと思っています。

 僕のマゾヒズムは幼少時に覚醒した後、漫画や小説、ドラマなどの影響を受け、さらにSM雑誌やビデオ、現実の女性達との関わりの中で育まれていったと言えるでしょう。


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谷崎潤一郎をコミックで読む

 イースト・プレスから刊行されている“まんがで読破”シリーズの、コミック版「痴人の愛」を読んでみました。

 “まんがで読破”は、世界の名作文学や難解な古典を気軽に読めるという事で、すでに130タイトル以上が刊行されている人気シリーズです。

 名作のコミカライズと言うと子供向けといったイメージがありますが、このシリーズは怪作や問題作にもスポットを当て、幅広い年齢層を対象にしたラインナップが好評を得ているようです。

 小説の場合、作者が構築した世界観や作品に込めた主題などをどれだけ読み取れるかは、読む側の知識や経験や想像力などによって違ってきます。 しかし、コミカライズの場合は漫画家の手によって作品のイメージが固定化されているため、それらをあまり必要としません。

 例えば文中に長火鉢が出てきた場合、長火鉢を知らなければ自分で調べるかあるいは適当に想像するしかありませんが、コミックの場合は漫画家が一つ一つ資料を元に視覚化してくれているわけです。 また、登場人物の性格や思考なども、ある程度簡略化する事でよりわかりやすく、感情移入しやすいように工夫がなされています。

 そういったところが、コミカライズ作品の読みやすさに繋がっているのだと思います。

 ただ、絵は多くの情報を視覚的に瞬時に伝える事ができますが、その情報量は漫画家の力量によって大きく左右されます。
また漫画には、セリフを簡潔にして説明的な部分はできるだけ絵で見せるという大原則があります。 そうした部分の取捨選択も漫画家の構成力やセンスに負うところが大きい訳です。

 さらに言えば、漫画家が小説家の描いた世界観を必ずしも正確に把握し、再現できているとは限りません。

  原作を先に読んで自分なりのイメージを持っていた場合などは、コミカライズの内容に違和感を覚える事があります。 文学や漫画を実写映画化した場合もまた同様です。

 それは原作者側の目線からも言えることで“視覚化されたものはオリジナルとは別物”と捉える作家が多いようです。

 ですからコミカライズは、様々な制限のある中で、原作を元に漫画家が創造した世界と考えるのが妥当なのではないでしょうか。

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 “まんがで読破”シリーズの「痴人の愛」はTeam バンミカスが構成と作画を担当しています。

  絵はハイコントラストのややレトロなタッチで、描き込みは少ない方です。 単純でスッキリとわかりやすい線である反面、キャラクターのアクが強く、好き嫌いがはっきりと分かれる絵だと思います。 谷崎の「痴人の愛」の作画に向いていたかどうかは意見の分かれるところでしょう。

 キャラクターの表情のひとつひとつは悪くはないのですが、その割にナオミの奔放で妖艶な魅力や、彼女を思い通りに操ることができない譲治の焦りや苦悩がいまいち伝わってきません。 絵に説得力が乏しいのかな…というのが僕の抱いた率直な感想でした。

 話の方は原作の持つエッセンスを巧みに抽出し、分かりやすく構成されていると思います。 作品のあらすじを理解するには十分ですが、それ以上でもそれ以下でもなく無難にまとまっている印象です。

 小説には自由に想像を巡らしたり、作家の文体や表現法を味わう、文学ならではの醍醐味があります。

 谷崎潤一郎の芸術とも称賛される美しい文章に触れるには、原作を読む以外ありません。
そう言った意味では、コミカライズは原作に興味を持つきっかけとしての役割を担えれば十分なのかもしれません。

 
 

 …などととても偉そうな事を書いていますが… 恥ずかしながら、僕がこの作家の偉大さに気づかされたのは実はごく最近の事です。

 「痴人の愛」に関しては、学生の頃に読みました。  山口百恵と三浦友和の共演で「春琴抄」が映画化され、話題になっていた時代と重なります。 映画版の「痴人の愛」もテレビで観た記憶がありますが、原作を読んだのとどちらが先だったかは、ハッキリしません。

