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ドミナの魅力に縛られる

 
 9月12日付の「マゾヒズムに花束を!」で紹介されていた、“エアー緊縛”なる状態?に関する記事を、興味深く読ませて頂きました。

        エアー緊縛とはなんぞや? 


 この言葉はhomerさんが考えられた造語だという事ですが、拘束するものが何もなかった場合、エアー拘束とでも言いましょうか、確かに僕も両腕を背中に回したり、両手首を合わせて頭上に上げたり、自然とそうした状態になる事がありますね。

 これは無意識のうちに相手に服従心を示す、マゾヒスト特有の動物的行動のような気もします。

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 前回のご主人様のご調教でも、僕はベッドの上に横たわり、まるで拷問台に四肢を拘束されているかのごとく大の字となって、cock whippingや鞭打ちをお受けしました。

 身体をよじって激痛から逃れようとはするけれど、手足はまるで暗示にでもかかったように、ベッドの四隅に向かって伸びていて動かせない。

 そうして、ご主人様のお顔を拝みながら、振り下ろされる鞭の痛みにひたすら耐え続け、次第に陶酔していったのです。

 これは、蛇に睨まれたカエルのごとく、ドミナの威厳や魅力に拘束されて、金縛りにあっているような状態なのかもしれません。

 昔、coolけいこ女王様がご出演されたビデオの中に、奴隷に絶対に動かないように命じた上で、あえて拘束せずに、乗馬鞭で激しく打ちすえるシーンがありました。 散々打ち据えた後、息も絶え絶えになった奴隷に向かって「縛られていない事がどれほど辛い事なのかわかったかしら?」というセリフを仰っていたように記憶しています。

 確かに自分の意思で身じろぐ事なく極限の痛みに耐え続けるというのは、むしろ拘束されて責められるよりもハードかもしれません。

 動いてはいけないという思いに意識が集中し、快感に浸る余裕がなくなるとでもいいますか?
身体にも余計な力が入って、鞭の衝撃を吸収したり逃す事もできず、痛みも倍加するような気がします。 

 万が一動いた場合は、さらに辛く厳しいお仕置きが待っているという恐怖。

 これは、マゾヒストの服従心を養うにはとても効果的な調教のようにも思えます。


 SMプレイにおいて、最もよくエアー緊縛が見られるのは金蹴りプレイではないでしょうか? 海外、日本を問わず、金蹴りマニア達は自ら手を後ろに回し、脚を広げて女性の攻撃を受けている場合が多いように思います。

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 これは、拘束をした上での金蹴りが、非常にリスクを伴う行為だからだと思われます。

 男性は急所を蹴られた際、本能的にぴょんぴょん飛び跳ねて、上に上がってしまった睾丸を定位置に戻すような動作をします。

 また、あまりにも激痛の場合は、蹲って下腹部を抑える事で痛みを軽減させたりしますから、拘束によってそれらの動作を妨げられた上での連続金蹴りとなると、よほどの強者でないと耐えられないのでしょう。

 エアー緊縛による金蹴り映像もよく見かけますが、、これは鑑賞する側にとって迫力不足による物足りなさは否めません。 しかし、女性は金蹴りによって悶絶する男性の様子が非常におかしいようで、特に集団の場合はかなり残酷な蹴り方をしますので、男優の急所を守るためには仕方ないのでしょうね。

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 僕は本来、設備の整ったプレイルームで、磔台滑車に吊られて拷問のようなムードを味わいたい方なので、通常のファッションホテル利用でも簡易磔台やら簡易鞭打ち台等を自分で準備します。

 ドアの隙間に挟み込むタイプの磔台を自作したり、天井の梁から垂らしたチェーンに手枷を取り付けてみたり、ソファーをひっくり返して布団を被せて三角木馬状の鞭打ち台にしたり…できる限り工夫しています。

 ご主人様も時間に余裕がある時は、ロープや縄を使って拘束して下さいます。

 ただ部屋が狭かったり、利用できそうな設備がない場合は、時にエアー緊縛も取り入れています。

 まあ、取り入れるというよりは身体が自然とそうなるので、これはやはりマゾヒストの習性なのかもしれませんね。

 どうでもいいか、そんなコト(笑


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殺されるほど愛されたい

 
「女子高生に殺されたい」


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 このマゾヒズムをくすぐるセンセーショナルなタイトルと、物語のイントロダクションに惹かれ、初めて古屋兎丸作品を入手しました。

 古屋兎丸は、異色の作家を数多く輩出した伝説の漫画雑誌「月刊漫画ガロ」出身の漫画家です。

 僕は、彼の描く緻密な線と精密な描写、やや影のあるキャラクターと耽美な作風にずっと好感を持っていましたが、これまで掲載誌に目を通した事はあっても、コミックスまで買った事はありませんでした。

 今年に入ってネットでこの作品の存在を知り、すぐに第1巻を購入。 スリリングでミステリアスな展開に引き込まれて一気に読み終え、第2巻・完結編の刊行を心待ちにしていたのでした。(8月発売、読了)

 この作品の主人公・東山春人は“自分が殺されることに性的興奮を覚える“オートアサシノフィリア”という性的嗜好の持ち主です。

 彼は、可憐で美しい女子高生・佐々木真帆に殺されたいが為に、彼女の通う高校の教師になりました。 綿密な計画と周到な準備のもとで真帆に近づき、長年の夢の実現に向けて行動を開始します。

 そして真帆もまた、悪夢のような忌まわしい過去を封印し、その美貌の奥にもう一つ別の顔を隠し持った闇深き美少女だったのです。

 この作品はどちらかと言えばサイコサスペンスのような趣きがあり、マゾヒズムとの関連はあまりありませんでしたが、それでも僕にとって充分に楽しめる内容でした。

 ラストもやや使い古された手法ではありますが、ハッピーエンドを装いつつ、不気味な余韻を残しています。

 
 
 僕には本来、死に対する憧憬や願望はありません。

 若い頃から不摂生を重ねてきたおかげで身体はボロボロですが、生への執着心は人一倍強く、健康で長生きをしたいと虫のいい事を考えています。

 この身が朽ち果てるまで、ご主人様の奴隷としてお仕えし、マゾヒズムを全うしたいのです。

 しかしオートアサシノフィリアは、僕の中にもマゾヒズムの一部として内在しています。

 病いや不慮の事故などで非業の死を遂げるよりは、むしろ美女に殺されたいという思いがあるのです。

 SMクラブのストーリープレイで毎回持ち込んでいたシナリオは、“女性から様々な拷問を受け、最期は去勢されて殺される”という内容がデフォでした。

 女性の足元にすがり、泣きながら命乞いをするというシチュエーションに萌えるのです。

 Mビデオでよく使われる、 “処刑”“不要家畜の処分”などという言葉にも心がトキメキます。

 下記の引用は、沼正三のエッセイ集「ある夢想家の手帳から(潮出版社)」 の中で紹介された、とあるマゾヒストの告白文とされる一文です。

 「私は本年二十四歳の男子ですが、少年の頃より、異常なるマゾヒズムスにて、年若き美婦人の為に、惨酷なる嬲り殺しにせられることを希望して居ります。 又美婦人の身に附いている庶物を崇拝し、痰や鼻汁ぐらいは微々たるもの、尿水をのみ、糞便を 食べてみたいと日夜希ふて居ります。 身分高く、年若き美婦人の奴隷となり、その御方の糞尿を常食とし、酷使せられ、又玩弄物となって、恥辱を与へて貰ひ、又出来得る限り、惨酷なる嬲り殺しにせられた上、肉を料理されて喰べて貰ひ度きことを、いまでも希望して止みません(略)」

 僕は、この短い文章の中に書かれた多数の性的嗜好を全て備えています。

 マゾヒズム、アルゴフィリア(肉体的苦痛性愛)、フェティシズム(物神崇拝)、ハイグロフィリア(分泌液愛好)、ウロフィリア(尿性愛)、コプロフィリア(嗜糞症)、オートアサシノフィリア(殺されたい願望)、カニバリズム(食べられたい願望)、セルヴェリズム(奴隷願望)、家畜、ペット願望 等々…

 脚本家の山田太一氏は、著書「昼下りの悪魔」 の中でこの文章を引用して「いかに私のマゾ的な要素をはげましてみても共感の域を越えている。」 と評していましたが、僕には、常人には理解できないこの若きマゾヒストの気持ちが痛いほどよくわかります。

 オートアサシノフィリアやカニバリズムは、実際には実現不可能な妄想でしかありません。

 しかしタブーであるからこそ、そこにとてもマゾヒスティックな魅力を感じます。

 
 現実には、女性が男性を殺害するケースは、男性の場合と比べて圧倒的に少ないです。

 また、日本では美女が犯した殺人事件というのは、過去を遡ってみてもほとんど思い当たりません。

 美しい女性はむしろ、幼稚で粗暴で性欲の塊のような男たちにストーキングされた挙句、殺人の被害者側となるケースの方が圧倒的に多いのです。

 ただ、日本を代表する猟奇殺人事件の犯人として、今もなお語り継がれる阿部定は、当時は、なかなかの器量良しという評価を得ていたようです。

 性行為中に首を締められる事を好んだとされる愛人・吉蔵を絞殺し、その後、局部を切り取って持ち去った阿部定事件は、SM的な観点から見ても非常に興味深い犯罪だと思います。

