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苦痛系マゾの羞恥シーン

 僕は元々、社会との繋がりが希薄な人間なので、成人してからは対人関係で恥ずかしい思いをしたという経験がほとんどありません。  しかし、どちらかといえばシャイな性格で、本来 羞恥心は人一倍強い方だと思うのです。

 思春期の頃は、思いを寄せる女性の前ではガチガチに緊張したので、周囲にはすぐに恋愛感情を見透かされていました。 フツメンの女子には反応しないのですが、美人の前では顔が紅潮し、言葉がしどろもどろになります。 全身から汗が吹き出し、身体が小刻みに震えることでますます恥ずかしさを増長させます。

 当時から普通の人が持つ恋愛感情とは異質の、被虐的な妄想に浸っていました。

 「こんな 可愛い子に虐められたい!」
 
 ノーマルな恋愛感情ではないという後ろめたさが、相手の前でより緊張を強いていたのかもしれません。 リビドーを揺さぶる甘美な羞恥心が芽生え始めた瞬間です。

  SMクラブに通っていた頃は、自分の恥ずかしい願望を書面にしたためてプレイ前に女王様に渡していました。 女王様がソファに腰掛けてそれを読んでいる間、僕は足元に正座し、うつむきながらもチラチラと彼女の反応を窺います。 一つ一つうなずく様に目を通し、時おり“フーン”とか“へー”とか声を漏らしながら読み進められる女王様。

 “たった今、目の前で自分の恥ずかしい願望を読まれている”  そう考えただけで顔がほてり、身体が熱くなります。 特に初対面の女王様の前では顕著でした。

 複数女王様の場合など「お前の恥ずかしい願望を私たちに読んで聞かせなさい」とのご命令を頂いた事もあります。

  「えー!? …口で伝えるのが恥ずかしいから、わざわざ書いてきてるのに…(´Д` )」(エゴマゾの心の声)

 ところが、いざプレイが始まってみるとそれほど羞恥心は喚起されない…
僕はどちらかと言えば痛いのや熱いのを好む苦痛系マゾなので、浣腸やアナルを犯されたりする凌辱系のプレイを避けてきたという事もあります。 また、SMクラブでの辱めというのは一種の“お約束ごと”だと考えているので、実際にはそれほど恥ずかしい思いはありません。

 女王様というのはM男性の性癖に一定の理解をもって、この世界に飛び込んできた方達です。 ベテラン女王様ともなれば これまで何百、何千というM男の恥態(痴態)を見てきていることでしょう。 いわばプロ中のプロです。 そうしたある種の“信頼感”や“安心感”を前提にM男は女王様の前で心を開き、自らの変態願望を解放しているのだと思います。 

 ですからプレイ前、女王様が一人の女性としてでいられる時が一番恥ずかしい。


 以前、とあるSMクラブでこんな経験をしたことがあります。
まだ風営法の改正前、マンションの一室に受付やプレイルームを置いていた時代の話です。

 僕はそのクラブの常連客だったからか、受付の男性からこんな相談を持ちかけられました。
「今、女王様の面接に来ている女性がいるのですが、お客様のプレイを見学させて貰ってもよろしいでしょうか?」
僕はそれまで、W女王様コースにも何度も入っていたので、この申し入れを快諾しました。

 会計を済ませて先にホテルの部屋に入って待っていると、程なくして指名した女王様が見学希望の女性と連れ立ってやって来ました。 よくある事ですが、女王様がアルバムから受けた印象と違っていた為、落胆しかけたその時です。

 後ろに控えていた見学希望の女性に挨拶をされたので、あらためてその方のお顔をまじまじと見ると・・・なんとアイドル級の容姿を持った美少女だったのです!