 一貫してフェティシズムやマゾヒズムに主題をおいた作品を発表し続けた谷崎ですが、正直言って当時の僕は、氏の作品にさほど魅力を感じていませんでした。
 
 女性による肉体的受苦を渇望し、残酷で刺激的な拷問シーンを妄想していた僕にとって、谷崎潤一郎の描く、女性美に対する憧憬や精神的マゾヒズムは淡くて物足りなかったのだと思います。 代表作をいくつか手にとってみた記憶はあるのですが、特に印象に残った作品はありませんでした。

 ところがここ数年、ご主人様と主従関係を結び、マゾヒズムの精神性に目覚めるに至って、改めて谷崎潤一郎の作品と人となりに興味を抱くようになりました。

 そんな折、もう一冊、昨年の11月にめでたく刊行された谷崎潤一郎マンガアンソロジー「谷崎万華鏡」も、予約購入して読んでみたのでした。

 このシリーズは、文豪・谷崎の生誕130周年を記念して企画され、11名の漫画家&画家が谷崎文学の耽美な世界観を各自の感性で自由にマンガ表現したものです。

 11名の執筆陣の中で僕が名前を知っていたのは半数ほどでしたが、そんな事は全く気にならないほどそれぞれの個性が光っている作品集でした。

 その内容は原作のコミカライズだけに留まらず、作家論、オマージュ、オリジナル作品等々バラエティに富んでおり、全作品を読めば谷崎潤一郎の人物像や世界観の概要がある程度理解できる構成になっています。 それぞれの漫画家が谷崎の世界観を自由気ままに描いている分、僕にはオリジナルとのギャップはあまり気になりませんでした。

 この漫画シリーズは2015年5月から中央公論新社の特設サイトで公開が始まり、その後は月に一本のペースで新作が発表され、順調に回を重ねていきました。

 新作が発表されると、旧作は冒頭の4ページのみの公開となって全体が読めなくなります。

 僕が偶然この企画を知ったのは、シリーズの半ばを過ぎた辺りからでしたので、それ以前に発表された作品の続きが気になって仕方がありませんでした。 しかし、こうした公開のやり方から見ても「このシリーズは完結後、間違いなく単行本化される」と踏んで、本の刊行を楽しみに待っていたのです。

 ところが最後の最後に来て、シリーズのトリを務める画家の山口晃氏の作品が予定通りに公開されないというアクシデントが起こりました。

 それまでは毎月1日に新作が発表されていたのですが、当日発表されたのは編集部のお詫びコメントでした。

 その後、何度もサイトを訪れるも、予定を1ヶ月過ぎても全く内容が更新される気配がありません。
山口晃氏は遅筆で有名な方のようですが、それにしても遅い… 本の刊行を心待ちにしていた僕は、お預けを食らったまま忘れられてしまった犬のように恨めしい気持ちになっていました。

 しかし、それは果てしない放置プレイのほんの序章に過ぎなかったのです。

  編集部も最初は何月頃公開と見込みを付けてお詫びのコメントを更新していましたが、終いには近日公開予定としたまま何ヶ月もが経過しました。

 当初は僕も毎日のようにサイトを確認しに行っていましたが、何度行っても無駄足でした。
山口氏のせいで、このまま企画自体が頓挫してしまうのではないかと不安に思ったものです。

 苛立ちは怒りとなり、やがて呆れ果て、最後は諦めに変わりました。
編集部もこの事態にはさぞかし困惑した事と思います。

 さらに数ヶ月が経過し…興味を失い、忘れかけていた頃、それは突然発表されたようでした。

 ようでした。…というのは、久しぶりに思い出して、サイトを訪ねた時はすでに公開期間を過ぎて冒頭部分しか読めなかったのです。

 フ・ザ・ケ・ル・ナ・ヨ・ヤ・マ・グ・チ・ィ…( ̄O ̄;)

 
 もちろん山口晃氏の名前は以前から知っていましたし、その豊かな才能には敬服していました。
多忙な方であるという事は容易に想像がつきますが、さすがにここまで遅れるとは思ってもみませんでした。 これではプロとして失格です。

 本来なら2016年3月に公開されるはずだった作品は、遅れに遅れてなんと7ヶ月後の10月になってようやく公開と相成ったのでありました。

 氏がシリーズのトリに選ばれたのは編集部の敬意の表れでしょうが、同時に遅筆を見越しての配慮とも考えられます。

  「原文を漫画用に脚色するコツがつかめずネームに異様に時間が掛かってしまった」と、あとがきにありましたが、締め切りを守ってこそなんぼのプロの世界。 あの藤子不二雄ですら締め切りに遅れて雑誌に穴を開け、仕事を何年も干されていた時期があるのです。