 
 僕は、ご主人様のような美しい女性に強く惹かれはしますが、女性に対して差別的なほどのルッキストではありません。 年齢や容姿に関わらず、女性を尊重しています。

 ただし、もし自分が殺されるのだとしたら、お相手は美女である事が大前提となります。

 林真◯美死刑囚や木嶋◯苗死刑囚のような、好みでない女性には間違っても殺されたくはありません。

 一つしかない生命を捧げるのですから、そのくらいの選択権は許されてもいいのではないでしょうか。

 
 また、「女子高生に殺されたい」にも描かれていましたが、殺され方にもこだわりたいところです。

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 女性に殺される話というと、すぐに乱歩の「お勢登場」を思い出します。

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 池上遼一がコミカライズした、妖艶な悪妻・お勢は“魔性の女”として魅力的に描かれてはいましたが、長持ちに閉じ込められて暗闇の中、苦悶しながら果てるのはご勘弁願いたいです。 同様の理由でTVドラマ「古畑任三郎」に登場した小石川ちなみのマーダーケースも頂けません。

 若き日の中森明菜が演じた女流漫画家は、アンニュイな雰囲気を漂わせた十分魅力的な女性でしたが、僕は閉所恐怖症なので、密閉された空間に閉じ込められて窒息死や衰弱死をするのはまっぴらです。

 おそらく死を迎える前に、恐怖で発狂してしまうのではないかと思われます。

 彼女たちは殺意を持って、鍵のかかる長持ちの蓋や地下倉庫のドアを閉じただけです。

 いくら相手が美女だとしても、性的興奮を全く感じる事ができない、非常につまらない殺され方だと思います。

 やはり、オートアサシノフィリアは死の寸前に生命と引き換えに味わう性的興奮が最も重要なのです。

 
 同じ窒息死をするのならば、僕は顔面騎乗による圧殺を希望します。

 本心を言えば、ご主人様のフルフルと柔らかくて吸い付くような美尻の下で、なぶり殺しにされたいです。

 意地悪く焦らされながら、何度も何度も窒息寸前に追い込まれては、わずかばかりの呼吸を許されます。
僕の中心で、はち切れんばかりに硬化したマゾヒズムの申し子を、柔らかなおみ足の裏で弄ばれるご主人様。

 ご主人様の全体重を受け止めた僕の顔面は大きくひしゃげ、ミシミシと頭蓋骨が軋む音が聞こえます。  崇拝する女神の、悪魔のような笑い声をレクイエム代わりに、徐々に意識が遠のいていく様を想像すると、マゾヒストとしてこれ以上はない最期のような気がします。

 末期の水は、ご聖水をタップリと浴びせられて成仏したいです。

 
 春川ナミオ画伯のfemdomアートにも、巨女の顔面騎乗による死刑執行シーンが描かれています。

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 若い女性のお尻こそがこの世で最も美しく尊いもの。 その崇高な存在の前には、男の生命など虫けらのそれも同然なのでしょう。

 僕は春川氏もまた、オートアサシノフィリアの性癖を有しているのではないかと疑っています。

 いや、おそらくはマゾヒスト男性の誰もが、心の奥底に“美女に殺されたい願望”を秘めているのではないでしょうか?



 昨年、ご主人様が、あるS女性のインタビューにお応えしている場に立会わせて頂き、拝聴する機会に恵まれました。

 その中で、S女性の「SMプレイをしている最中、相手に殺意が湧く事はありますか?」という問いに、ご主人様は「もし、その人の事が世界で一番好きだったら殺したいと思うかもしれない」とお答えになっていました。

 阿部定は逮捕後、「彼を殺せば他のどんな女性も二度と彼に決して触ることができないと思い、彼を殺した…」「いつも彼の側にいるためにそれ(局部)を持っていきたかった」と供述したそうです。

 アセクシャルを自認するご主人様が、殺したいほど愛する人っていったいどんな方なのだろう?

 男性だろうか? あるいは女性なのか⁉︎

 その殺意の根底にあるものは独占欲なのでしょうか? あるいは支配欲によるものなのか…

 いずれにしても相手は僕じゃない事だけは確かなので、羨望の思いで聞いていました。

 しかし、その後のインタビューで語られたご主人様の究極のS願望が“マゾの身体をメスで斬り刻む事”だと知って、 僕じゃなくてよかったとホッと胸を撫で下ろしたのも正直な気持ちです。σ(^_^;)

 
 「命を奪われたいと願うこと、それは愛されたいと願うことと同じなの」

 これは「女子高生に殺されたい」と願う春人の元恋人で同僚の、スクールカウンセラー・深川五月のセリフです。 彼女は臨床心理士の資格を持っているという設定なので、おそらく、このセリフの内容は真実なのでしょう。

 春人は真帆から慕われ、淡い恋心を抱かれていました。 そして、元恋人の五月からも、今も愛されていた。
彼は強い希死念慮に支配され、人から愛されていることを感じる能力が欠如していたようです。
 

 僕はご主人様との奴隷契約において、“見返りを求めない愛を捧げる”誓いを立てましたが、心のどこかでご主人様に愛されたいと願っていたのでしょうか?

 昨年、ご主人様との関係性に思い悩んでいた時、ご主人様から「私の愛を、けっして疑わないでね!」というメッセージを頂きました。

 僕は、ご主人様に対して一方的に愛を捧げているつもりでいましたが、ご主人様からも奴隷として充分過ぎる愛情を頂いていたのです。 そんな事にすら、思いが至らなかった自分は奴隷失格です…


 究極のマゾヒズムが「生物として、愛する人に生命を奪われる事」だとするならば、究極のサディズムは「相手の生命をも支配する事」なのかもしれません。

 僕は、心の奥底でご主人様に“殺されるほど愛されたい”と願いつつ、同時に、ご主人様の奴隷として悠久の時を過ごしたい、生まれ変わって、何度でもご主人様のお足元でお仕えしたいと願っているのです。




「女子高生に殺されたい」は、こちらで試し読みが出来ます。



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奴隷記念日'16

 8月26日に奴隷契約三周年を迎え、少し遅れて29日にご主人様のご調教を受けてまいりました。
 

 8月は仕事のタイトなスケジュールに加え体調不良も重なった為、この日予定されていた奴隷の儀式は、ご主人様にお願いして次回に延期させて頂く事になりました。

 ご主人様もプライベートがご多忙でお疲れのご様子でしたし、儀式のご準備を頂くのに無理をお願いするわけにはいきません。

 僕の方も日を改めて万全の体調で臨みたいという思いもありました。

 そんなわけで、今回の奴隷記念日はご主人様とまったりとした時間を過ごさせて頂きました。

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 昨年末、奴隷にあるまじき行動をとった僕は、懲罰の鞭を覚悟していましたが、この日ご主人様は快楽の鞭を打って下さいました。

 10本の異なるタイプの鞭とケインを使い分け、絶妙のコントロールと強弱のバランスで僕の快感を引き出して下さいます。

 こんなにも心地よくなれる愛情深い鞭打ちは、僕の経験上ご主人様以外には打てません。

 過去に購入して、あまりの痛さに音を上げて長い間お蔵入りしていた凶悪な鞭達も、ご主人様の腕にかかれば甘美な快楽を引き出す魔法のアイテムに変身します。

 一本一本の鞭の特性を生かし、その魅力を最大限に引き出す技は絶妙です。

 軽快でリズミカルな痛み、重くて体の芯までズンッと響く痛み、瞬間的でキレの良い痛み、次の一打まで余韻が残る痛み、焼火箸を当てられたような鋭い痛み…

 種々の痛みを味わいつつ感想を伝えると、ご主人様は「ムギは鞭のグルメだね」と仰って下さいました。  しかし、僕に言わせて頂けば、ご主人様が鞭の名シェフなのです。

 確かに、ひたすら刺激の強い痛みだけを求めているM男には、その違いは判別できないかもしれません。 激辛料理ばかり食べ続けて鈍磨してしまった味蕾では、本当に美味しいものは味わえないのです。

 僕はご主人様の鞭打ちでドライオーガズムのような境地を経験できるようになってきました。

 ご主人様も気持ちよくなって下さっているのがわかるので、それもとても嬉しいのです。

 たっぷりと鞭のフルコースを堪能させていただいた後は、ゆっくりとお礼のマッサージをさせて頂きました。

 ご主人様から与えられる痛みで快楽に浸る事も大きな歓びですが、最近では、おみ足を洗浄させて頂いたり、マッサージをさせて頂いたり、ささやかながらも、ご主人様のお役に立てる事に奴隷としての歓びを感じています。