 艶やかでサラサラな髪、大きく澄んだ瞳、鼻筋が通り、上品な口元からは恥ずかしそうな笑みがこぼれています。
ナチュラルで清潔感溢れる雰囲気は、清楚系が大好きな僕の理想のタイプの女性でした。

 彼女はまだ未成年で、風俗経験も全くない素人だという事でした。 ついこの間までJKだったというだけでも、かなり興奮させられます。 若くて可憐な女性が、目の前にいる全裸の変態男を好奇心全開で見つめているのです。

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 彼女はプレイには参加せず、ベッドの隅で女性座りになって僕と女王様のプレイを鑑賞していました。
僕はと言えば、失礼ながらもう目の前の女王様よりもその美少女の方に関心が移ってしまい、彼女の視線が気になって仕方がありません。

 四つん這いで奴隷のご挨拶をさせられ、女王様に乗馬鞭で執拗に尻や背中を叩かれます。 ヒンヒンと鳴き声を上げながらも、僕は股間が熱く屹立しているのを感じていました。 

 しかし、それはプレイによる興奮からではなく、おそらくは今はまだ素人である美少女に恥態を見られているという羞恥心からくるものだったと思います。 彼女の美しい瞳に映っているであろう自分の情けない姿。 眼前の変態マゾ男に向けた軽蔑の感情を想像して勃起したのです。

 女王様は僕の股間の変化をなじると、イヌのチンチンの様な格好でその部分を美少女にお見せする様 命じました。 彼女はベッドから身を乗り出して含み笑いを浮かべながら、いたずらっぽい目で僕のいきり立った股間と情けない顔を交互に見比べます。 

僕は羞恥心全開でクラクラとめまいがしました。
 
 その後、ビンタや熱蝋責めへとプレイは進行していきましたが、彼女はほとんど無言で、しかし興味深げに僕の恥態を観察し続けていました。 

 プレイも終盤に差し掛かり、女王様の聖水を頂く事になりました。 僕は床に手をついたまま首を少し上に傾け、仁王立ちの女王様の股間に口をあてます。 ジョロジョロと流れ出る聖水を喉を鳴らして飲み込みながら、美少女の視線が気になっていました。

 すると女王様が「ビックリしちゃった?」と彼女に笑いながら声をかけています。 「フフ、マゾは女性のオシッコが大好きなのよ」と女王様。

 ようやく聖水を飲み終えて彼女の方に目をやると、目の前で排泄物を飲み干す男を“信じられない”という目つきで見つめています。 先ほどまでとは少し様子が違い、呆れたような、汚らしいものを見るような表情を浮かべているのです。
どうやら聖水拝受は、未成年の少女に結構な衝撃を与えたようでした。

 しかし、女王様が「貴女も飲ませてみる?」と声をかけると、彼女はほんの少し考えてから頷きました。 この好奇心と順応性も若さでしょうか、僕は心の中で小躍りして喜びました。

 超絶美少女の聖水が戴ける! !︎

 さすがに直接拝受ではありませんでしたが、トイレで洗面器にかなりの量の黄色い液体を出してきてくれました。 僕はすでに胃の中がガボガボでしたが、犬の様に這いつくばって彼女が出してくれた聖水を一滴余さず飲み干しました。

 洗面器が空になると美少女は、少し顔をしかめて「気持ちわる〜い」と一瞥し「変態! !︎」と僕の事を罵りました。 僕は羞恥心を喚起され、又々 はしたなく股間を膨らませてしまったのです。

 最初は緊張からか あまり言葉すら発しなかった彼女でしたが、自分の排泄物を飲んだ男という侮蔑心が芽生え “こいつになら何をしてもいいんだ” という認識に至ったようです。

 女王様は仰向けになった僕の顔面を指差し「唾をかけていいよ」とか「思い切り踏んでやって」と彼女を促します。 僕は唾でドロドロになった顔面をスリッパの裏で踏みにじられ、ウットリとしていました。 

 すると女王様はすかさず乗馬鞭の先端で僕のペニスを小突きながら

 「何してるの!?お前がはしたなく自分でやってる所をお見せするんでしょ?」と叱咤されます。 僕はかつて味わったことがないほどの羞恥心にまみれながら、夢中で怒張を擦りあげて二人の面前で果てました。 