 まあ、山口晃氏は漫画家ではありませんから、慣れない作業に手こずったのは仕方ありませんが、仕事を引き受けたからにはしっかりと締切は厳守して欲しかったです。

 そんなわけで久しぶりにサイトを訪問した時はすでに全作品の公開が終了していましたが、僕の予想通り、シリーズの単行本化のお知らせが掲載されていました。

 さっそくAmazonでポチったのは言うまでもありません。

 話がだいぶ脱線してしまいましたが、発売日に届いた「谷崎万華鏡」は和を意識した美麗な装丁が目を惹く美しい本でした。

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 僕はやはり電子書籍ではなく、存在感のある紙の書籍が好きです。


 待ち焦がれていた作品の続きを一編一編、噛みしめるように読みながら、文豪・谷崎の耽美な世界を堪能しました。

 画風の好みで言えば、僕は古谷兎丸氏と山田参助氏と山口晃氏に軍配を上げます。

 古谷氏は黒髪の艶や服のシワの一本一本まで丁寧に描き込む細密な描写で少女の魔性を紡ぎ出し、対して山田氏は単純な描線によって見事なまでに女性のエロティシズムを捉え、山口氏はデフォルメとラフな筆のタッチで谷崎のコミカルでユーモラスな一面に光を当てます。

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 内容的に注目したのは「青塚氏の話」で、主人公の狂気じみた執念に薄気味の悪さを覚えつつ、ご主人様という1人の女性を狂信的に崇め奉る自分の姿を重ねながら読みました。

 憧れの女優の面影を追い、全国の遊郭を巡って彼女の身体的パーツに酷似する遊女達のデータを収集し、それらを統合して女優と生き写しのダッチワイフを作り上げるという狂的なフェティシズムは谷崎の世界観そのものという感じがします。

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 また国民的アイドルグループのメンバーながら全く人気が出ないナオミンと、彼女を崇拝するファン・譲治の物語に転化した現代版「痴人の愛」も好きな一編です。 コアな谷崎ファンには原作の愚弄ととる方もいるかもしれませんが、この作品はエンタメとして楽しむのが正解でしょう。

 ナオミンは自分が外見だけで中身は空っぽの女の子である事を自覚しつつ、その“上等な、意志を持った外側”で譲治を翻弄し跪かせます。 

 どんな賢人も女性美の前では痴人に成り果てる。 

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 まんがで読破シリーズの「痴人の愛」とマンガアンソロジー「谷崎万華鏡」の違う点は、前者は数ある名作のコミカライズの中の一編、後者は谷崎潤一郎全集を編纂する出版社が企画、構成した思い入れ深い作品集であるといったところでしょうか。 

 両者とも僕のような初心者が谷崎作品に触れるきっかけや入門書として楽しむにはもってこいの本だと思います。

 僕はまだ文豪「大谷崎」の煌めく才能の一端しか知りませんが、今後ゆっくりとその魅力を味わっていきたいと思います。

 日本語の美しさと世界に誇る漫画文化を思う時、この国に生まれた喜びをしみじみと感じます。

 
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バイオレンス・コミックの巨星逝く

 また一人、子供の頃からのお気に入りだった漫画家さんが亡くなられてしまいました。

 望月三起也。 2016年4月3日没。 享年 77 歳。

 代表作の「ワイルド7」は2011年に瑛太主演で映画化され話題になりましたので、若い方でもご存知の方がいるかもしれません。

 2014年には「W7」というオールカラーの新作が大判の豪華本で刊行され、昨年末には「ワイルド7R(リターンズ)」の第2巻が3年越しの完全新作として描き下ろされたばかりでした。 往年と変わらぬ巧みな構成力と衰えを知らないダイナミックで力強い筆致に舌を巻き、まだまだ伝説は続くものと期待した矢先だったので、まさかこんなに早く逝ってしまわれるとは思いもよりませんでした。

 肺腺ガンだったそうです。

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©Mikiya Mochizuki

 望月三起也氏は、少年キング(1988年12月廃刊)というややマイナーな雑誌を主戦場にしていたせいか、あるいは氏の卓越したセンスが時代に早過ぎたのか、妥協を許さないハイクオリティな作品群を残してきた割には正当な評価がなされてこなかったような気がします。