  何よりご主人様のおそばで一緒の時を過ごせる事が、一番の幸福です。

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 奴隷契約一周年の記念日に頂いた奴隷の焼印は、頂いた直後こそご主人様のお名前がはっきりと刻まれていましたが、次第に長方形の痣のようになり、その後、文字が判読できないような状態になってしまいました。

 残念と言えば残念でしたが、僕にとってはご主人様に所有物として認めて頂いた事実が重要だったので、その瘢痕はとても愛おしく奴隷の誇りでもありました。

 ところが、月日が経つにつれて少しずつ周辺の痣のような部分が薄れてきて、うっすらとご主人様のお名前が浮かび上がり、それが徐々に鮮明になってきたのです。

 僕が少しずつご主人様の奴隷らしくなってきたので、それに合わせて奇跡が起きているのかもしれません。 ご主人様も、僕のお尻を見て喜んで下さっています。

 お尻の焼印が判読できなくなってしまって残念に思っていた矢先、ご主人様が僕の剃毛した下腹部に線香の火でお名前を刻んで下さいました。 毎回、調教に入る前に剃毛を済ませ、じっくりと皮膚が焼けるまでお線香の火を押し当てて下さっていたので、そちらはハッキリと文字が読み取れる痕になって残っています。

 朝霧リエ女王様の専属奴隷のように、ケロイド状に盛り上がった烙印ではありませんが、入浴すると下腹部に刻まれたご主人様のお名前がほんのりと赤く染まり、この上ない奴隷の歓びを感じる事ができます。

 あとはいずれ両の乳首に、ご主人様のイニシャルが入ったニップルピアスを着けたいなぁ…と希望しています。

 ピアスを着けるには僕の乳首は小さめなので、まずは時間をかけた乳首責めで肥大化させて下さるそうです。

 どんどん奴隷っぽくなっていく自分自身に興奮が止みません。

 
 奴隷って本当に素晴らしいですね!!


 僕はご主人様に認めて頂いた唯一の奴隷として、次回のご調教で必ずヤプーダムに昇りつめます!


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崇める歓び

 ご主人様と初めてお会いしてから、今年の8月5日で丸5年になります。
奴隷契約書を交わしてから、8月26日で丸3年。
お印(焼印)を頂いてからは、丸2年の歳月が経過する事になります。

 時の流れの速さを感じます。

 僕にとって、こんなにも長く親しくお付き合いさせて頂いている女王様は初めてですし、もちろんこれからも、ご主人様さえよろしければ死ぬまで女王様と奴隷の関係であり続けたいと願っています。

 初めてご主人様とお会いした時の衝撃は、今でも忘れません。
「世の中にこんなにも清楚で可愛らしいSMの女王様が、いらっしゃったんだ!」と感激したのです。

 以来、ずっとご主人様の虜です。

 過去に、このブログで「清純派だ!」「アイドルみたいに可愛いらしい!!」と何度も書いたら、数名の方にご主人様が誰であるか当てられてしまいました。

 それだけSMの女王様としては希少なタイプの女性なのだと思います。
僕もそれまでご主人様のような女王様には、出会った事がありませんでした。

 もちろん容姿が可愛いだけでなく、性格も柔和でお優しく、M男にも細やかな心配りをして下さる素敵な女性です。
調教時には、厳しい表情をされる事もありますが、普段はとてもにこやかです

 ですから厳格でキツイご性格の女王様を望んでいるM男性には受けが悪いかもしれません。
その優しげな容貌から、SMクラブに在籍していた時は、ソフト嗜好のお客さんばかりに指名されていたようです。

 しかし、優しいお顔の奥に秘められたサディスティンとしての資質は、僕が過去にお会いした二百余名の女王様のどなたよりも素晴らしいものでした。

 お好きなプレイは鞭やケインなどの打撃系。 お望みのプレイはカッティング。
血を見るのがお好きで、僕が流血するととても興奮されてお喜びになります。
そのギャップが、またたまらない魅力でもあるのです。

 ご主人様は僕にとってSM歴30年にして唯一、主従関係を築かせて頂いた女王様です。
お店を離れて、女王様と個人的に交際させて頂くのも初めての経験でした。

 だから余計に夢中になったのかもしれません。
様々なものを失って、どん底の時期にお会いした事も重なり、僕は現実から逃避するようにご主人様に傾倒していきました。

 ご主人様は「お互いの孤独オーラが私たちを引き合わせたのかもね。」と仰いました。
ご主人様もお若くていらっしゃるのに、プライベートでは色々とご苦労をされているようです。
そうしたご経験が、他人への優しさや人間的な奥行きの深さに繋がっているのだと僕は理解しています。

 かつて、僕にとってSMクラブは、抑えきれなくなった被虐的欲求を解消する為の場に過ぎませんでした。

 女王様が女優であっても、マゾヒズムが予定調和であっても、そんな事は一向に構わなかったのです。
その快楽は刹那的で、日常生活とははっきりと区別されていました。

 ところがご主人様の魅力に取り憑かれ、専属奴隷になりたいと願うようになった頃から、僕の気持ちは一変しました。
寝ても覚めてもご主人様の事ばかり考えるようになり、お会いしたくて寂しさに枕を濡らし、厳しい鞭が欲しくて身悶えました。

 そして奴隷契約書を取り交わした事で、ご主人様は僕にとって絶対的存在となりました。

 女性を神のように崇め、その足元にひれ伏す快感。
美しき女主人様に身も心も支配され、牡奴隷として堕ちていく歓喜。


 それまで、肉体的苦痛を与えられる事だけにしか、歓びを見いだせずにいた僕が、ご主人様の存在によって、精神的に支配される事こそがマゾヒズムの真髄だと気づかされたのでした。

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 ご主人様のご調教を受ける事は僕にとって仕事や日々の生活のモチベーションでもありました。 単なる性癖を超えて、生きる意味や歓びへと繋がっていったのです。

 しかしリアルな奴隷になりたいと望んだ結果、一方では僕の中で様々な悩みや葛藤も生まれました。

 それはファンタジーに陶酔していた頃には考えた事もなかった、現実的な苦悩でした。

 ご主人様の事をもっともっと深く知りたい。 自分がどう思われているのかが気になって仕方がない。 ご主人様のM男の中で常に一番の存在でありたい。 どうすれば奴隷としてお気に入って頂けるのだろうか? ご調教以外でもお側にいる時間が欲しい。

 それらの苦悩は、妄想ではなく実在する等身大の女性を崇めた証しなのかも知れません。

 自らの感情を全て捨てて、女主人様に無条件で服従するのが本来の奴隷の姿でしょう。
しかし、僕は奴隷になりきれず、ご主人様に恋心を抱いてしまいました。

 もちろんそれは、一般の男女が考えるような普通の恋ではありません。
ご主人様と対等な立場でお付き合いしたいとか、抱きたいなどという、愚かで不遜な考えを抱いた事は一度たりともありません。

 憧れて、下から仰ぎ見ているだけの淡い恋心なのです。

 その思いは、時にアイドルを見守るファンのようでもあり、高嶺の花に恋慕の情を抱く少年のようでもあり、師匠を尊敬して止まない弟子のようでもあり、教祖を神のように崇拝する信者のようでもありました。

 その僕の思いをご主人様が知っていて下さる。

 少しも嫌がらずにありのままの僕を受け入れていて下さっている。

 それが僕とご主人様の主従関係なのだと思います。

 僕はご調教の日が近づくといまだにソワソワと落ち着かず、ご主人様にお会いした時は緊張に打ち震えます。 5年前に初めてお会いした時と同じ新鮮な気持ちをいまも持ち続けています。

 「会うとドキドキ、緊張するっていうのが女王と奴隷のベストな関係。でも今はそういうのを求めるマゾはムギ以外にはいないの。」とご主人様。

 4ヶ月半の休養から復帰し、久しぶりにご調教をお受けした後、「私のSMの核はムギだって改めて思ったよ。」と仰って下さいました。 奴隷にとって何よりも嬉しく、身に余るお言葉です。

 そのお気持ちに少しでも報いるために、ご主人様の為に誠心誠意を持って尽くし、頑張っていきたいのです。

 エゴマゾだった僕に、女性を崇める歓びを教えて下さったご主人様には本当に感謝しています。

 ご主人様に精神的にかしずく事で、心の安らぎを覚える自分がいます。

 
 今年の奴隷記念日は、ご主人様と僕にとって一つの節目となる大切な日です。

 昨年は奴隷にあるまじき行動をとって、ご主人様を失望させてしまいましたが、当日はご主人様の厳しい鞭打ちを無制限に頂いて身体を清め、禊としたいと思います。

 ご主人様との主従関係をより強固なものにする為、奴隷の生涯を捧げる新たな儀式を執行う準備を、ご主人様主導の元、進めて頂いています。

 その日僕は、ご主人様の新たなる洗礼を受けて、今度こそ間違いなくヤプーダムに昇りつめる事が出来ると思います。

 「汝我の畜生天(ヤプーダム)における新しき生を祝福す」


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愛と幻想のマゾヒズム

 文豪・谷崎潤一郎の「日本に於けるクリップン事件」という短編の中に、彼が自己のマゾヒズム観を赤裸々に綴った一節があります。

 少し長くなりますが、以下に引用します。

  「マゾヒストは女性に虐待されることを喜ぶけれども、その喜びはどこまでも肉体的、官能的のものであって、毫末も精神的の要素を含まない。 人或はいわん、ではマゾヒストは単に心で軽蔑され、翻弄されただけでは快感を覚えないのか。 手を以て打たれ、足を以て蹴られなければ嬉しくないのかと。 それは勿論そうとは限らない。 しかしながら、心で軽蔑されるといっても、実のところはそういう関係を仮に拵え、あたかもそれを事実である如く空想して喜ぶのであって、言い換えれば一種の芝居、狂言に過ぎない。 何人といえども、真に尊敬に値いする女、心から彼を軽蔑する程の高貴な女なら、全然彼を相手にするはずがないことを知っているだろう。