 初めて変態を目の前にした少女の素人目線と、清楚な風貌が僕の羞恥心を最大限に掻き立てたのです。 

 その後、僕は彼女の事が忘れられず、しばらく店の広告やアルバムをチェックしていました。 しかし結局、 彼女がその店に入店する事はありませんでした。 

“今頃、彼女は僕の恥態を友人たちに話して嘲笑しているかもしれない… ”そんな事を想像するだけで恥ずかしさが蘇り、興奮したものでした。 しかし、もし仮に彼女があの店で女王様になっていたとしても、あの時のような強い羞恥を感じるプレイは出来なかっただろうと思うのです。


 
 そして、もう一つ 僕の恥ずかしい過去の体験を紹介します。

初心者の頃、僕は当時加入していたSMサークルで黄金を除いた一通りのプレイを体験しました。 2回目の調教の時に、初めて女王様から浣腸をして頂きました。

 どの位の量を入れられたのかハッキリとは覚えていませんが、すぐに辛い感覚に陥りました。 女王様は初心者奴隷に排便をこらえさせながら、さらに鞭やローソク責めで追い込もうとしていたのだと思います。 ところが僕は元々、腸があまり強くないので、すぐに脂汗が吹き出るほどの苦痛に襲われました。

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 内臓の痛みは、身体に直接与えられる痛みとは全く別物でした。 たえがたい痛みでSMプレイに集中するどころではありません。 わずか数分でこらえきれなくなり、プレイルームの高価そうな絨毯の上に軟便を漏らし始めてしまいました。 これには女王様も大あわてです。

  「あ、馬鹿! !︎ お前はなんて事するの! ?︎」

 しかし、一度漏れ出した排泄物は容易には止まりません。 僕は汚物を垂れ流しながらユニットバスへと引きずられていきました。

 女王様は焦らしに焦らした後、奴隷が我慢の限界に達したところで排泄を許可し、その恥態をつぶさに観察しながら言葉責めで羞恥心を煽ろうと考えていたに違いありません。 プレイルームの片隅にある四角い檻の中にはオマルが用意されていました。 しかし奴隷の思いがけない粗相でそれどころではなくなってしまったのです。 僕の肛門括約筋が、こんなにも緩いことは想定外だったのでしょう。

 僕は消え入りたい気持ちで、残った腸の内容物を全て便器に排泄し、シャワーでアナル周辺を洗い流しました。 部屋に戻ると女王様は、僕の粗相の後始末をされていました。 
洗剤を付けたタオルで念入りに絨毯を拭い、匂いが残らない様に香水を吹きかけていました。

 僕は恥ずかしさと面目なさで何もできずに、部屋の入口に突っ立ってボーっとその光景を眺めていました。
突然のアクシデントによって現実に引き戻された僕は、おそらくは女王様の最初のもくろみ以上に羞恥にまみれていたと思います。

 しかし、これは性的快感とは無関係の羞恥心でした。 その後プレイを再開したものの、僕の股間は終始うなだれたままだったのです。

この二つのエピソードは、僕のSM歴の中でも特に鮮明に記憶に残っている羞恥体験ですが、両者は恥ずかしさの性質が全く異なります。 前者はリビドーに直結したマゾ的な羞恥感覚であり、後者は単なる失敗談に過ぎません。 前者が甘美な思い出として残したい記憶であるならば、後者はできれば忘却の彼方に葬り去りたい忌わしい記憶です。

 しかし羞恥心や恥辱感が、本人にとって“不本意”であるがゆえに沸き起こる感情とするならば、後者の方が本来の言葉の意味を満たしている様な気がします。

“密室で女王様と一対一で行われるルールに則ったプレイ”で引き起こされる羞恥感覚は、性的興奮を高揚させるマゾヒスト特有の感情で、本来の羞恥心とは似て非なるものだと僕は解釈しています。

ヤプーズマーケットを初めとするM男向けのDVD作品には、半裸で首輪を着けられ、衆人環視の中を引き回される際どいシーンが結構あります。 老若男女問わぬ衆目に恥態を晒される行為は、並の神経では耐えられません。 
これが、本人の意思に反して無理やり行われたのだとしたら、プレイの範疇を超えた精神的拷問になると思います。

 しかし、予めM男の了解を得て撮られたものだとしたら、どんなに厳しい状況であっても擬似的なものを感じてしまいます。 それはマゾヒストにとって、あくまでも被虐的快楽に結びつく羞恥プレイです。 “思い出しても赤面する、もう懲り懲り”といつまでも心の中にトラウマとして残っているのが本来の羞恥心ではないでしょうか。

 マゾヒストがそれを快と感じるか、不快と感じるか? 勃起するか?あるいは委縮するのか?