 しかし重厚で緻密なストーリーと、誌面狭しと展開される大迫力のアクションシーンは後に公開された映画「マッドマックス」や「ダイハード」の原点とも言われ、子供から大人まで幅広い読者層を熱狂させた真のエンターテイナーであった事だけは間違いありません。

 銃器やメカに精通し、ハードな男の世界を描く事に心血を注いだ作家のように思われがちですが、実は厚い義理人情や独自のユーモアが作品の隠し味となっており、男前のキャラクター達が多くの女性ファンをも魅了していたのです。

 またアメリカンナイズドされた肉感的でセクシーな美女を描かせたら漫画界随一で、作品発表の場を青年誌に移してからはその本領を発揮し、艶やかな女性が主人公のコメディ作品で新境地を開拓されていました。

 わずかな描線だけでここまで緻密に女性の身体の質感を描き出せる漫画家を、僕は他に知りません。

 荘厳なまでの女体美に魅了された望月氏は絵に描くだけでは飽き足らず、女性をモチーフにした多くの3Dフィギュアも自作しています。 その腕前はプロの原型師を超えていると言っても過言ではないほど一体一体が精密に作りこまれ、ファン垂涎の素晴らし出来栄えとなっています。 こんなところにも望月氏の凝り性が表れていると思います。

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©Mikiya Mochizuki

 
 実は僕は多感な思春期の頃、望月氏の描くエロかっこいい女性達に心を奪われていました。

 特にワイルド7の紅一点・本間ユキのS性は、僕のマゾヒズムをおおいに刺激してくれていたのです。

 かつてゲリラ一味に家族を皆殺しにされた彼女は、復讐に燃える冷徹なゲリラハンターとして登場し、やがてその類稀なる戦闘能力と巨悪を許さぬ正義感を買われ、ワイルド7の追加メンバーとして迎えられます。

 それまで少年誌では決してお目にかかる事がなかったグラマラスでエロティックな肢体

 銃器だけではなくその躍動感溢れるボディを武器に変えて、悪党どもを次々となぎ倒していく姿に僕は魅了されていました。

 何しろ彼女の膝蹴りを顔面に食らった敵の戦闘員が、鼻の下を伸ばして「ウヒウヒもっと…」とおかわりを欲しがってしまうくらいS的魅力がある女性なのです。

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©Mikiya Mochizuki

 こうした描写を見ると、望月氏は男性に内在するマゾヒズムを充分理解した上で攻撃的な女性を描いていたように思えます。

 彼女は作品中ではみそっかすのユキと呼ばれていましたが、中々どうしてリーダーの飛葉を支えて男性メンバーのお株を奪う素晴らしい活躍を見せていました。

 作品の後半では警部補の地位を与えられた女性だけの別動隊“女ワイルド7”を結成し、そのリーダーとして圧倒的な存在感を示すまでに成長したのです。

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©Mikiya Mochizuki
 

 映画「ワイルド7」に関して言えば、ファンの間でも賛否両論のようですが、漫画原作の実写化は概ね世間的評価は低いものです。 特に“ワイルド7”のようにすでに不朽の名作としての評価が確立されている作品に手を出す事は、聖域を侵す行為に等しいと思います。

 原作に思い入れが深いファンほど安易な設定の改変や蛇足的なエピソードの付け足しを嫌いますし、キャラクターのイメージを少しも損なう事なく誰もが納得いくキャスティングをするのは至難の技でしょう。

 原作の雰囲気だけはそこはかとなく伝わってはくるものの、やはり別物。 僕にとって映画「ワイルド7」はそんな感想を持った作品でした。

 しかしあくまで個人的見解ではありますが、僕は本間ユキのキャスティングに深田恭子を起用した事だけは評価しています。 原作とはキャラクター設定もかなり変更されていましたが、ベビーフェイスには不釣り合いな過激なエロスを発散する肢体、どこかもの悲しげで謎めいたユキのキャラクターに深キョンはピッタリとはまっていたと思います。

 何と言っても彼女にならば、悪党になって退治されたいと思えますもん^o^

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 かつてお色気とアクションを融合させてテレビの前のM男性達を釘付けにしたテレビドラマ「プレイガール」や「フラワーアクション009ノ1」のお姉さま達を、さらに冷酷非情にしたS的キャラクター・ユキはハードマゾに憧れていた少年期の僕の心のドミナでした。