 つまりマゾヒストは、実際に女の奴隷になるのではなく、そう見えるのを喜ぶのである。 見える以上にほんとうに奴隷にされたならば、彼らは迷惑するのである。 故に彼らは利己主義者であって、たまたま狂言に深入りをし過ぎ、誤って死ぬことはあろうけれども、自ら進んで、殉教者の如く女の前に身命を投げ出すことは絶対にない。 彼らの享楽する快感は、間接または直接に官能を刺戟する結果で、精神的の何物でもない。 彼等は彼等の妻や情婦を、女神の如く崇拝し、暴君の如く仰ぎ見ているようであって、その真相は彼等の特殊なる性慾に愉悦を与うる一つの人形、一つの器具としているのである。」



 “ほんとうに奴隷にされたならば、彼らは迷惑するのである”というくだりは、何度読んでもおかしくて笑ってしまいます。 なんとも身も蓋もない内容ですが、ほとんどのM男性の心理を言い当てているような気がします。

  文中では彼等と呼んでいますが、もちろんこれは谷崎本人の女性に対する心情を吐露したものだと思います。

  彼は、さらにこう続けます。
  「人形であり器具であるからして、飽きの来ることも当然であり、より良き人形、より良き器具に出遭った場合には、その方を使いたくなるでもあろう。 芝居や狂言はいつも同じ所作を演じたのでは面白くない。 絶えず新奇な筋を仕組み、俳優を変え、目先を変えて、やってみたい気にもなるであろう。」


 これはまさにご主人様と出会う前の僕の姿そのものです。 理想の女王様を求めてさまよっていた頃は、 女性を取っ替え引っ替えしていました。 理想の女王様に巡り合えたと思ってしばし立ち止まったとしても、女性側の事情で続かない、あるいは理想とは違っていた事がわかり、再び次を求めてさまよう…そんな事を繰り返してきました。

  当時の僕は女性崇拝の精神のかけらも持ち合わせていなかったように思います。


  女王様はM男の傀儡、 マゾヒズムは壮大なる茶番劇。


 何を今さらわかりきった事をと思われるでしょうが、僕はご主人様の奴隷にして頂いてから、少しだけこの考えに異論を唱え反発してきました。

 だから最近、友人である一般S女性に 改めて女性の目線からこの事を指摘されて、ちょっと傷ついてしまったりしたのでした。

  彼女曰く
「M男性は偶像を見せている女王様の言葉を信じ過ぎる。 彼女たちは清濁併せ呑んで、苦しさを隠して女優をやっているのだ…」と。 そして「彼女達はM男とホテルで2人きりでいる事をきついと思っている」と、女王様の本音まで明かしてくれました。

 もちろん僕だって30年以上もM男をやっていますから、女王様に夢を見させて頂いている事ぐらい百も承知しています。
僕のような変態の妄想に付き合って下さっている女王様の存在には、ただただ感謝の念しかありません。

 5年前、僕はご主人様と、とあるSMクラブで出会いました。 ネットで見つけたご主人様のプロフ写真に魅せられて、5年のブランクを経て復帰したのです。

 このブログにも何度も書いていますが、ご主人様とお店でプレイをしていた頃、僕はこれまでお会いしてきた女王様と同様にストーリープレイをお願いしていました。

 物語の設定からプレイ内容、プレイの順番、鞭打ちやビンタ、足蹴りの回数まで毎回詳細なシナリオを用意し、ご主人様には僕の考えた妄想劇場の主演女優をお願いしてきたわけです。

初めて、残りのマゾヒスト人生を捧げてもいいと思える理想の女王様と巡り会いながらも、相変わらずそんな状況が続いていました。

出会いから1年半が過ぎた頃、ご主人様から誘われる形で、僕とご主人様はお店を離れて会うようになりました。
その頃から僕の気持ちに少しずつ変化が生じてきたのです。

それまで女性に跪きたい、奴隷になりたいなどとは露ほども考えた事がなかった自分が、ご主人様を崇め、主従関係を結びたいと強く願うようになりました。

女王様に似つかわしくない優しい面立ち、女性らしい言葉使いや立ち居振る舞い、柔和ながらもしっかりとしたご性格、頭の回転の速さ、加虐を心から楽しまれているご様子。 どれもが僕を魅了しました。

崇拝するに相応しい女性が、初めて僕の目の前に立ちはだかったのです。

 この先、自分にとって彼女以上の最良のドミナと出会う事は、二度とないだろう。
僕はご主人様をM人生最後のドミナとする事を、勝手に決めさせて頂きました。

それはエゴマゾが、初めて女性の前に跪いた瞬間でした。

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そして「妄想劇場はもう終わりにしたい。 ご主人様に全権を委ね、真の奴隷の姿に少しでも近づきたい。」と思うようになりました。

 もちろん僕だってご主人様に軽蔑されたいとは思っていませんし、谷崎の言うように厳密には本物の奴隷とは言えないかも知れません。 でも、ご主人様の事を、“特殊なる性慾に愉悦を与うる一つの人形、一つの器具”として扱うのだけはやめて、絶対服従の精神で尽くしたいと思いました。

 これまでのようなわがままな振る舞いは排除して、今後はご主人様の色に染めて頂きたい。 そう本気で考え、奴隷契約書を交わしたのです。

 僕は元々キングオブ エゴマゾですから、ああして欲しいこうして欲しいと思う気持ちは沢山あります。
なので、それ以来ずっと自己の欲望との葛藤が続いていました。

 そんな中で、友人のS女性に改めて言われた“女王様=女優”発言に僕は大きな虚無感を感じてしまったのです。

 茶番劇はどこまで行っても茶番劇でしかありえないのだろうか?
 結局のところ、やせ我慢をしながら女優不在の一人芝居を続けていたのではなかったかと。

 実は体裁が悪いのでブログに書くことを控えていましたが、昨年末から、ご主人様との主従関係に微妙なすれ違いが生じ、様々な事情も重なって4ヶ月半の間、ご調教の休養を頂いていました。
そして、なんとなくモヤモヤした心が晴れないままに、この4月、奴隷として復帰させて頂いたばかりだったのです。

 そのあまりにも しょーもない理由に“エゴマゾはいくらあがいても所詮エゴマゾでしかない”と自己嫌悪に陥っていた最中でもありました。

 恥ずかしいので詳細は書きたくはありませんが、簡単に言ってしまえば、自ら最下層の奴隷の地位を望みながら、ご主人様が他のM男と仲良くしているのを羨んで嫉妬に狂ってしまったというようなことです。

 ご主人様に「見返りを求めない愛を捧げたい」などと、散々もっともらしい事を口にしてきながらこのざまです。

 休養中、ご主人様からは沢山の温かいお言葉をかけて頂きました。

「ムギがどう思おうと仕方ないけど、私の愛情だけは疑わないでね。それだけは約束だよ。」

もったいないお言葉、とても嬉しかったです。


 僕は、ご主人様の奴隷にして頂いてから、毎日、飽きずにご主人様の事ばかりを考えていました。
寂しくなると、剃毛の跡や焼印やペニスを覆う貞操帯を眺め、常にご主人様と共にあると思う事で孤独を紛らわせてきました。
しかし、お会いできるのはせいぜいが月に一回。 時間にしてわずか5〜6時間足らず、密室でのご調教の時だけです。

 ご主人様のお足元に平伏してご調教を受けている間は幸福感に包まれているのですが、帰宅すると途端に言い知れぬ孤独感に苛まれ、そのうち涙が溢れ出て止まらなくなりました。

 「ご主人様は今ごろ何をされているのだろう?  誰と会ってどんなプレイを楽しまれているのだろうか?」
そんな事ばかりが頭を掠めます。

 これまで僕は、奴隷として、崇拝するご主人様との“距離感”を大切に考えてきました。
そんな中で、他のM男たちと友人のように親しげにされているご主人様のご様子を知って、心を掻き乱され、軽い失望感を味わっていたのでした。