 もちろん自分がこうした状況に追い込まれたら、ヘタレて速攻 逃げ出す事は間違いありません
こうしたシチュエーションを快楽に転化できるという才能には驚嘆します。

 マゾヒズムは通常の社会生活を営む上で、他人には絶対知られたくない恥ずかしい性癖だという思いがあります。 密室における女王様との二人だけの秘め事にしておきたいと考えるのが、多くのM男性の本音であると思うのです。
その心理を突いた過激な羞恥プレイではありますが、僕にとってはあまりにハードルが高く無縁な代物です。

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 さて「家畜人ヤプー」の沼正三氏が、著書「ある夢想家の手帳から」の中で明かしたところによると、彼は“精神的に凌辱を受けることにこそマゾヒズムを刺激されていた”そうです。

 “肉体的苦痛で快感を得るだけの者は真のマゾヒストにあらず!”とも言い切っています。

 鞭打たれた場合でも、その先に潜む精神的凌辱感こそが被虐の深淵であって、単に肉体的苦痛に溺れている者とは区別するべきだと主張しているのです。

 僕の様な肉体的苦痛系マゾは全否定ですか! ?︎( ̄O ̄;)

 沼氏が若かった時代には現在のSMクラブの様な形態はありませんでした。
氏は自身のマゾヒズムを満たす為に、驚くべき行動力と知恵をもって一般女性からサディスティックな一面を引き出し、彼女達に蔑まれることに成功していました。 そんな彼だからこそ下せた定義だとも思えます。

 しかし、僕には沼氏が追い求めていた“精神的陵辱”もどこか作為的な面があり、真の辱めではないような気がします。

 極端なことを言えば、僕の場合、憧れている女性に頭から聖水をかけられても、それほどの恥辱は感じません。
実際にご主人様とのご調教で毎回、顔面に聖水をかけて頂いていますが、これを感謝の念をもって拝受しています。
崇拝している女性に屈辱的行為を受けても、奴隷である僕の自我が傷つく事はありません。

 しかし、これが、もし嫌いなタイプの女性の場合だったら多少屈辱を感じると思います。

 さらに、相手が男だとしたら、殺意を覚えるほどの屈辱感に見舞われると思うのです。 それは激しく自尊心を傷つけられるからに他なりません。 

 マゾヒストにとってのリビドーを刺激する羞恥心や恥辱感は、本来の意味とは次元の異なる特別の感情であるような気がしています。
もちろん、作為的であったり、擬似的であることが悪いと言っているわけではありません。
SMはそうした様々な約束事の上に成り立っている知的な大人の遊びです。
僕は、敬愛するドミナへの崇拝心や服従心が本物であればそれでいいと思います。


 また、沼氏がはっきりと分けるべきであると主張する肉体的苦痛精神的凌辱ですが、現実にはこの二つの性癖をどちらも有しているマゾヒストも多いのではないかと思います。 
実際、僕自身のマゾヒズムも様々な被虐願望や複数のフェティシズムが混沌と入り混じり、どんどん肥大化しています。 そんなに単純に分類できるものでもありません。

 僕も肉体的苦痛が主体とはいえ、女性に鞭打たれる事によって、恥辱感を感じることはあります。 ですから、マゾヒストの端くれくらいは名乗らせて貰う事は許されるのではないかと思うのですが…

 ダメですか? ダメ!? 
ダメならブログのタイトルを変えるしかありません(>_<)


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女性器アーティストの聖戦

 
 漫画家で女性器アーティストのろくでなし子嬢が表現の自由を求めて、警察権力に性戦を挑んでいます。

 昨年、女性器を型どったボートを製作する目的で寄付金を募り、協力者に謝礼として自らの女性器の3Dデータを頒布したとして逮捕。 容疑は「わいせつ電磁的記録媒体頒布」という舌を噛みそうな名称でした。