 たくさんの夢や希望、M的妄想を与えてくれた望月三起也氏に感謝し、謹んでご冥福をお祈り致します。


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妖怪博士のfemdom観

 気持ちが沈んでいる時に、さらに気が滅入る訃報が飛び込んできました。
日本を代表する漫画家・水木しげる大先生が11月30日に享年93歳でお亡くなりになられた…

 短命を宿命づけられた漫画家の中にあって、確かに長寿を全うされた部類に入るかもしれません。
しかし先の大戦で最前線に送られ、戦闘で片腕を無くし、地獄をくぐって奇跡的に生還された方だという事を考えれば、まだまだ長生きをしてご活躍頂きたかったです。

 僕は水木先生の、固定観念にとらわれない自由奔放な作風を愛していました。
鬼太郎と妖怪の重要な格闘シーンを絵ではなく文章で解説したり、長台詞の途中でコマを割ってしまったり、ラストシーンが小さな一コマで終了していたりと独自な漫画作法をお持ちの方でした。
些細な事にはこだわらない大らかさが、作品の持ち味にもなっていたように思います。

 “妖怪”という異形のもの達を日本の文化として根づかせ、ユーモラスで愛される存在へと昇華させた功績は計り知れません。 また自らの戦争体験を絵筆に込め、戦争を知らない世代にその悲惨さを訴え続けてきた貴重な生き証人でもありました。

 折しも講談社から「水木しげる漫画大全集」が、第2期まで刊行されている最中でした。
画業66周年の偉業を全て網羅する漫画大全集は、2年半かかってようやく半分ほど刊行されたところでしょうか。 漫画家・水木しげるをメジャーに押し上げた古巣の講談社から、全集が刊行される事を先生は大変お喜びだったそうです。
その完結を見る事なく亡くなられたのは、さぞかし無念であったでしょう。

 代表作「ゲゲゲの鬼太郎」は世代を超えて万人に愛されていますが、僕は水木先生はどちらかと言えば大人向けの作家だったと思います。 競争社会や世知辛い世相をユーモアとペーソスで風刺して、奇妙で味付けした珠玉の短編群は水木ブランドの真骨頂でした。

 水木作品の短編には、サラリーマン山田に代表される“うだつの上がらない亭主"が、その無能さを古女房にネチネチといびられているシーンが度々登場します。 男性は女性に捕まったが最後、生涯 女性の奴隷として身を粉にして働く運命にあるのだとでも言いたげです。 職場では奴隷同士の生き残りをかけた熾烈な出世競争にも打ち勝たなければなりません。
美貌とは程遠い悪妻に尻を叩かれ、絶望の淵で「フハッ」とため息をつく男達の悲哀溢れる姿は、マゾヒストの僕ですらしんみりと考えさせられてしまうものでした。

 また、あくせく働く人間を冷めた目で見つめている傍観者として、作中によくネコを登場させていました。 ご自身もネコはお気に入りのようで、ねこ忍や猫楠、猫娘、猫仙人等々…猫をモチーフにした作品やキャラクターが沢山描かれています。

 愛らしい姿で人間を魅了し、自ら働かなくとものんびりと気楽に生活していけるというネコのライフスタイルに、水木先生は羨望の眼差しを向けていたようです。 しかし、猫社会でもオスは縄張りやメス猫を巡って、優勝劣敗の厳しい闘いを繰り広げているのが実情であります。

 水木先生は美女がとてもお好きだったそうです。
水木漫画に描かれる美女は、人物の作画を担当したアシスタントの交代によって画風の変遷があります。 それは「赤い花」のつげ義春であったり「男組」の池上遼一であったり、大先生に画力を認められた者たちの仕事でした。 大先生がペン入れを終えた画稿には、ただ鉛筆で丸に美女とだけ指示が書かれていたそうです。

 水木作品に描かれる美女たちは、男を翻弄し男を食い尽くす魔性を持った女性達が多いような気がします。 それは魔女や妖怪や幽霊など、この世のものではないもの達の仮の姿でした。

 水木作品の中で最もfemdomっぽいものを挙げるとするならば、それは「魔女モンロー」だと思います。

 劇画家・水木しげるのプロダクションにアシスタントとして雇われたマリリン・モンローそっくりの金髪美女。 彼女は夜な夜なサパタを開き、日本のトップレベルの有力者達を暗殺しようと企む魔女だったのです。 水木は魔術による殺人に加担させられて警察に逮捕されてしまいます。 そこで彼は罪を不問にしてもらう代わりに、魔女退治に協力する事になるのでした。 魔術研究科・小西の協力を得て就寝中の魔女の身体を切り刻み、霊力を封印しようとしますが、あっけなく返り討ちにされてしまいます。 妖しいエロスと圧倒的な霊力で男たちを支配し、女王として君臨する魔女モンロー。 男達は生殺与奪の権を握られているために誰も逆らえません。