  聖域を踏み荒らされているようなやりきれない思い。 僕は自己のマゾヒズムに対する情熱をも失いかけていました。

 そんな苦悩の日々を過ごす中、友人のS女性は精神的な面でずっと僕を支えてくれていました。

 彼女は「もう5年にもなるのだから、ここらでご主人様と奴隷ではなく、対等の関係で人と人の繋がりを深めていってほしい。 ご主人様とこの先、10年20年と関係を続けていきたいなら良い機会なのではないか…」と、ご主人様とのお話し合いを提案してくれました。

 僕が非日常的な部分でご主人様に傾倒し過ぎているのを側から見ていて、違和感を感じていたそうです。

 そういえば、以前ご主人様にも「ムギは“自分の中の私”を見過ぎ!」とご注意を受けた事がありました。

僕ははたと思いました。

 もしかしたら… ご主人様は、僕が作り上げた偶像を壊さないように、今でもずっと女優を続けて下さっているのではないのか!?と。

 僕が知らず知らずのうちにそう仕向けていたのではなかったのか!? と。


 もし、そうだとしたら、なんと滑稽な事だろうか…

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 振り返ってみると、これまでご主人様とは、あまり本音で語り合った事はありませんでした。
お店のお客さんだった頃に比べれば、お互いの事をお話しする機会は増えたけれど、当たり障りのない話ばかりに終始していました。 


  考えてみたら、僕はご主人様の事を何一つ知らなかったのです。
 
 
ここのところ、僕はあまりご調教を受ける気分ではなかったので、ご主人様に、ご調教の時間を少し削ってお話ししたい旨を伝え、快諾して頂きました。

 そして、ホテルの部屋でご主人様と初めて膝を突き合わせ、お酒を頂きながら2時間ほどお話をさせて頂いたのです。

 ご主人様は僕の目を見つめ、何度も頷きながら、僕の“ご主人様に対する思いの丈”に耳を傾けて下さいました。

 ご主人様のおそばにいるだけで心が癒されます。
親子ほども年齢差がありながら、まるで幼い子供が母親と共にいるような安心感があるのです。

 これが女王様の“包容力”なのでしょう。

 そしてご自身でも色々な事をお話しして下さいました。

 愛犬の事を語りながら相好を崩され、ご趣味のお話では目を輝かせられます。 SMクラブにお勤めになった経緯を教えて下さり、配下のM男達への思いを語られます。 絵が素晴らしくお上手な事も初めて知りました。

 そして昨年、4年間お勤めになったSMクラブをお辞めになった理由をお話し下さいました。

お店を離れてプライベートでもSMを楽しまれるようになった事で、お仕事としてのSMとの間にはっきりとテンションに差ができてしまったのだそうです。 

 新規のお客さんに対する不安や、お客さんの嗜好に合わせなければならない事に疲れて果ててしまった・・・

「そんな気持ちを抱きながらお客さんに接するのは申し訳ない、プロの女王様としてどうなんだろう?」と悩まれた結果、退店する事をご選択されたようです。

 友人のS女性が言っていた事は、中らずと雖も遠からず と言ったところでしょうか…

 そしてご主人様がお考えになられている奴隷の定義を教えて頂きました。

 その上で改めてご主人様のお口から、「ムギは間違いなく、私にとって唯一の奴隷だから!」と、はっきりと仰って頂いたのです。 昨年から僕が抱いてきたわだかまりは一瞬にして氷解しました。

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 思えば“奴隷”という、マゾヒストにとって最高に名誉ある称号を頂きながら、それ以上何を求める事があるのでしょうか?

 “奴隷”が”M男”に嫉妬するなど愚かな事です。

 最後に他人には打ち明けにくい、ごくプライベートなことまでお話頂き、僕はご主人様にとって心を許して頂ける存在になれた事を実感しました。 


 これまでご主人様に対して、なんとなく虚像を崇拝しているような感覚に陥る事もあったのですが、ボンヤリとしていた輪郭がはっきりと見えてきた事によって、親近感が増し、逆に崇拝心も深まったような気がしました。

 いつもはホテルの部屋で平伏してご主人様をお見送りした後、帰り支度を始めるのですが、その日はご一緒にホテルを出る事にしました。

 駅へと向かう道すがら、選挙ポスターの掲示板を横目に、僕は何気なくご主人様にお訪ねしました。

  「選挙へは行かれるのですか?」

 するとご主人様は、「もちろん行くよ。 たとえ支持政党が無くて白票を投じたとしても、自分の意志だけは伝えに行く。」と仰ったのです。

 そのお言葉を聞いて、僕はご主人様の意外な一面を見たような気がしました。

 女優などして頂かなくとも、“等身大”のご主人様もとても魅力的な女性でした。

 駅の構内でお別れのご挨拶をし、改札に向かわれるご主人様の後ろ姿を見送りながら、僕は奴隷として、こんなにも素敵な女性にお仕え出きる幸せを痛感したのでした。

 そして、これからもずっと死ぬまでおそばに置いて頂き、ご主人様に僕のマゾ人生の最期を看取って頂きたいと心から願ったのでした。



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お仕置はランチのあとで

 ●閲覧注意!●

(当エントリーは聖水、黄金、唾液、フードクラッシュ等に嫌悪感をお持ちの方がご覧になるとご気分を害される恐れがあります。
該当される方はお読みになるのはお控え下さい。)



 美女が腋の下で握ったおにぎりは果たして本当に美味しいのか?

 二次創作のパロディネタでおなじみの 「腋おにぎり」 を実際に女性に握ってもらって試食するというフェティッシュな企画が、ネット上で話題になっていました。

 この記事を見た人達のコメントはかなり微妙なものでしたが、実験に参加した男性記者は、同僚の女性記者が腋の下で握ってくれたおにぎりを実食し大絶賛していました。


 これは羨ましい!僕も是非その至高の味を味わってみたい!

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少し前、他人が握ったおにぎりが食べられない人が全国で半数近くにも上るというデータが公表されました。

 漫画家の小林よしのり氏は自著の「ゴーマニズム宣言」で、「男は不潔で無神経な生き物。 ほとんどの男はトイレに行っても手を洗わない。 チンコを触った手で作った男の手料理を食べるくらいなら、清潔な女性が作ったカップ麺を食べた方がマシ」と持論を述べていましたが、これには僕も同感です。

 手を洗わない男が握ったおにぎりなんか想像しただけで身の毛がよだちますが、これが美しい女性の場合となると逆にご褒美となります(笑)


 では美女が握った腋おにぎりが美味しいのはなぜでしょうか?

 それは汗腺の一つ、アポクリン腺が密集する腋の下や足の裏、性器や肛門周辺がフェロモンを発散する部位でもあるからだと思います。 女性のこれらの部位から分泌される汗はもともと男を惹きつける為のものですから、その成分が含まれたおにぎりが男性にとって格別に美味しいのはうなずけます。 女性の下半身を酒器に見立てたわかめ酒も味覚的に美味しさが向上するとしたら、おそらくこのフェロモンの作用だと考えられます。

 腋おにぎりの記事を読んで否定的な意見を述べていた男性達は、感性が鈍いとしか言いようがありません。 あるいはマニアックに受け取られるのが嫌で本心を隠しているのかもしれません。

 美女が握った「腋おにぎり」もぜひ試食してみたいですが、さらに香ばしそうな「足おにぎり」や「尻おにぎり」も味わってみたい。 僕のようなマニアの願望はとどまる事を知りません。 万が一それで食中毒になったとしても本望というものです。

 美女の身体に不潔という概念は存在しません。 これは多くのフェチスト、マゾヒストの共通した見解だと思います。

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 同じような理屈が、女性の体液を好む“体液マニア”にも言えるかもしれません。

 SMクラブでも体液コースを設けているお店や、様々なフェチに対応している専門店が増えてきている事から、マゾヒストとまではいかないまでもフェチが比較的ノーマルに近い性癖として浸透してきている事がうかがえます。

 多くの少年達が好きな女の子のリコーダーを舐めたり、上履きや座布団の匂いを嗅ぎたいという願望や体験を共有している事からも、男性は潜在的にフェティシズムの傾向が強いと言えるかもしれません。

 女性の体液とは、唾液聖水は言うに及ばず、鼻水経血吐瀉物等も含まれますが、これらを心ゆくまで味わえるのが体液コースと呼ばれているものです。

 体液コースは通常のMコースより料金が安く設定されている場合も多く、初心者でもわりと気軽に体験できますので未経験の方にはお勧めです。


 さて、次に僕のような強度のマゾヒストにとってのフェティシズムを考えてみます。

 多くの奴隷にとって、お仕えするドミナの身体から分泌される体液や排泄物は全て崇拝の対象となります。

 本来は汚いもの、汚物として捉えられる排泄物などを自身の存在よりも価値が高い物、高貴なものとして崇めることはスクビズムの一形態と思われます。

 スカトロジストが偏愛の対象を女性の汚物においているのに対し、マゾヒストは個人崇拝の延長として排泄物を崇める傾向が強いかもしれません。 まずは崇拝する女性ありきで、彼女が恵んでくださるものであるからこそ尊いという考え方です。