 以前から“デコマン”と称する女性器を型取りしたポップアートの作品展や、女性器グッズ等の製作販売を行っているのを見ていた僕は「ユニークな感性を持った女性だなぁ^o^」と注目していました。

 御歳42歳だそうですが、童顔で中々愛らしいお顔だちをされています。

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 処分保留のまま釈放された彼女は、表現者であるがゆえに逮捕や勾留の際の“警察の横暴や欺瞞”を漫画や講演会、マスコミ取材などを通じて訴え「漫画のネタもできて連載も決まり、海外から取材もたくさん受けられてよかったことだらけ」などと挑発とも取れる発言をしていました。

 それが警察の逆鱗に触れたのか、今度は猥褻物公然陳列の容疑で再逮捕。

 “女性向けアダルトショップ”という特殊な場所で、猥褻物と認定するにはいささか疑問が残るアート作品展示を巡っての逮捕劇は、海外メディアをも巻き込んで各方面で物議を醸しています。

 マスコミも“自称・女性器アーティスト”として報道するあたりにお得意の情報操作を感じます。

 「そんなもん誰もアートとは認めてないから!」というわけですね。

 しかし、女性器をモチーフにした彼女の創作活動は、逮捕前から他ならぬマスコミ自身によって世間に周知され、多くのファンを獲得していたわけですから今さら“自称”とするのは無理があります。

 さらに再逮捕後には各紙「芸術家」と言う表現を排除し、漫画家と言う肩書きで紹介しているようです。

 松沢呉一氏によるとこれには再逮捕前、東京芸大辺りからも ろくでなし子支持の声が上がり始めた為に、そうした声を警戒する警察の意図を感じるそうです。

 そして、改めて猥褻の標的をアート作品に移しての再逮捕も、女性器を型どった造形物を猥褻と判断した過去の判例を踏まえて 3Dデータより言い逃れ出来ないと考えたからだろうと推測しています。

 捜査関係者の話によると、ろくでなし子さんは「取り調べでも直截的な3文字表現を使って自論を主張していた」為、供述調書がマ○コという表現で溢れたのだとか(笑)

 東京地裁の「勾留理由開示公判」でも同様の3文字表現で意見を述べて、裁判官に怒られた一幕もあったそうです。

 いや、このブレなさはすばらしい^ ^

 今回、彼女は起訴されたので、またぞろ猥褻か表現の自由かの線引きが、法廷で争われる事になりました。 しかし、日本の裁判は起訴されると99.98%が有罪とされている為、かなり厳しい戦いになる事は明らかです。

 映画、文学、写真、絵画、彫刻、コミック、アート作品等々。 およそ芸術と呼ばれるほとんどの分野で過去に猥褻を巡る論争が起きています。

 彼女は一貫して“女性器は手足と同様に私の身体の一部。私の身体は猥褻じゃない"と主張をしています。


 ろくでなし子さんが仰るとおり、女性器不浄でもなければ猥褻でもありません。

 女性器を卑猥だと感じる人間の意識が猥褻なのだと思います。


 女性器はマゾヒスト男性にとって、敬愛する女性の身体の一部分というだけでなく、いわば女性崇拝の要とも言うべき神聖な場所です。

 その神秘性には多くのマゾ男性達が憧憬と畏敬の念を抱いています。

 しかし、男性器に比べると女性器はタブー視されてきたばかりではなく“不浄な物”という不当な扱いを受けてきました。

 その呼称口にするのも憚られるという様な風潮がずっと続いてきたわけです。


 では何故女性器は今日までタブー視され続けてきたのでしょうか?

 これは女性器激しい畏れを抱いていた男達の陰謀ではないのか?∑(゚Д゚)

 男達は新たな生命を宿す能力を持った女性達に潜在的な恐怖を感じていたのでしょう。

 古来から女性器には魔除けの様な力が備わっていると考えられていたようです。

 神話や民話でも化け物を喰らうとされる女性器の伝承が残っています。 膣に歯牙が生えていて男根を喰いちぎるヴァギナ・デンタータの伝説も世界各地にあります。

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 これらは女性器恐怖顕在化したものではないでしょうか?