 彼女を女王様と呼び、美と権力の前に跪く男達の姿を描いたこの作品には、間違いなくfemdomの精神が宿っていたと思います。

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「魔女モンロー」©水木プロダクション

 水木先生が女性美を魔性と捉え、その裏側に潜む暗黒面を描くのはなぜだろうと考えた時、氏が語る戦時中のエピソードが思い当たります。

 水木先生は激戦の地・ラバウルに派遣された際に、エプぺという原住民の美女と知り合い、やがて彼女に惹かれていくようになります。 ご本人が仰るには、エプぺはそんじょそこらにいるような生半可な美女ではなく、絶世の美女だったそうです。彼女は病身で寝たきりの夫を支えながらも水木先生に好意を示し、よく果物や芋などを振舞ってくれました。  やがて終戦を迎え日本へと帰還する際に、親切にしてくれた原住民達に別れを告げようと水木先生がジャングルへと入っていくと…

 滝の前で水浴びをするエプぺに遭遇しました。

 裸身のまま、ニッコリと微笑みかけるエプぺの“この世のものとは思えぬ妖しい美しさ“に水木先生は息を飲みます。 現地の人たちは、聖域であるジャングルで男女の営みをするのが習わしでした。
その笑みは、別れを前にしたエプぺのOKのサインだったのです。

 しかし、水木先生はエプぺの誘いには乗りませんでした。
若くて性欲を持て余した兵隊達には、あらかじめ“原住民の女性達”とは性行為をしないように上官から布告が出ていたのです。 現地の女性達の間で男性器が溶けてなくなる“ローソク病”という性病が流行っているので、注意するようにとのお達しでした。 後に水木先生は、彼女の誘いを受けなかった事について「ローソク病が怖かった」とハッキリと証言されています。

 水木先生は原住民達にこの地に留まるよう熱心に勧められましたが、後ろ髪を引かれる思いで帰還します。 やがて仕事に忙殺されるようになると、当時を振り返って「もしあの時エプぺの誘いに乗っていたら今もラバウルで暮らし、漫画家・水木しげるは存在しなかったかもしれない」と運命の不思議さに思いを馳せていました。

 水木作品における美女の、魔性の裏に潜む“美しいバラにはトゲがある”的な女性観はそんな体験が影響を与えてるのかなとふと思いました。


 生還後は妻・布枝さんと見合い結婚をし、二人三脚で長い長い漫画道を歩んでこられました。
晩年、自分の仕事を陰で支えてくれた妻の功績を讃えながら「家内は私にとって空気のような存在。目に見えなくても大変な努力をしているんでしょうね。」と語っていたのがとても印象的でした。

 マゾヒズムはいわば転落下降願望であります。 戦中も戦後も毎日、生きるか死ぬかのギリギリのところで生きてきた水木先生には、マゾヒズムは芽生えなかったのではないかと思います。

 マゾヒズムは平和で豊かな時代であるからこそ享受できる快楽ではないでしょうか。

 晩年の水木先生は「水木サンの幸福論」を上梓されるなど、ご自分の幸福を実感されていたのだと思います。
この本の中で紹介された「幸福の七カ条」は世界中の幸福な人々・不幸な人々を観察してきた水木先生の体験から生み出された幸せになるための知恵だそうです。