 僕もマゾヒズムが芽生え始めた頃から女性の体液や排泄物にはとても関心があり、早いうちから人間便器願望に取り憑かれていました。 SMプレイを経験してからは聖水、咀嚼、唾液、黄金と段階的に実践していき、その後は常にプレイに取り入れて頂くようになりました。

 ただし、聖水や咀嚼物はよほどタイプでない女性のもの以外は比較的抵抗なく口にする事ができましたが、さすがに黄金だけはハードルが高く、心から心酔した女性のもの以外は身体が受け付けませんでした。

 ヤプーズマーケットの映像などを観ると、出演するヤプー達は選択権など一切与えられず、公衆便所のごとく否応なく女性達の黄金便器として使用されています。

 これが女性を心から崇拝するマゾヒストの、本来あるべき姿なのでしょうが、僕には到底出来ない芸当です。 僕はヤプーズの集団リンチ物を観る度に、彼らヤプー達の見上げた根性に感服したものです。

 ドミナの咀嚼物に関しては、僕は奴隷のエサと呼んでいました。

 ストーリープレイにおいても、処刑される犯罪者に与えられる最後の晩餐のような設定でした。

 僕は女性が物を食べているところを見るのが好きなので、ドミナがエサを作って下さっているお口元を正座をしながら眺めている時間はとても幸福です。

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 僕が初めて口にした奴隷のエサは、美芸界の立花冷子女王様から頂いた“カステラとバナナの咀嚼物聖水がけ”でした。

 もちろん僕がそれを味わいたいと熱望し、プレイルームに向かう途中のコンビニで食材を購入し持参したものです。

 その頃は確かまだ、咀嚼プレイなどという言葉はありませんでしたし、こうしたフェティッシュな行為を他のマゾも実践しているかどうかなどという事は考えた事もありませんでした。

 しかし唾液や聖水、女性の体液にまみれた食べ物を食べさせられたいという願望は抑えきれないほどに膨らみ、SMプレイ体験2回目の時に冷子女王様に願いを叶えて頂いたのです。

 食材を買っていた時は、四つん這いになって皿に首を突っ込み、奴隷のエサを貪り食う自分の姿を想像して目眩がするほど興奮していました。

 プレイが始まると冷子女王様は僕の希望通りに 眼前でカステラやバナナをゆっくりと咀嚼してはアルミ箔の餌皿に吐き出し、仕上げになみなみと溢れそうなくらい聖水をかけて下さいました。

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 ところが、実際にそれが目の前に出され顔を近づけると、僕は妄想と現実とのギャップに直面し固まってしまいました。 Mプレイ初心者として、まだ聖水すら満足に飲みこむ事ができなかった僕にとって、視覚的にも食感的にもきつい奴隷のエサはハードルが高すぎました。

 当然、冷子女王様はお怒りになり、僕にあらゆる責めを加えてエサを食べるよう迫りましたが、結局僕はほとんどそれを口にすることができずにギブアップしてしまいました。

 またまたヤプーズマーケットの映像を引き合いに出しますが、透明のボウルに女性達が食べ残した残飯をあけ、聖水や黄金をかけた物をヤプーが犬食いさせられるシーンをよく見かけます。 彼らは難なくこれを完食しているように見えますが、これはかなりハードなマゾヒストでも難易度が高いプレイだと思います。

 僕も過去に一度だけご主人様の黄金を犬食いさせて頂いた経験があります。

 この時は紙皿に菓子パンの咀嚼物だけを出して頂く予定でしたが、思いがけずご主人様が少量の黄金を添えて下さったのでした。

 それまではご主人様の人間便器にさせて頂く事はあっても直接口中に排泄して頂く形でしたので、口から溢れたもの以外ほとんど黄金を目にする事はありませんでした。

 ヤプーズの映像を観た時は、自分にはこの黄金をトッピングしたエサを食すのは無理だろうなと思い込んでいました。

 しかしその時は突然のハプニングに気分が高揚したのか、僕はご主人様の視線を感じながらそれを無我夢中で完食しました。 その際、全く抵抗感を覚えなかった事には自分自身で驚いたものでした。

 やはりこうした高いハードルを越えていく為には、支配者に対する崇拝心という部分が大きいのだと改めて感じました。

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 支配者の排泄物だけを与えられて生かされたいという思いは、究極のマゾヒズム願望です。

 しかし僕は、それは非現実的でせいぜいM小説の中に登場するファンタジーだろうと高を括っていました。

 ところが以前、ご夫婦で主従関係を構築され、奥様の排泄物を毎日のように頂いているご主人のブログを見つけた事がありました。

 もちろん通常の食事も摂りながらではあると思いますが、かなりの頻度で奥様の黄金を頂いて生活されているようなのです。 写真や記事の内容からもそれをリアルに実践されている事が伝わってきます。 通常はたとえ憧れはあっても決死の覚悟がなければ完遂は困難だと思いますが、やはりマゾヒズムの世界は驚くべき猛者がたくさん存在する奥の深い世界のようです。


 僕がご主人様のご調教を受けるのは、いつも午前中から夕方にかけての時間帯ですので、ご主人様には毎回ご昼食としてお好きな食べ物をご用意頂いています。 お食事代は僕が負担し、僕はご主人様のお慈悲で残り物を恵んで頂いているのですが、これがまたなんともマゾヒスティックで萌えるのです。

 もちろん奴隷にエサを与えるかどうかはご主人様次第ですので、ご主人様のお気が乗らない場合はエサ抜きの場合もあり得ますが、これまで全く頂けなかったという事はありませんでした。 ただ、一度だけ少量過ぎて、調教中お腹が鳴りっ放しだったことはあります (笑

 ご主人様はお優しいかたなので、床に横たわった奴隷の口へ至近距離から直接咀嚼した食べ物を吐き出して下さいます。

 ご主人様の美しいお顔が眼前に迫ってくると、僕はとても緊張し自分の醜い存在が恥ずかしくなります。 ご主人様のお顔に息がかからないように呼吸を止め、目を閉じ、口を大きく開けてその瞬間を待ちます。

 エサなどと呼ぶには全く相応しくない高貴な食べ物が僕の口中に舞い降りてきます。 ふわっと甘い香りが口の中いっぱいに広がり、ふんわりととろけるような食感が舌をくすぐります。 僕はゆっくりと奴隷の幸せを噛み締めます。

 咀嚼物に続いて濃厚で芳醇な唾液を滴らせて下さるご主人様。

 もったいなくも、まるで母鳥がヒナにエサを与えているような慈しみ深い光景です。


 全く贅沢な話ですが、こんなに分不相応な幸せが続くと、ふと四つん這いになって皿に吐き出されたエサを犬食いさせられていた頃が懐かしくなったりします。

 奴隷には、そちらの方がよりふさわしい扱いのような気がして、生意気にもそれをご主人様にリクエストさせて頂きました。

 「じゃあ、次からそうしてあげる。 幕の内弁当なら食べられないものがいっぱいあるかも。 お新香やシャケの皮、ご飯も私には少し多いんだ。 特製スープで味付けしてあげるね!」とご主人様。 僕は生唾を飲み込みます。

 こうして最近行われたご調教では、久しぶりにご主人様特製の奴隷のエサを振舞って頂きました。

 事前に伺っていた幕の内弁当ではなく、ミートソースとおかかのおにぎりの咀嚼物にご主人様の食べ残されたパンの耳を加えた和洋折衷のよりディープなメニューです。 もちろんご主人様の濃厚な特製スープをなみなみとかけて頂きました。

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 僕は目の前のごちそうに「いただきます!」のご挨拶も忘れて、股間の尻尾を振りながら餌皿に口をつけようとした途端、ご主人様の厳しい叱責を受けてしまいました。

 「お食事前のご挨拶を忘れたらダメでしょう⁉︎  あとでおちんちんにタップリとお灸のお仕置きだからね‼︎」

 「シュン…」


 ご主人様は四つん這いでエサを貪る僕を動画に収めながら「私の作った特製のエサのお味はどう?」と訊かれます。

 僕は「はい、五つ星レストランの名シェフが作ったどんな高級料理よりもはるかに美味しいです!」とお答えしました。 奴隷にとってドミナの体液を含んだメニューは、それらを凌駕する価値があるのです。

 ドミナの排泄物や体液を味わうことが許されているのは、彼女を女神のように崇拝している奴隷達だけの特権です。 これはある意味、信仰に近い行為なのです。

コアなマゾヒスト達はドミナのご聖水でご飯を炊いて食してみたり、ドミナのお履物やおみ足で踏み潰して頂いた食べ物を嬉々として戴いたり、それぞれが創意工夫しながら奴隷のお食事タイムを充実させています。

 ブログをお読みになっている方の中には、こうした行為に対して“食べ物を粗末に扱っている”と不快に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、もちろん全て奴隷の胃に収め栄養とさせて頂きましたのでご理解下さいませ。