 まるで女性器が底知れない闇へと繋がっている入り口であるかのごとく語られてきたのです。


 女性器はグロテスクで恐ろしい怪物ではなく、神々しい女神達の核心です。

 その美しい形状はこの世で最もアーティスティックエロスに満ち溢れています。

 ろくでなし子さんの創作活動の根底にあるのは女性器の復権です。

 “もっとポジティブに捉えてオープンに扱おうよ”という事なのでしょう。

 しかし、単に一マゾヒストの見解ではありますが、僕には“神聖”であるからこそある種の秘匿性も必要ではないかという思いがどこかにあります。

 それは卑しいものだから隠蔽するのではなく、神々しいものだから秘匿されるのだという捉え方です。 

 御神体は人目に晒されることなく本殿の奥に秘匿された方がより神秘的で価値あるものとなります。

 ドミナは奴隷の面前でみだりに全裸になったりはしません。 それは恥じらいからではなく奴隷ごときにむやみに拝観させるものではないという意識の表れです。

 対して、奴隷は着衣を許されず醜い男性器を晒し、卑小な存在としてドミナの足元に這いつくばるのです。 

 唯一奴隷を物として扱う時、ドミナは奴隷の顔に跨がります。 便器ビデに対して恥じらう女性がいないのと同様です。

 下から見上げる女性器は神々しくて眩しいです。
 無遠慮に直視するのは躊躇われるので、迸り出る神の水を飲み干す事に神経を集中させます。

 それはドミナにとってただの生理現象であっても、奴隷にとっては崇高な儀式です。 神の様に崇めるドミナの中心が恵んでくださった水は、奴隷の穢れを浄化してくれるのです。


 家畜人ヤプーのラストシーンで、イース帝国の住人となったクララはイース青年ウィリアムと婚約します。 そして今はヤプーとなったかつての婚約者リンに地球面に戻る最後のチャンスを与えます。 しかしリンはそれを拒み、クララに隷属してでもイースにとどまりたいと哀願するのです。

 クララは両の足を開き、その中心部を指差してこう言います。

 “お前はあたしのここに仕えるんだよ。”

 リンは「本望です。あなたのそこに仕える為に私は生まれたんです。」とその部分へ崇敬の眼差しを向けるのです。

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©石森プロ

 女性器への隷従はマゾヒスト男性の本懐です。

 権力に猥褻物などという下卑た表現で貶めて欲しくないと願っています。

 今後、難しい裁判を闘うことになるであろうアーティスト・ろくでなし子さんのご健闘をお祈りしています。


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主と従の構図

 この昭和テイスト溢れるミストレスフォトは、古い「SMコレクター」誌に掲載されていたものです。

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 20年位前、とある古書店で何気なく「SMコレクター」をめくっていたところ、この写真が目に飛び込んできました。 M男向けのグラビアというと、昔からモデルの女性がS的なポーズをとっているだけのソフトな内容のものが多かったのですが、これはフェティッシュでありながらも肉体的にはかなりハードな責めである事が推測されます。

 梁に獣の様に四肢を吊られているだけでも相当きついと思いますが、ここでは人間ハンモックとしてドミナをお乗せし、自らの体重も含めると100キロ前後の荷重に耐えていると思われます。

 そんな奴隷の苦痛など一切意に介さず人間ハンモックに全身を委ね、煙草を吹かしておられるドミナの表情がとても素敵です。 ドミナのおみ足が奴隷の顔面を蹂躙しているのもとてもよい感じです。 浮遊した状態で首にお尻を乗せて体重をかけるのはさすがに危険だったからでしょうが、返ってこちらの方が興奮を誘います。