 幸福の七カ条

第一条  成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。

第二条 しないではいられないことをし続けなさい。

第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。

第四条 好きの力を信じる。

第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。

第六条 怠け者になりなさい。

第七条 目に見えない世界を信じる。



今の僕にとって第三条「他人との比較ではない、あくまでも自分の楽しさを追求すべし。」という条項が深く心に沁みます。



水木しげる大先生のご冥福を心からお祈りしてこの項を終えたいと思います。


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マゾヒズムを嗤う

 国会で、“宮沢洋一経産相の資金管理団体が、政治資金をSMバーに拠出していた問題”を追求していた民主党の菊田真紀子議員

 くだんのSMバーに対して「口にするのも汚らわしい」と発言し、「セクシャル・マイノリティに対するヘイトスピーチではないのか」とネットで散々叩かれていました。

 そして、ネット民はどこで発掘してきたのか、菊田議員が巨大な男根の御神体に乗り大はしゃぎしている様子を撮った写真を公開し、反撃に出たのです。

 「チンコに跨がった女が法案審議を妨げる。」 民主党議員のお家芸、巨大なブーメランが突き刺さったと言う訳です。

 「口にするのも汚らわしい」との発言は、性的マイノリティに対する差別だけでなく、SMバーで働いている女性達にとっては職業差別でもあります。  確かに国会議員としてはふさわしくない発言だと思いますし、口を滑らせたとはいえ、彼女のSMに対する差別意識が露骨に表れています。

 そして宮沢大臣が「私は行っていない!」と真っ先に弁明するあたり“世間のSM愛好者に対する目"がどの様なものであるのか察することができます。

 オープンになったと言われますが、今だに世間はSMに対して冷ややかな目を向けているという事です。

 一連の騒動を見ていて、当のマゾヒストである僕でさえニヤニヤと嗤ってしまった。

 SMにはどこかコミカルな一面がある様に思います。

 そしてマゾヒストはどこか悲哀に満ちた人種です。

 憧れて恋い焦がれる異性に蔑まれ、虐げられる事に喜びを感じてしまうのですから。

 マゾヒスト達が、真剣に追求している性的官能の深淵も、ノーマルな人から見れば滑稽な道化芝居の様に見えるのでしょう。

 崇拝する女性に対する純愛は、とても美しいものですが、世界の中心で「俺はマゾヒストだ!」と声高に叫ぶことは出来ない。


 友人同士の飲み会の席で、「俺ってもしかしたらチョイMかも」なんて言ったりしているのです。

 実際は激しく痛めつけられる事で性的欲求を解放するバリバリのハードMです(笑)

 終日働きづめの友人が、奥さんに給料を全て押さえられ、小遣いなしで飲み代の捻出に苦労している姿を見て「まるで奴隷の様な生活だな」と揶揄したりします。

 実際は寝ても覚めてもご主人様の事ばかり想い、焼印を頂いて歓喜している奴隷が僕です。

 夫の行動をいちいち詮索する嫉妬深い妻を持った友人に「お前が貞操帯を着ければ奥さんも安心するよ」と言って茶化したりもします。

 実際はご主人様に射精管理をして頂き、股間にガッチリと貞操帯を食い込ませているのが僕です。

 どうです?  マゾヒストの日常ってなんだかペーソスがたっぷり盛り込まれたギャグ漫画の様な趣きがありませんか?


 昔読んだ赤塚不二夫の「天才バカボンのおやじ」「死ぬほどいじめてなのだ」という、マゾヒズムをテーマに描かれた一編がありました。

「天才バカボンのおやじ」は、少年マガジン誌上で息子のバカボンを食って主役の座に着いたバカボンパパの活躍を大人向けのマンガ誌に移植した作品です。 

 大人向けということで多少エロ的な要素が盛り込まれた話も見受けられますが、決してどぎついものではありません。

 「死ぬほどいじめてなのだ」は、超絶ドMのヒゲのお巡りさんの悲哀を笑った作品でした。

 僕はこの作品が収録された文庫を成人になってから古書で入手したので、リアルタイムで読んだわけではありません。 
 
 作品が描かれたのはなんと今から半世紀近くも前の1970年頃。 おそらくSMは変態的な行為として今よりはるかに厳しい目に晒されていた時代だと思われます。

 赤塚不二夫氏は、自らもタモリと絡んでSMショーに興じるなど、マニアの一面もあったのかと思われる方もいるかもしれませんが、実はSMに潜むギャグ的な要素を感じ取って作品中に取り上げていたのだと思います。

 悪ふざけが大好きだった永遠の少年は、自らの体を張って面白い事にはなんでも挑戦していたのです。

 この加虐と被虐というマテリアルは長年、氏のブレーンを務めていた古谷三敏の出世作「ダメおやじ」に継承されていったのでしょう。

 著作権の問題もあるので全ページを掲載する事は出来ませんが、「死ぬほどいじめてなのだ」のSTORYを紹介しますと…

 交番勤務のヒゲのおまわりさんは、ハード嗜好のマゾヒストで、職務中も“誰かにいじめられたい”という思いが頭から離れません。 彼のマゾヒズムの対象は女性ではなく、誰でもいいみたいです。 このヒゲのおまわりさんは、赤塚作品ではオネエキャラとしても定着しています。