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バイオレンス・コミックの巨星逝く

 また一人、子供の頃からのお気に入りだった漫画家さんが亡くなられてしまいました。

 望月三起也。 2016年4月3日没。 享年 77 歳。

 代表作の「ワイルド7」は2011年に瑛太主演で映画化され話題になりましたので、若い方でもご存知の方がいるかもしれません。

 2014年には「W7」というオールカラーの新作が大判の豪華本で刊行され、昨年末には「ワイルド7R(リターンズ)」の第2巻が3年越しの完全新作として描き下ろされたばかりでした。 往年と変わらぬ巧みな構成力と衰えを知らないダイナミックで力強い筆致に舌を巻き、まだまだ伝説は続くものと期待した矢先だったので、まさかこんなに早く逝ってしまわれるとは思いもよりませんでした。

 肺腺ガンだったそうです。

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©Mikiya Mochizuki

 望月三起也氏は、少年キング(1988年12月廃刊)というややマイナーな雑誌を主戦場にしていたせいか、あるいは氏の卓越したセンスが時代に早過ぎたのか、妥協を許さないハイクオリティな作品群を残してきた割には正当な評価がなされてこなかったような気がします。

 しかし重厚で緻密なストーリーと、誌面狭しと展開される大迫力のアクションシーンは後に公開された映画「マッドマックス」や「ダイハード」の原点とも言われ、子供から大人まで幅広い読者層を熱狂させた真のエンターテイナーであった事だけは間違いありません。

 銃器やメカに精通し、ハードな男の世界を描く事に心血を注いだ作家のように思われがちですが、実は厚い義理人情や独自のユーモアが作品の隠し味となっており、男前のキャラクター達が多くの女性ファンをも魅了していたのです。

 またアメリカンナイズドされた肉感的でセクシーな美女を描かせたら漫画界随一で、作品発表の場を青年誌に移してからはその本領を発揮し、艶やかな女性が主人公のコメディ作品で新境地を開拓されていました。

 わずかな描線だけでここまで緻密に女性の身体の質感を描き出せる漫画家を、僕は他に知りません。

 荘厳なまでの女体美に魅了された望月氏は絵に描くだけでは飽き足らず、女性をモチーフにした多くの3Dフィギュアも自作しています。 その腕前はプロの原型師を超えていると言っても過言ではないほど一体一体が精密に作りこまれ、ファン垂涎の素晴らし出来栄えとなっています。 こんなところにも望月氏の凝り性が表れていると思います。

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©Mikiya Mochizuki

 
 実は僕は多感な思春期の頃、望月氏の描くエロかっこいい女性達に心を奪われていました。

 特にワイルド7の紅一点・本間ユキのS性は、僕のマゾヒズムをおおいに刺激してくれていたのです。

 かつてゲリラ一味に家族を皆殺しにされた彼女は、復讐に燃える冷徹なゲリラハンターとして登場し、やがてその類稀なる戦闘能力と巨悪を許さぬ正義感を買われ、ワイルド7の追加メンバーとして迎えられます。

 それまで少年誌では決してお目にかかる事がなかったグラマラスでエロティックな肢体

 銃器だけではなくその躍動感溢れるボディを武器に変えて、悪党どもを次々となぎ倒していく姿に僕は魅了されていました。

 何しろ彼女の膝蹴りを顔面に食らった敵の戦闘員が、鼻の下を伸ばして「ウヒウヒもっと…」とおかわりを欲しがってしまうくらいS的魅力がある女性なのです。

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©Mikiya Mochizuki

 こうした描写を見ると、望月氏は男性に内在するマゾヒズムを充分理解した上で攻撃的な女性を描いていたように思えます。

 彼女は作品中ではみそっかすのユキと呼ばれていましたが、中々どうしてリーダーの飛葉を支えて男性メンバーのお株を奪う素晴らしい活躍を見せていました。

 作品の後半では警部補の地位を与えられた女性だけの別動隊“女ワイルド7”を結成し、そのリーダーとして圧倒的な存在感を示すまでに成長したのです。

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©Mikiya Mochizuki
 

 映画「ワイルド7」に関して言えば、ファンの間でも賛否両論のようですが、漫画原作の実写化は概ね世間的評価は低いものです。 特に“ワイルド7”のようにすでに不朽の名作としての評価が確立されている作品に手を出す事は、聖域を侵す行為に等しいと思います。

 原作に思い入れが深いファンほど安易な設定の改変や蛇足的なエピソードの付け足しを嫌いますし、キャラクターのイメージを少しも損なう事なく誰もが納得いくキャスティングをするのは至難の技でしょう。

 原作の雰囲気だけはそこはかとなく伝わってはくるものの、やはり別物。 僕にとって映画「ワイルド7」はそんな感想を持った作品でした。

 しかしあくまで個人的見解ではありますが、僕は本間ユキのキャスティングに深田恭子を起用した事だけは評価しています。 原作とはキャラクター設定もかなり変更されていましたが、ベビーフェイスには不釣り合いな過激なエロスを発散する肢体、どこかもの悲しげで謎めいたユキのキャラクターに深キョンはピッタリとはまっていたと思います。

 何と言っても彼女にならば、悪党になって退治されたいと思えますもん^o^

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 かつてお色気とアクションを融合させてテレビの前のM男性達を釘付けにしたテレビドラマ「プレイガール」や「フラワーアクション009ノ1」のお姉さま達を、さらに冷酷非情にしたS的キャラクター・ユキはハードマゾに憧れていた少年期の僕の心のドミナでした。

 たくさんの夢や希望、M的妄想を与えてくれた望月三起也氏に感謝し、謹んでご冥福をお祈り致します。


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少年hの恥戀 〜マゾヒストたちのヰタ・セクスアリス〜

 マゾ花の最新記事(4月16日現在)でhomerさんから無茶振りされてしまいました(>_<)

顔面騎乗のオーソリティに本文中でご指名を頂き、顔騎に関するコメントを求められたのはとても光栄で嬉しかったのですが、さて何を書いたらいいものか迷ってしまいました…

 そういうわけで今回のエントリーはマゾ花の「顔面騎乗の想い尻」に寄せるコメントのつもりで書き始めたのですが、書き進めるうちにいつもの悪い癖でテーマから脱線してしまいダラダラと長くなってしまった為、急遽コラボ記事に変更しました。

 (まずは「マゾヒズムに花束を!」の「顔面騎乗の想い尻」をお読みになった上でこちらの記事をご覧下さい。)

マゾ花の方にもコメントしておりますので合わせてお読み頂ければ幸いです。



 『顔面騎乗の想い尻』 


 “恥の多い生涯を送って来ました”


 いいフレーズですね^ ^

 この記事に書かれているのはまさしくhomerさんの尻フェティシズムの原体験であり、人生初の顔面騎乗体験です。

これぞまさに恥戀(はじこい)。 素直に羨ましいです。

 確かに小学校低学年くらいまでは、まだお互いの性差を意識することなく、男女が一緒になってキャーキャーとじゃれあっていた記憶があります。  幼い女児が男児に馬乗りになったとしても、また偶然その小さくて可愛らしいお尻が男の子の顔の上に乗っかってしまったとしても…通常なら微笑ましい日常の一コマとして、やがて忘却の彼方へと消え去っていったことでしょう。

 しかしhomer少年にとっては、その後半世紀を経ても色鮮やかに蘇る甘酸っぱい思い出となって、彼の心の奥にある小さな宝箱に大切にしまい込まれていたのです。


 もちろん相手が誰でも良かったわけではなく、homer少年好みの松たか子似の美少女だったからこそ彼の小さな胸はときめいたのでしょう。 これがもし、ダン○松本似の女の子の“吹き出物だらけのデカ尻”に敷かれていたとしたら、一生拭えない悪夢となってその後彼が尻フェチになる事はなかったに違いありません。


 眼前に迫る薄布一枚隔てた開花前の花芯。

 幼い亀裂を形取った布地の表面に薄っすらと浮き上がった黄色のシミ。

 微かに香るアンモニア臭。

 フルフルと可愛らしく揺れる発育前の小さなお尻

 上から見下ろす女のコの悪戯っぽい視線。

 それを下から見上げ、胸をときめかせる少年。



 想像するだけでキュン死してしまいます♡

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 僕には一歳年上のおしゃまな従姉妹がいました。 小2の頃、彼女と見つめあって互いの鼻先を擦り付け合い、舌先を触れ合ったり、ふざけ合ってズボンの上から皮を被ったままのつくしんぼうの先っちょを摘まれて、ドキドキしたのが僕の初めての異性体験でした。


 性的欲求が目覚めるずっと以前、幼い男女はただ“好き”という感情だけに突き動かされてこうした行動をとる事があります。 大人の汚れた目から見れば、性衝動のように映るかもしれませんが、そうではありません。


 この従姉妹の娘さんは僕から見てもアイドル風の結構な美人に育ちましたが、母親似の彼女の面影を追う度に、あの頃の胸が締め付けられるような甘く切ない感情が蘇ってくるのです。