 ドミナの柔らかな素肌温もり、そして足裏から放たれる甘美な芳香に陶酔することで奴隷の苦痛も軽減されていることでしょう。

 主と従の力関係を見事に体現したこの構図に目を奪われた僕は、プレミアム価格で掲載誌を購入しました。

 ドミナの快楽の為とあらば、たとえ五体がバラバラになろうともその身を捧げるのが奴隷に課せられた使命であり、唯一の存在価値と言えるでしょう。

“奴隷の苦痛がドミナの快楽に転化する”
 この写真は女性支配における主従関係の本質を示唆している様に思います。

 その後、偶然見つけた同じ様なシチュエーションの一枚。 これもSMコレクター誌に掲載されたものです。

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 断定はできませんが、男女とも上の写真と同じモデルさんの様に思われます。
こちらは膝と手首、背中の一部に縄がかけられてブランコの様な状態でドミナをお乗せしています。  この状態で前後に揺られたら奴隷の苦痛は倍加するでしょうが、その分ドミナは童心に返って無邪気に楽しめる事と思います。

 うっ血した両の手足、関節がギシギシと音を立て、腕が抜けそうな苦痛に耐えながらも被虐に陶酔している奴隷の様子はなんとも羨ましい限りです。

 ハンモックは日本ではあまり普及していませんし、家具と呼べるのかどうかは微妙ですが、もしご主人様のhuman furnitureとしてお役に立てるのならぜひ人間ハンモックになりたい。

 大掛かりな吊りができるのはアルファイン位しかないでしょうが、体力が衰えないうちに是非とも経験してみたい責めです。

 femdom artの春川ナミオ氏の作品にも人間ハンモックをモチーフにしたものが見受けられます。  豊満な肉体を持った女性達を2人も乗せたものや、華奢な老人が顔面で豊臀を受け止めているものなど、これらは死を覚悟しなければ実現は不可能だと思いますが、マゾヒストとしてはとても憧れます。

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 顔面騎乗ポニープレイストンピング等々、男性の身体の上に女性が乗る行為はマゾヒズムの基本であり、悦虐の真髄でしょう。

 沼正三氏の名著「家畜人ヤプー」の中にも人間ハンモックが登場するシーンがあります。

 身体をうつ伏せにした状態で手足を四方に吊られている麟一郎が、四肢に激しい痛みを感じ失神から目覚めます。

 ハンモック状に吊られた彼は、畜人の身体を使って支える長椅子(ソファ)としてクララの全体重をもろに受けていたのです。

 クララはそんな事は知らず、麟一郎の後頭部に足を置いてまどろんでいます。

 痛みに耐えかねた麟一郎はクララを拝し祈ることで束の間、苦痛から解放されます。

 彼は苦痛から逃れるために、神に対し祈念する様にひたすらクララの名を唱え、祈り続けるのです。


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 獣吊りも相当に厳しいですが、これは逆エビの態勢で吊られている上に身長173センチ、体重58キロの大柄なドイツ人女性の荷重を受けているのです。  その苦しみから解放されるのであらば支配者の名前を祈念し続ける気持ちも理解できます。

 僕のご主人様は鞭打ちをスポーツの様に楽しまれます。 奴隷を手加減することなく打ち続ける事でとても爽快な気分になられるとの事です。 僕はご主人様の快楽の為に必死で痛みに耐え続けます。

 そして激痛を紛らわせるためにその美しいお顔を凝視し、ご主人様のお名前を唱え続けることがあります。 すると魔法の様に苦しみから解放され、痛みはやがて快楽へと転化していくのです。

 僕にとってご主人様はすでに神格化され、信仰の対象の様になっています。

女性の美というものは崇高でとても不可思議な力を備えているものだと思います。
マゾヒストはその気高く美しい存在の前に跪き続けるのです。


                          ◆      ◆      ◆

 さて、このブログも放置している間に一周年が過ぎ、新しい年を迎えてしまいました。
不定期更新にはなりますが、今年も続けて行こうと思っておりますのでどうぞよろしくお願い致します。


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プロフィール

mugi

Author:mugi
踏みつけられて、より強く丈夫に
育つムギの様でありなさいと
ご主人様が付けて下さった奴隷
名です。なんという素晴らしい
ネーミングセンス!
しかも音の響きも可愛らしい。
ビールが大好物の僕にピッタリ!
とても気に入っています(*^o^*)
馬派(苦痛)・犬派(奉仕)・豚派
(便器)全てのM性癖を持ち合わ
せたオールラウンダーな変態を
目指しています。

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