 彼は身近にいる同僚の警察官や道を尋ねに来た人に「いじめて欲しい」と頼み込みますが、気味悪がられて相手にしてもらえません。 おまわりさんの被虐願望は膨らんでいくばかりです。


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 ついには捕らえられた泥棒にまで駆け引きを持ちかけます。
「ぼくをしばってなぐっていじめてくれたら…」逃がしてあげるというわけです。
おまわりさんを縛った泥棒は、彼の願望を叶えることなく、何もしないで逃げて行きます。

 泥棒を見失ったおまわりさんは、悔しくて犬を蹴り飛ばし足を噛まれてしまいます。
「ヒー きもちいいーっ!!」
飼い主があわてて飛び出してきて犬を引き離しますが、平謝りの飼い主に「せっかくかんでたのに…きらいっ!!」

そこに例の同僚がやってきて…


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 願望が実現することなく黄昏ているおまわりさん。
そしていよいよ、あのお方の登場です。


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  「もっともっといじめてください!!」と切望するおまわりさんに「おまわりは人をいじめるのが商売なのだ! !︎」と返すパパのセリフが秀逸過ぎます(笑)

 おまわりさん「いじめられるとゾクーッと感じちゃうの! !︎」
パパ「いい人にあったのだ。」 

 まるでご主人様と僕との運命的な出会いの様です(笑)
 
 パパのお家に誘われて、期待を膨らませてついて行くおまわりさん。
唐辛子入りのお茶や熱湯風呂の洗礼で次第にマゾヒズムがエスカレートしていきます。
作者は、刺激に慣らされてどんどんと深みにはまっていくマゾヒストの性向をよくご存知の様です。

様々なパパの責めの提案もすでに経験済みで飽きてしまっているおまわりさん。

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 パパ特製の特大級お灸責めで歓喜します。

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 そして…SMがエスカレートしていった末の不幸な事故死
僕も気をつけなくてはいけません( ̄▽ ̄)

 なんとも哀しい結末です。


 実は今回Blogでこの作品を取り上げたのは、先日のご調教でご主人様からお灸責めをされている時にこのお灸のラストシーンを思い出したからです。

 ご主人様にその内容をお聞かせした所、「へぇ〜、バカボンてシュールな漫画なんだね! ?︎」と驚かれていました。 しかし僕は、ご主人様がバカボンの事をあまりよくご存知ないという事の方が驚きでした。

 でも、よく考えて見れば平成のお嬢様育ちだったご主人様が、赤塚漫画をご存じなくても無理もありません。

 確かにご本家の「天才バカボン」の方も回を重ねるごとにシュールを極めていった感じです。  2ちゃんでも度々語られている“ダルマの話”などは、もはやホラーの様相を呈しています。

 “儲かりたい病の男"が、不要と思われる身体のパーツを次々と医者に売っていき、最後はダルマになってしまう。 手がないので売ったお金を受け取ることもできないというブラックな話です。
ラストはパパに髭を描かれて、大衆食堂の店内に飾られてしまうのです。

 ご主人様にこの作品の内容に関してもお話しすると、「ダルマは私もスキー♡」と仰られ、次回の調教で全身拘束具を使ったダルマ状態でペニス拷問を受ける事になりました(笑)

 そんなご主人様は、妖怪ウォッチにはまり、リラックマを愛する可愛らしい現代女子なのであります。

 さて、社会から差別されることを恐れ、生涯、自らの性癖をカミングアウトする事はないであろう僕ではありますが、それでもなお“マゾヒストに生まれてきて本当によかった”と心から思っています。

 たとえ嗤われても「マゾほど素敵な性癖はない!」と心の内で声高に叫ぶことならできるのです。

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プロフィール

mugi

Author:mugi
踏みつけられて、より強く丈夫に
育つムギの様でありなさいと
ご主人様が付けて下さった奴隷
名です。なんという素晴らしい
ネーミングセンス!
しかも音の響きも可愛らしい。
ビールが大好物の僕にピッタリ!
とても気に入っています(*^o^*)
馬派(苦痛)・犬派(奉仕)・豚派
(便器)全てのM性癖を持ち合わ
せたオールラウンダーな変態を
目指しています。

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