 しかし、これらの淡い思い出より以前に、すでに僕の中には幼いマゾヒズムが芽生えていました。

 それは幼稚園の先生に植え付けられた「おチンチンにお灸」と「去勢恐怖」のトラウマです。  別に僕が女の子に悪さをしたわけではないのですが、女の子をいじめると“おちんちんにお仕置きをされる”というところになぜかビンビンと反応してしまったのです。 (「覚醒」参照)

 普段はおっとりとした雰囲気の、笑顔の優しい先生でした。

 でも、この時は鬼のような形相で、女の子ばかりを虐めていた乱暴な男の子を叱りつけていたのです。

 「女の子をいじめるとおちんちんにお灸をすえる!」と「おちんちんを切る!」という脅し文句は効果てき面でした。

 その後、この男の子はすっかりおとなしくなり、クラスの男児達も一様に女児達の顔色を伺うようになりました。 それまで萎縮していた女児達は皆のびのびと明るくなったのです。

 この時、僕の中に“女の子の方が偉いんだ”という意識が芽生え、女性に対する下位願望が形成されたような気がします。 その直後から早熟過ぎる被虐妄想オナニーを覚え、精通はなくてもエクスタシィを経験していました。

 この原体験は僕のマゾヒズムの覚醒に繋がっているとは思いますが、単に引き金になっただけで、この出来事がなくてもいずれ僕はマゾヒストとして目覚めたと思っています。


 僕の場合と比べると、homerさんの原体験は淡くて繊細で少年らしいとても可愛いらしいものです。

 確かに未就学の頃から、すでに女の子のデルタゾーンに対して未知への興味と憧れ、同時に畏怖のような感情が芽生えていたような記憶があります。

 僕が幼い頃は、まだ都内にもあちこちに原っぱや草むら、舗装されていない道路が残っていました。

 小さな女の子達は、尿意を催すとためらわずに僕の見ている目の前でスカートをたくし上げ、パンツを下ろして放 尿していました。

 僕は、“つるんとして縦にスジが一本入っただけの股間”から、放物線を描いて放たれる少女のおシッコが、地面に模様を描きながら吸い込まれていく様子をいつも不思議な面持ちで眺めていました。

 やがて母となるであろう彼女達が、まるで生命の源である大地と交信しているかのような厳かで何か神秘的なものを感じ取っていたのかもしれません。

 もちろんその形状の表す意味や男性との機能の違いを知るのはもっとずっと後の事です。

 
 僕は子供の頃から現在に至るまで、女性器を表す4文字の俗称を口にする事ができません。

 その神聖な部分にはそぐわない卑猥な響きを持っている様な気がしているからです。

 思えば僕が女性崇拝女性器信仰に目覚めたのは、この頃からだったのかもしれません。


 興味、憧れ、崇拝、信仰、畏怖… 僕の女性への思いが募るに従って、女性支配隷従の願望も膨らんでいったのだと思います。


 小学校高学年の時分、homerさんのように、少女が少年の上に馬乗りになっている光景を見かけた事がありました。  しかし、それは淡い思い出でなどではなく、まさに“男を捕まえて煮て食おう”とする寸前の恐ろしいシーンを目撃したのです。

 その頃、漫画「ハレンチ学園」の影響で全国的に“モーレツごっこ”というスカートめくりが流行っていました。  休み時間になると漫画の影響を受けたおバカな少年達が次々と少女達のスカートをめくり上げ、「オー!モーレツゥ」などと奇声をあげては彼女達に追いかけ回され、校庭や廊下を全速力で逃げ回っていました。

 僕は母親から“女の子には常に紳士的に振る舞い優しくありなさい”というフェミニスト教育を受けて育ったので、この遊びに参加した事はありませんでしたが、女の子の下半身には並々ならぬ興味があったので、彼らの気持ちも理解できました。

 ところがある日の放課後、木造校舎の裏庭にあった焼却炉にゴミを捨てに行く途中、3人の少女たちに捕らえられ、地べたに押さえつけられている哀れな少年の姿を見かけたのです。 僕は何かただならぬ空気を感じました。

 「ほんっとゴメン!もう絶対しないから勘弁して…」

 まだ息が荒いままの少年は薄笑いを浮かべてなんとか冗談で済ませようとしていたようですが、悪ふざけが過ぎたのでしょう、少女達の逆鱗に触れまさにこれから処罰されるところのようでした。

 涙目の少年の髪を鷲掴みにして馬乗りになっている少女のお尻は、彼の顔を覆ってこそいませんでしたがほぼエリックスタイルで、他の少女2人にも土足で踏みつけられて身動きできない状態でした。

「てめえ、あんまり調子こいてるとホント半殺しの目にあわすよ!」

 顔を真っ赤にして拳を振り上げ、今にも振り下ろしそうに威嚇する少女。  それを受けて彼を踏みつけている別の少女が「こんなやつ、全部ゴロシだよ‼︎」と、彼の太もも辺りにかかとを叩きつけてめり込ませています。  もう1人の少女は顔の横にしゃがみ込んで彼の頬っぺたを思い切り捻り上げていました。 3人とも普通の女の子達でしたが、スカートめくりなどの遊びでは可愛い子はかえって敬遠されるため、何度も同じ被害にあっていたのかも知れません。

 そんな恐ろしい集団リンチシーンに遭遇しながらも、僕は少女の1人が口にした“全部ゴロシ”というフレーズの持つ言い知れない可笑しさを噛み殺し、彼女達と目を合わさないようにそそくさとその場を立ち去りました。

“全部ゴロシ‼︎ ” それって死刑宣告じゃぁあ〜りませんか?Σ(゚д゚lll)


 あのあと、彼がどんな恐ろしい目にあわされたのか、あるいは煮て食われてしまったのか、彼らとはクラスも違っていたのでわかりませんが「女の子はか弱いのだから優しくしてあげなさい。」なんて母親の言葉は嘘っぱちだな…と確信したのでした。

 その後、モーレツごっこは女の子達全員の反感を買って学級会の議題に上り、「ハレンチ学園」を読む事と合わせて全面禁止になってしまいました。 しかし、僕はこのマゾヒズム妄想にうってつけのリンチシーンや、女の子が発した“全部ゴロシ”というフレーズがやけに気にいって、その後何度もオナニーのネタに使わせて頂きました。

 このくらいの年頃の女の子たちは男子よりも先に成長期に入り、体格的にも体力的にも男の子より優位にありました。 成長期の遅かった僕にとって、彼女達はアマゾネス軍団のような迫力があったのです。

 そんな彼女達にモーレツごっこを仕掛けて捕らえられ、放課後、両脇を抱えられてアルコールランプやお線香や解剖道具の用意された理科室へと連行されていくのが僕のお気に入りのM妄想でした。

 こんなにも暴力的で恐ろしい拷問シーンですらも、僕にとっては性的興奮を呼び起こす甘美で刺激的なシチュエーションだったのです。

 
 犯すべからざる神聖な領域に踏み込んだが為に、女神達の逆鱗に触れて罰せられる。


 これが幼少時に形成され、ずっと固辞してきた僕のマゾヒズムの基本概念でした。 

 ところがご主人様と出会ってからは徐々に、精神的支配を軸に肉体的苦痛を受け入れたいと望むように変貌してきました。 気の遠くなるような時間がかかりましたが、マゾヒストとして新たなステージへとステップアップしたのだと思っています。

 

 さて僕の顔騎初体験ですが意外に遅く、しかも当時付き合っていた女性とのオーラルセックスの最中に、自ら彼女のお尻を引き寄せて顔を押し付けたのが最初なので、正式には顔面騎乗とは呼べない代物でした。

 しかし、その脂肪の乗ったお尻の圧倒的な柔らかさ、ひんやりとしてスベスベの肌触り、吸いつくようなモチ肌感、愛液と唾液の入り混じった淫靡な香りに僕の頭はクラクラし、世の中にこんないいものは他にないと歓喜しました。

 もう、無我夢中で顔を擦りつけ、彼女のアナルに舌先をこじ入れようとした瞬間「ちょっとぉ、気持ち悪いんだけど〜」とドン引きされてしまった恥ずかしくも悲しいおもひでです(T ^ T)

 マゾヒズムとしての本格的な顔面騎乗は、特殊性風俗サークル・松田企画への入会まで待たねばなりませんでした。 そりゃ、一般の女性がそんなに簡単に顔面騎乗なんかしてくれるはずもありません。

一般の女性の大半は、もったいなくも顔面騎乗などとは無縁のまま、その生涯を終えるのだと思います。

僕のSMプレイにおける顔騎初体験に関しては、またいずれ拙ブログにて披露したいと思います。


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プロフィール

mugi

Author:mugi
踏みつけられて、より強く丈夫に
育つムギの様でありなさいと
ご主人様が付けて下さった奴隷
名です。なんという素晴らしい
ネーミングセンス!
しかも音の響きも可愛らしい。
ビールが大好物の僕にピッタリ!
とても気に入っています(*^o^*)
馬派(苦痛)・犬派(奉仕)・豚派
(便器)全てのM性癖を持ち合わ
せたオールラウンダーな変態を
目指しています。

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